くぅの日常 第16話 義務でなくても帰る場所
マンガ投稿サイト、コミチ(https://comici.jp/)で毎週土曜日に「スパダリにゃんこ」を更新中です、ちえむです。
こちらでは数話遅れで追っかけ更新しております。
今回は3月21日更新、お花見回。
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お花見へ出てきたくぅとしずく。
久しぶりの外(前回ピクニックは雨天のため断念)。明るい日差し、頬をなでる風や、揺れる草の穂、蝶、花びら。外の世界は刺激がたくさんありますね。
動くものが大好きな子猫にとっては楽しくて、遊んでも遊んでも飽きない世界。
普段は安全のため室内ですごすくぅですが、もともとは自由気ままなノラ暮らし。外の世界で嬉々として遊ぶ姿は可愛い反面、普段の室内暮らしはもしかしたら退屈でつまらないのではないか…。
しずくちゃん、不安になります。
このまま、外の世界で過ごす方がくぅは幸せなのかもしれない。自分との暮らしは、くぅの自由を阻んでいるんじゃないだろうか。
猫飼いなら誰もが抱きそうなこの悩みですが、人間関係にも言える気がします。
仲の良い友達同士。
気の置けない仲間。
連れ添った恋人、夫婦。
いっしょに過ごす時間は楽しくもあり、でも時に煩わしくもある。
この人と出会わなかった場合の、一人だけの時間があったことで、できたこともあるんじゃないだろうか?
相手がいなかったと仮定した時に生まれる自由。
もっと面白い人に会えたかもしれない。
自分の趣味にもっとのめりこめたかも。
もっと素敵なパートナーとのチャンスがあったかも。
それは相手にも言えること。誰かと親しくなる時、それは同時に、お互いを縛ることでもあるなぁと思う。
この束縛がお互いにバランスが取れていればうまくいくんだろうし、逆に、私がいないとこの人はダメだとか、この人といっしょにいないと生きていけない、みたいな話は愛情が深いようでいて、反面、その愛情がお互いの自由を縛っていることに気づいていないとか、忘れているような気がする。
私はと言えば、
君がいてもいなくても私は生きていけるけど、いっしょにいれば1人の時よりもっと楽しい。
という関係性が、自由度も束縛もほどよくて、良い気がする。
くぅも(たしかに飼われてはいるけれど)どこへでも自由に行けるけど、しずくちゃんとの暮らしが好きだから最後はいっしょにお家に帰るし、それが前提にあるからこそ「また(外に)遊びに来よう」と言う。
いつか終わるかもしれないあやふやさと隣り合わせに、私たちは人との関係をつないでいる。
この時間が私は、はかないけれど愛おしく思えてしまうのです。
長文読んでくださりありがとうございます。
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