リーダーの再建を望む子どもたち
選挙演説に耳を傾ける小学6年生。
関心のある分野が歴史と政治と鉄道。
中華民国建国の父、孫文の100年前の演説をBGMにして机上でプラレールとマイクラを楽しんでいる。
この一風変わった我が子がつぶやいた。
「選挙権が早くほしい。あと7年も待たなきゃいけないのはつらいな。」
我が子からこんな言葉が出てくるのはなんというか…誇りだ。
「山本太郎さんと佐野ひろみさんの演説をどうしても真ん前で聞きたい。」
学校に行きづらい我が子が市議会議員選挙に活気づく街へ自ら進んで繰り出すという、ちょっとしたミラクルが目の前で起きていた。
山本太郎さんの演説を終始真剣な眼差しで聞き、
動画に記録していた。
息子「ママ、ところで誰に投票したの?」
私「お友だちで頑張っておられる方だよ。」
息子「それは、選挙をよく分かっていない人の理由づけだね。ちゃんと読まなあかんよ。」
まさかの一喝。
この瞬間思い出したのはセルビアの友人のことだった。
95年の阪神淡路大震災直後、被災児童として招かれたセルビア(当日はユーゴスラビア)。
現地のご家族の長女ヨバナちゃんが、テディベアを持って私を日本の家族として出迎えてくれた。
当時、ほんの9歳だったヨバナちゃんは
いつも国のリーダーについて語っていた。
1995年当時、国連からボスニア紛争の責任を追求され、経済制裁を受け、国は破綻した。
犠牲になった人の多くは女性や子どもたち。
国民の大半は戦争なんてしたくなかった。
ヨバナちゃんは成人してからも
科学者としてフランスやドイツなどヨーロッパ諸国を渡り、出会った人たちと交流を深めながら母国の荒廃と発展を客観的にみて、上層部の過ちがいかに弱い立場の人たちを苦しめるのかを教えてくれた。
セルビアの人たちは普段は穏やかなものごしであるが、ベオグラードの街中を歩いていると、常にデモが絶えなかった。
声をあげられるのは、ひとりひとりの行動がどれだけ国の未来を変えるかという教訓を痛いほど経験したからだと思う。
とても激しいデモだった。
その光景をみたら、誰もあたりまえに日常が与えられている、とは思わないだろう。
アンテナを他国に向けると、自分たちの国や街が見えてくるとはよく言うけれど、今あらためて「確かにそうだ。」とうなづける。
置かれた地に善い種を蒔く人の生き様にたくさん
出会わせてあげたい。
リーダーの再建を望む子どもたちの眼差しは
大人たちに「もう一度生き直そう。」という活力を取り戻してくれる。
それはまるで紛争や災害後の街の復興に携わる人々を彷彿とさせる。逆境の後のユートピア。そのイメージを持つか持たないかで次世代に残せる未来は大きく変わると思う。
米光智恵
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