鮗高原スキー場建設に向けた発掘調査の報告、及び出土品の解説
――皆さん、本日は当社が進めております、鮗高原へのスキー場建設計画の第三次意見交換会にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。(ここで会場からブーイング)
皆さんご存知の通り、ここ長芋市一円は先史時代の遺跡が多く出土することで知られ、鮗高原も例外ではございません。前回ご報告いたしましたように、当社は去る十二月八日、鮗高原においてポコ第八大学との共同発掘調査を行い、計二十一点の遺構を発掘いたしました。(会場「お前あそこの土を動かしたんか!」「とってもビョトー!」)
これを受けまして本日は、発掘調査を主導していただきました、ポコ第八大学美少女学部准教授のソーサツ・チエカ先生より、確認された全ての遺構について解説を賜りたいと思います。
――ただいまご紹介にあずかりました、ポコ第八大学のソーサツ・チエカと申します。私は美少女シンギュラリティ以前の旧人類の生態学を専門に研究しておりまして(ここで会場から激しいブーイング)、中でもこの長芋市は旧文明の一大集積地であった可能性が高い、地史学的にも極めて重要な土地なんですね。この地域を中心に文明を築いていた種族、まあ私たちはフィッシュヘッドと呼んでおりますけれども(会場静まり返る)、今回長芋重工さんとの発掘調査で見つかった遺構も、十中八九は彼らの遺したものであろうというのが私の見解です。これは今日この地域にお住まいの皆さんにとっても貴重な文化的遺産でありますから、僭越ながら私が、その一つ一つについて学術上の意義を解説させていただこうと思います。
【講師紹介】
ソーサツ・チエカ
2022年、[JP] Tutorial World生まれ。ポコ第八大学大学院美少女学研究科仮想物理学専攻博士課程を単位取得退学後、論文「現代VR空間のオリエンタリズム―美少女文明はフィッシュヘッドと遭遇した」で博士(美少女)取得。美少女量子場研究センター上級研究員を経て、現在、ポコ第八大学美少女学部准教授。専門はフィッシュヘッド史、美少女場の量子論、灼眼のシャナ。著書に『智慧香抄』ほか。
まず、鮗高原の全体を概説します。ここに掲げたのは長芋重工さんのゲレンデ建設予定図ですが、鮗岳の標高1400メートル付近の南南西の斜面、おおよそ50ヘクタールの範囲に二十一個のフィッシュヘッド遺構が点在しており、そのうち滑走コース選定の際に考慮するべき十七個には星印をつけています。
鮗高原において確認されている遺構は、わずかな建物跡の他には彫像などの実用性に乏しいものばかりで、道や密集住居などが一切みられません。これはつまり、この高原がフィッシュヘッドの常住地域ではなく、祝祭の時期に短期的に滞在する、あるいは巡礼で訪れるだけの、聖地的な性格を強く帯びた場所らしいということです。道もないことからすると、それぞれの遺構は巡礼のフィッシュヘッドたちが各々勝手に奉納していったものと考えられます。
道がなく、したがって動線もないことは、アーグデーラ廃神殿や籠岬廃村のような他の大規模巡礼地域との決定的な違いです。一つ一つの造形物が互いに遠く離れているために、それぞれを見比べるということが起こらず、見る順番がないために「飛ばす」ということも起こりません。また人の集まり方によって人気の差が可視化されることもありません。この点には彼らも意図しないうちに、フィッシュヘッドの自由と平等の精神が表れているのだと思います。
さて、ここからは各遺構の解説に移りましょう。各遺構には私が暫定的に名称をつけております。
①「北海凱歌」
鮗高原の平坦部の入り口で発見された遺構です。フィッシュヘッドの間には魚頭族の戦士たちが異世界のマギカ国に赴き赤竜サビオスの討伐に加勢したという「異世界魚頭防衛戦線防衛委員会」の伝説があったとみられ、この遺構はその伝説をモチーフにしているようです。アーグデーラにもよく似た遺構があることから考えるに、フィッシュヘッドの間では異世界訪問という概念がどうやら非常に重要な役割を担っていたらしいんですね。離れた場所にまたがって同じものを置くことで、海が様々に区分けされながらも水を介して繋がっているように、自分たちが本来は風土に縛られない活動範囲をもつ民だ、ないしはそのような越境を可能にする何かが世界に通底しているのだという信念を表現していたと考えられます。
一方で、ここ鮗高原にあるサビオスの首は氷像であり、他の地域のものとの間に一見して分かる連続性を保ちながらも場所に合わせたアレンジを施すという、美的感覚といいますか、慎重な生存戦略を備えていたことが窺えますね。
②「嘴を持つ者」
音楽家の顕彰碑ですね。文明の最盛期には音楽も発達していたとみられ、鮗高原では清涼感のある音楽が好まれていたと推測しています。そうだとすれば、この銀世界の広い空によく合うでしょうから。私は長芋村の調査にも同行したことがあるのですが、そことは打って変わって、鮗高原は爽やかに開けた場所です。不気味なイメージのもとで語られていたフィッシュヘッドが、自分たちの美意識を保ちながらも外の世界との交流を広げる術を見出しつつあった、その転換期の様子を鮗高原遺構に垣間見ることができます。
③「宿の要る身でもないが」
鮗高原の平坦部では三棟の建物遺構が出土しており、それらは食堂や住居を備えた三階建ての大がかりなものだったことが分かっています。これらの建物は概ね一人のフィッシュヘッドの手によって作られたようです。この建築家はヤシガニの姿を好んでとっていたことで知られ、皆さんご存知の通りヤシガニはヤドカリの仲間なのですが、このフィッシュヘッドは自ら脱ぎ捨てた貝殻を建築物として自分の外側に再構築したのです。
④「人体の条件」
フィッシュヘッドと研人界との交流を示す貴重な遺構です。どうもスキー板や山の上に登るリフトを作るのに、研人文化圏から技術者を招いていたらしいんですね。研人界は文明の発展を計画的に統制してきた社会で、論理的に組み立てることのできるタイプの技術に関してはかなり進んでいたとみられます。このような性格はフィッシュヘッドの奔放さとは相性が悪かったはずですが、どこかで折り合いのつくところを見つけて協力体制をとったのでしょう。別の史料からは、鮗高原で「スキーの幽霊」「空を周回するリフト」などと呼ばれる怪現象が頻発し、研人界の技術者がそれを許容しなかったらしいことが読み取れます。
研人は単純な構造をしていながら最小限の頭と四肢を備えているので、彼らの作った機構は人の形をしていればどの種族でも使うことができたといいます。今で言うユニバーサルデザインですね。
さて、ここからはゲレンデの建設予定地となる丘陵部に移りましょう。
⑤「古き良き」
建物遺構を越えてすぐのところにある造形物です。雪だるま、うさぎ、魚はタモロコであることが分かっていますがともかく川魚、こうした組み合わせは唱歌の「ふるさと」のような古き良き日本の田舎のイメージを想起させます。雪だるまの手として使われている魚も、テクスチャが単純なため他のオブジェクトと質感が揃っていて、製作者が柔らかな世界観のもとで一貫して作品を作っていることを感じます。
⑥「おたまじゃくしの町」
「戸」という文字のうち尸の部分は、四角く膨らんだ胴体に尾が生えた形をしており、おたまじゃくしの象形文字と考えられます。尸の上についている横棒は、おたまじゃくしマンのかぶっている烏帽子でしょう。そのように見ていけば当然、「八」が人型の胴体に対応します。
⑦「粘質」
鮫の仲間だけで複数種のフィッシュヘッドが確認できます。当時の大洗は観光地として栄え、ここにも大洗マリンタワー、アクアワールド大洗、大洗磯前神社、ガールズ&パンツァーの戦車が意匠されています。アクアワールド大洗では多くの鮫が飼育されていたようです。しかし私が注目したいのはさめびとたちの体表の質感で、全て丸みを帯びた体つきに合うように光沢のあるテクスチャを使っているんですね。滑らかで途切れのない触感はそれだけで性的さを帯びます。その中にあって細く尖った尾びれの先端などは、全体に漠然と感じられていた官能を収束させる焦点として機能します。どのオブジェクトも、色合いは単純なパステルカラーを使っていてメルヘンな雰囲気ですが、メルヘンさを底で支える官能の手触りをよく捉えていると思います。それらは決して矛盾するものではないはずです。
⑧「外なるもの」
全面に派手な絵を印刷したりオリジナルキャラクターを主題にしたりするのは、Tシャツなどでは受け入れられがたいエプロンの特権ですね。注目すべきは「フィッシュスレイヤー」と「Predator」で、この二つはどちらも魚を害するものを描いています。題名の語感の強さからも、食べられることを自然の摂理として受け入れず敵とみなす、魚の視点に深く寄り添う姿勢を読み取ることができます。おそらくはフィッシュヘッド自身にも同じことが言えて、作者は外部からの文化的な侵略の可能性を意識していたのではないでしょうか。
この造形物は斜面の真ん中にあり、スキーのジャンプ台として使うことを想定されたものと思われますが、雪庇から蟹のはさみのようなものが突き出ており、注意しなければスキー板を傷つけたでしょう。しかしこれは罠や教訓を意図したものではなく、雪の中に埋もれていたのがたまたまここに持ち上がってきたと私は考えます。広大な鮗高原の凍土の下には、まだ私たちの知らないフィッシュヘッドの痕跡が埋まっているのかもしれません。
⑨「心頭滅却」
カジキヘッドたちが凍った仲間を窯で融かしてから、引き出してきて蘇生を試みているところですね。しかしそれにしては、凍ったままのカジキをもう一尾飾って満足げにしている様子が不思議です。別の解釈としては、カジキヘッドが仲間割れを起こし、粛清として一人を窯で焼こうとしている様子を象ったものとも考えられます。この場合、窯で焼くと凍るという矛盾した状況を想定するしかありません。
窯に入れる/窯から出す、焼ける/凍るという相反する二つの状況が重ね合わせになっている構図は、矛盾や違和感を許容するフィッシュヘッド芸術の精神をよく表現しています。
⑩「悠々」
深海を思わせる青で四方を囲み、最小限のオブジェクトだけを配したシンプルな構図が、シャチヘッドの大きさや悠然とした動きを引き立たせています。シャチは深みに向かい、人型の胴体は眠ったように横たわっている姿勢も、水上の俗世を離れて精神的な探求に向かう態度を物語っています。唯一の異物としてある人間型のサイズ比較パネルは、そのような深みにあっても孤独ではないという集合無意識説に似た信念を表しているのでしょうか。
⑪「適材適所」
オオグチボヤの使い方としてこれ以上ないデザインでしょう。木の棒で鍵盤を押すと音が出る仕組みは今でも機能しており、見かけによらずシンプルでかわいい音が出ます。鍵の数と同じ十七匹のオオグチボヤがいるところにも作者のこだわりが感じられ、一匹が一音に特化しながらも全体としては調和した音楽を作れるという構図は、これまでに発見されたフィッシュヘッド遺跡群の縮図です。
⑫「深みからの声」
プレコはアマゾンの川に住む魚で、この造形物は川の上に木が生い茂っているという熱帯雨林の風景を意匠しているものとみられます。インペリアルゼブラプレコマンが顔を出している土管も、地球の反対側に通じているイメージで配置されたものでしょう。同時に、アンテナに似た形状の木は、フィッシュヘッドたちの何らかの主張を吸い上げて水上の世界へ発信するという意味合いを持っています。
⑬「中継地点」
雪上に作られたシェルターのようなかまくらの中に、作者自身がフィッシュヘッドについて見聞きした事柄を記した本を収めた遺構です。フィッシュヘッド芸術を外の世界に持ち出す試みに言及してもおり、内部で爛熟を迎えた文化が外へ飛び出そうとする過渡期を象徴する作品の一つといえるでしょう。「1 PLUS 1 IS…FISH!!」という意味深な記述はおそらく、フィッシュヘッドが半人半魚というような妥協の産物ではなく、人と魚を完全なまま持ち寄って何も失わないように結合した、創造的な存在であることを主張していると考えられます。
⑭「極点」
鮗高原のほぼ中心の丘の上に位置する遺構です。調査チームの中でも、これがフィッシュヘッドから頭を奪っているところなのか、それとも頭を失ったものに頭を与えているところなのか意見が分かれています。頭を失ったものに頭を与えているところだとすれば、フィッシュヘッド誕生神話の未だ語られざる一場面ということになり、フィッシュヘッドから頭を奪っているところだとすれば、古い時代のフィッシュヘッドから新しいフィッシュヘッドへの転換を象徴的に表しているとも考えられ、いずれの場合でもフィッシュヘッドの歴史観の中で重要な瞬間であることから、私たちは「極点」と呼んでいます。
造形の上でも、ケンタウロスの胴体の躍動感と、人の胴体の脱力した様子の対比が見事です。長芋村で発見された大型彫像、私たちはミノカサゴマン像と呼んでいますが、そちらとも共通する肉体美の表現に優れています。人の胴体の脱力も、頭を奪われて脱力したとも、これから頭を与えられて力を取り戻すともとれる微妙な境界をうまく捉えており、相反する要素が共存しているという点でも神話的な性格を備えていますね。
余談ですが、フィッシュヘッドの間には長い間「フィッシュヘッドの『胴体』とはどの部分のことを指すのか?」という論争があったことが知られています。三つ首のフィッシュヘッドケンタウロスはこの論争をさらに複雑にするものです。胴体が五つありますからね。
なお、発掘直後からこの彫像の付近には見物客が多く訪れており、一部では「首ったけ」に通じるとして恋人の聖地のような扱いを受けているそうです。
⑮「地の震え」
ロフトのような構造を備えた小さな部屋です。目立ちませんがアンモナイトらしき化石が浮かんでおり、梁から吊るされた振り子と合わせて考えれば、ここは地震の観測施設のような役割を持っていたのではないかと推測されます。どちらも、地下深くで起きていることへの関心を表しているということですね。
⑯「反魂迎え」
一見して分かるのは、これがアーグデーラや異世界魚頭防衛戦線防衛委員会のような異世界訪問の概念を下敷きにしているということです。臙脂色の円盤は、異世界へのゲートとしてフィッシュヘッド芸術に頻繁にみられるものです。しかしここではどうやら、死後の世界からの復活を表しているようなんですね。高坏に座る五人のフィッシュヘッドからは、異世界ゲートを伴う他の作品にはない儀礼の痕跡を感じますし、無数に並べられた剣は死者が戦死したことを仄めかしています。高坏の五人のフィッシュヘッド像にはそれぞれ銘が付されていて、これは魚の生態や逸話を教える目的かと思われるのですが、興味深いのは中央のカツオマンが骨だけの姿であって「帰ってきた御先祖様」の銘がついていることです。これはおそらく、死んだ姿である骨を媒介として死後の世界と感応する呪術的思考の表れであり、獣や魚の骨を洗い清めて自然に返す北方アジアの民族の伝統とも繋がりを持っているとみられます。
さらに、この遺構の手前に方形の穴が開いているのも注目すべき点です。死後の世界からここに落ちてきた後、さらにここから落ちていくことができるわけです。つまり、私たちの生きているこの世界が「底」であって、異世界や死後の世界からここに帰ってくるべきだ、という考え方ではなく、それらとも違う別の世界がまだあって、生者の世界はそこに行くまでの通過点にすぎないんだという考えを表しているんですね。
⑰「ヘッド」
これも調査チームを悩ませた出土品の一つですが、全体の形が下に向かって口を開けた猫の顔、あるいは上に顔を向けた鼠に見えることから、「ヘッド」と呼んでいます。猫――あるいはカワウソでしょうか?――や魚やスイカが乱雑に組み合わされたこの作品は、「組み合わされた」という性質を極限まで押し進めたものとみれば、あくまでフィッシュヘッドの延長線上にあるといえます。現在知られているフィッシュヘッドは、明確な魚の造形、明確な胴体の造形、そして明確なそれらの境界を持っていますが、こうした明確さは既成概念の産物であり、もっと破天荒に組み合わせてもよいのだ、そうなっても依然フィッシュヘッドなのだ、とこの作品は主張しているようです。(会場「とってもビョトー!」)
⑱「群体の末端から」
人体、電灯、配管、ポリプなど様々な見方ができますが、これら全ての重ね合わせとみるべきでしょう。つまり人体を、ポリプのような群体であり、配管のように遠くへ腕を伸ばして繋がっていくものであり、電灯のように何かの情報を外へ放射するものであるとみなす人間観がここに反映されているということです。腕の末端についている球体は電球のようでもあり魚卵のようでもあり、やはりここから新しいものが伸び出ていくことを表しています。境界を曖昧にして溶け合いながら未知のものを生み出そうとするような造形は、分類や体の構造に不明な点が多いウィワクシアと、奇妙に共鳴するところがありますね。
⑲「傷の距離」
仮設リフトの建設後に、その上に忽然と出現していた造形物です。通常の方法では登れない場所にあるのですが、棘のあるウニ男を鑑賞するのにちょうどいい距離ではあります。円対称なウニは、回転するリフトとも相性がいいと思いますね。
⑳「人には人の」
私たちの知る「フランダースの犬」によく似たモチーフですが、特筆すべきはマナガツオマンの頭と胴体が別々に運ばれているところです。ここに「頭(魚)と胴体(人)にそれぞれの魂がある」という発想があることは明らかで、フィッシュヘッドの本体は頭であるというような考え方をとっていないのですね。フィッシュヘッドには死後の世界や理想郷が空にあるという考え方はなかったと思うのですが、この作品が鮗高原で一番高いところに置かれているのは、天国の概念を他の文化圏から輸入してきたことを暗示しています。
㉑「開扉」
カイロウドウケツをこじ開ける手、中にある鍵、中央のマンボウ、そこから飛び出す腕というモチーフは、全体として新しい表現や活動への飛躍を表しているとみられます。マンボーマンから始まり、外へと溢れ出して外界を変えていこうとするフィッシュヘッドの在り様を象徴したものです。これが鮗高原の端の方にあるのは、変化は辺境から来るという歴史の常套句を念頭に置いたものかもしれません。
カイロウドウケツの外にいる三人のヘッズが、もはや魚を頭とせず、質素な植物を生やしていたり何も生やしていなかったりするのは、フィッシュヘッドの本質が魚ではなく生命の質感そのものにあること、それを備えていさえすれば何を頭にするかは一人一人に委ねられていることを主張しているのではないでしょうか。作者は生命の最も素朴なといいますか、あるがままにある形態というのを、実は植物に求めているのではないかと私は思います。
以上が、鮗高原でこのたび発見されましたフィッシュヘッド遺構の解説になります。まとめといたしましては、魚の頭に人の胴体というフィッシュヘッドの典型的な特徴を前提としながらもそこから一歩踏み出すような、文化的な過渡期の様相を呈しており、長芋村などより時代の進んだ文化の遺物として位置づけることができるでしょう。これらの遺構はスキー場の建設以後も保存され、観光資源として修復・公開される予定だと聞いております。私としましては、今後も発掘調査や文献調査を通じて、今は地上から姿を消したフィッシュヘッドたちの姿により一層迫っていきたいと考えております。私からは以上になります。(会場から激しい怒号の数々)
〈以上〉