「コンドルは飛んでいく」自由研究

私にとって、これまでもっとも演奏した回数の多い曲、それは間違いなく「コンドルは飛んでいく」です。今日までの35年の演奏経験の全ライブの半分以上では演奏していたはずです。最初はたぶんボンボで、小学3年~高校生まではケーナで、そしてプロ活動を始めてからはギターで、本当に数多くのフォルクローレのミュージシャンの方と各地で共演してきました。 

以前担当していたラジオ番組…FM愛媛の『スパニッシュ・カレント~不思議な風』で、数回にわたって企画した「1曲特集」で「コンドルは飛んでいく」ばかりを放送した回がありました。子どものころから両親(南米音楽の熱心な愛好家)や先輩から聞いた情報でそれなりに知っていましたが、台本を書く際にあらためて調べたところ、興味深いことがたくさんありました。※1

なぜ私はこの曲をこんなにも数多く演奏してきたのか、「演奏してほしい」と頼まれたからだけでなく、自分も含めてこの音楽に関わる人にとって、きっとさまざまな意味がある「コンドルは飛んでいく」について書いてみたいと思います。

文章だけでは曲をご存知ない方にまったく伝わらない内容かもしれないので、曲を聴けるリンクをいくつか配置しています。なお例によって今回も長文で、内容もどんどんマニアックになっていくと思うので…どうかご了承ください。


日生劇場で「コンドルは飛んでいく」を演奏 

2022年7月30日、31日に開催された『日生劇場ファミリーフェスティヴァル~アラジンと魔法の音楽会』は本当に素晴らしい舞台でした。2020年から延期になっていた企画で、オーケストラの一部のメンバーの方は事情により交代があったものの、発表当初と同じキャスト、同じスタッフで千穐楽までこぎつけたのは感無量でした。フラメンコ歌手の石塚隆充さん、パーカッショニスト大儀見元さんと、ワールド・ミュージック・トリオの一員としてこのステージに関わることができてとても幸せです。※2

この舞台のテーマの1つは「世界の音楽」。書き下ろしの楽曲に加えて、クラシックから20世紀に世界的に知られた名曲まで、さまざまなリズムや楽曲を紹介していくという構成でした。作曲の加藤昌則さん、脚本の清水彩果さんと、ワールド・ミュージック・トリオ担当の瀬戸雅美さん(アテネ・ミュージック&アーツ)の打ち合わせの中で、演奏曲目に「コンドルは飛んでいく」を入れようという話になり、曲についてこちらが知っている限りの情報を提供したところ、劇中のセリフやパンフレットにも採用いただきました。とてもありがたいことです。

さて、このテーマについて、舞台稽古に参加した時点で3つのことに気づきました。

1・「コンドルは飛んでいく」がオーケストラで演奏されたこと
さまざまなオーケストラからこの企画のために編成された「ニッセイシアターオーケストラ」(指揮・大井剛史さん)のみなさんと共演することができました。加藤昌則さんによる編曲でオーケストラの前奏→ギター2台とパーカッションで一節を演奏→オーケストラと合奏、という構成で、最高の経験をさせていただきました。

「コンドルは飛んでいく」はもともとペルーのサルスエラ(オペレッタ)で初演はおそらくオーケストラによるもの。オリジナルとアレンジは異なりますが、日本でこの曲が日生劇場のオーケストラで4回続けて上演されるなんて、かなりレアな機会だったかもしれません。

2・実はメロディーをギターで弾いたことがほぼなかったこと
自分はギターでこの曲をおそらく600回以上は弾いているにも関わらず、ギターでメロディーを弾いたことがほとんど(たぶんソロで1回しか)ありませんでした。ギタリストとしてこの曲と向き合ったときの99%以上はケーナなどメロディー楽器に合わせた演奏だった、ということです。

舞台「アラジンと魔法の音楽会」の関係者の中で「コンドルは飛んでいく」にもっとも関わりの深い人間でありながら、人前ではたぶん人生2度目くらいにメロディーを弾く、しかもそれを熟練の専門家であるかのように弾く、これはけっこうなミッションでした。本番までの準備では、ほぼほぼこの部分の練習に割いていたような気がします…。

3・この曲を今の子どもたちはどれくらい知っているのだろうか…
長い間「コンドルは飛んでいく」は小学校6年生ごろの音楽の教科書でリコーダー演奏の曲として存在してきました。おそらく当時の先生方や親の世代にとっての認知度がもっとも高かったと思われる時代。林間学校のキャンプファイヤーでケーナ独奏で吹いたこともありました。ちなみに私が小学校6年生の時には「アンデスの祭り」(原曲は『マリポーサ Mariposa』というボリビアの曲)という曲もあったので、今思えばかなりアンデス寄りの教科書だったと思います。

それから30年、ふと思ったことが、今の子どもたちはこの曲を学ぶ機会はあるのだろうか…調べたところ、2020年度(令和2年度)の音楽の教科書(教育芸術社)には…コンドルは飛んでいく…ありました!もうしばらくは教育現場では受け継がれていきそうです。

ちなみに原題は「El Cóndor Pasa」
エル・コンドル・パサ、エルコンドルパサー…『ウマ娘』に出てくるキャラクターの由来ですよ。1990年代後半に活躍した競走馬を思い浮かべたら、もうそれなりのお年頃です。

 

コンドルは飛んでいく=ケーナの曲?

南米ペルー生まれの「El Cóndor Pasa」は、現在は「ケーナのスタンダード曲」または「フォルクローレの代名詞」として認知されています。これからケーナの演奏を始めたい人がいるとしたら、アンデス音楽のディープな曲にあこがれている人も、みんなが知ってるポピュラーな曲をケーナで吹きたい人も、「コンドルは飛んでいく」は必ず通る道、といっても過言ではないと思います。

曲をよく知らない人でも、時々テレビ番組でペルーやコンドル(鳥)の映像に合わせて流れる曲、また都市部にお住まいの人なら2~3年前まで駅前でよくアンデス地方出身(と思われる)ストリートミュージシャンが演奏していたあの音楽、とくればピンとくるかもしれません。

ケーナ奏者の方とご一緒する際、オリジナル作品メインであったり、ボリビア(ペルーの隣国)の音楽が中心の構成では「コンドル」はプログラムに入らない(むしろあえて外す)ことも多いですが、呼んでいただいた公演、学校や施設での演奏にはほぼ100%この曲が入ります。何よりも、この曲が入っているかどうかで演奏会場に広がる「安心感」が違います。それはかなり偉大なことです。

・野外イベントやストリートでこの曲を演奏するとギャラリーが必ず増える(コンドル効果)

・早く演奏しないとお客さんから「いつコンドルやるのか」と思われがち
(プログラム前半2~3曲目あたりが定位置)

・「フォルクローレって?」「コンドルは飛んでいくなどの…」「ああ、」
(とりあえず説明はこれで済んでしまう)

新聞、地元タウン誌などでコンサート情報、プロフィールや音楽への思いを紹介された最後に
演奏予定曲/コンドルは飛んでいく 花祭り  ほか
(宣伝や文字数の都合で他の曲が入らない)

「あるある」ネタは尽きませんが…演奏者の立場から、好む好まざるは別としても、この曲さえあればコンサートが成立してしまう、「フォルクローレ」「アンデス」要素が一度に満たされる、という点で、プロアマ問わず多大な恩恵をうけてきたスタンダード曲である、それが「コンドルは飛んでいく」です。※3

世界的に知られるまで

ではそもそも「コンドルは飛んでいく」はどのようにして有名になったのか。例えばプログラムで紹介するとしたら、

「ペルーの作曲家ダニエル・アロミア・ロブレスによって作曲され、サイモン&ガーファンクルによって世界的に有名になった、フォルクローレ・主にケーナで演奏される代表的な曲」

というのが定番だと思います。年代が書かれたり、どういうタイプのリズムかが説明されることも多いですが、おおむねこんな感じです。そしてサイモン&ガーファンクルの歌のバックで流れていたケーナやチャランゴの音色は、南米(主にアルゼンチン)出身者で構成されフランスで活動していた「ロス・インカス」による演奏でした。

ではこの間に何があって「サイモン&ガーファンクル」に至ったか、自分が知っている範囲で、「コンドル~」が世界的に知られるまでをざっくり年表にしてみました。

1913 サルスエラ 『El Cóndor Pasa』 作曲(Daniel Alomía Robles)

1933 3部構成に編曲されたピアノ譜がアメリカの出版社に登録

1955 エドゥアルド・ファルー版『El Cóndor Pasa』 邦題:鷲は過ぎ行く

1958 ヨーロッパでケーナを中心としたアンサンブルでレコードがリリース

1963 「ロス・インカス」版 『El Cóndor Pasa』 発表

1965 ポール・サイモンが「ロス・インカス」と出会う

1970 Simon & Garfunkel 「コンドルは飛んでいく (If I Could)」発表

Chiei調べ

聞くところによると、「El Cóndor Pasa」作者のダニエル・アロミア・ロブレスは研究者としても名高く、各地に伝わる音楽や伝統的な奏法にかなり精通していたそうです。実際に「コンドル」のメロディーの多くが5音階を基調としていて、民俗音楽がかなりモチーフとして用いられていると解釈できます。きっと、かなりのマニアだったと思います。

しかし、1913年発表のサルスエラ『El Cóndor Pasa』の音楽には全部で7つのパートがあるものの、実はあの有名なメロディーの出だし「ターラーラーラーラー」は含まれていなかったようです。

El Cóndor Pasa(Zarzuera復刻版)
動画リンク 

AVIRUKÁ

オリジナルのサルスエラ復刻版を観ると、最後のカーテンコールで演奏されているパサカジェ(ダンサ、フォックス・インカイコ)のザッ、ザッ、ザッ、ザッ、というリズムに合わせて、現在もケーナやチャランゴ等で中間部としてしばしば演奏される同一の音型「ターララララ」というメロディーがありました。逆にいえば、その「ターララララ」というメロディーを引き伸ばして現在の「ターラーラーラーラー」になったのではないか、いつからそうなったのか?かなりマニアックな話になってまいりました。※4

私は最近まで(というよりついさっきまで)「コンドルは飛んでいく」を現在知られているスタイル(サイズ)にしたのは「ロス・インカス」だと思っていましたが、そうではないようです。調べたら、1933年に作曲者D.A.ロブレス自身の編曲とされるピアノ譜で、あのメロディー「ターラーラーラーラー」が登場していました。そしてアメリカのEdward B. Marks Music Corp(マークス・ミュージック)に登録とあります。ロブレスはちょうどこの年までアメリカに滞在していたそうなので一致します。ここでサルスエラ(上演時間で換算するとかなり長くなる)サイズから3パートに短くなり、演奏時間も4分半という絶妙なサイズになっていました。

El Cóndor Pasa (1933ピアノ編曲版)
動画リンク

AVIRUKÁ

しかし序曲(前奏)後にくる、あのメロディーを細かく聴くと、

♪ ターラーラーラーラー ラーラーラーラー ラーーー
↗ター↘ラー
↘ラー↘ラー↘ラー
↗ター↘ラー

なんとなくメロディーが短いというか、早めに下がっているような気がしますよね。そう、オリジナルの長さがこれです。パサカジェのメロディーをそのまま引き伸ばすとこのサイズになります。ペルーやボリビアのケーナ奏者の中には今でもこの長さにこだわって演奏する人もいますが、これが理由と考えられます。

では、今知られている、

♪ターラーラーラーラー ラーラーラーラー ラーーー
↗ター↘ラーー
↗ター↘ラー↘ラーー
↘ラー↘ラー↘ラーー
↗ター↘ラーー

太字の部分、二段階で上がる部分はどこで付け足されたのか、そのヒントが次にありました。

日本で初めて聴かれたとされるアルゼンチンのギタリスト、エドゥアルド・ファルーの「鷲は過ぎ行く」(直訳としてはむしろ正確)の初録音が1955年だそうなので、おそらく1933年のピアノ編曲がベースになっていると思われます。この曲を聴くと、微妙ですが(音は上がってはいませんが)

↗ター↘ラーー

がギターで何回かリピートされており、なんとなく聞き覚えのある構成になっています。


Eduardo Falu “El Cóndor Pasa”
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そしてようやくケーナが登場します。ペルーやフランスのサイトの情報からですが、アンデスの楽器で演奏された最古?のレコードは1958年の「アチャライ Achalay」というグループが発表したという情報まで確認できました。リーダーはリカルド・ガレアッツィという人で、もともと「ロス・インカス」の初代チャランゴ奏者・音楽監督だったそうです。そのガレアッツィの後を引き継いだのがホルヘ・ミルチベルグでした。したがって、このあたりのラインで「ケーナで演奏するコンドル」が確立されたと推測できます。


Los Incas “El Cóndor Pasa”
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1963年に「ロス・インカス」発表のレコード
『LES FLUTES INDIENNES DES “LOS INCAS”(Philips)』 
に収録されます。ちょっとずつアレンジされながらも、これで現在につながる「コンドルは飛んでいく」になったというか、世界標準っぽい雰囲気になっています。

そして、これが扉を開くきっかけとなりました。後にインカスのコンサートを聴いたポール・サイモンが気に入ってこの曲に歌詞をつけて発表することになります。

Simon & Garfunkel “El Cóndor Pasa (If I could)”
Spotify音源リンク

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1970年発表、サイモン&ガーファンクルの最後のスタジオアルバム『明日に架ける橋』に収録され、シングルカットもされて「El Condor Pasa」は一躍世界的に知られることとなりました。


ホルヘ・ミルチベルグの存在

その録音について、おそらく間違いないと思うのですが、「ロス・インカス」の音源にサイモン&ガーファンクルのボーカルをそのまま重ねて収録されています。注意深く聴いてみると、歌の後半(2分10秒あたり)のチャランゴのメロディーがやや強引にリピートされる形で挿入(パンチ・イン)されていたり、ラストにワイノ(カシュア)に行く部分がひゅっとカットされていたりしました。

なぜそうなったのかは諸説あるらしく…子どものころ父から聞いた情報では、最初サイモン&ガーファンクル単独の録音だったはずが、ホルヘ・ミルチベルグが自分たちの演奏を入れるように要求してきた、というもの。

しかもクレジットでは作曲者が ”EL INCA” エル・インカというホルヘ・ミルチベルグのペンネームになっていて、自分の作品として登録してしまったというのですから、この説は当たっているか「中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず」な説かもしれませんね。

ここだけ書くとこの人、すごく悪い人に感じられてしまうのですが、実は「フォルクローレ」を語る上では絶対に外せない重要人物でもあります。

ホルヘ・ミルチベルグ(Jorge Milchberg)は1928年アルゼンチン生まれ、若くしてフランスに移住し、「ロス・インカス」に加入後は音楽的な支柱として、数々の作品を発表しました。その存在感は「ロス・インカスはホルヘ・ミルチベルグが立ち上げたグループ」と認識されていたくらいです。実際に私もその作品のいくつかをよく演奏してきましたし、世界観にあふれた素晴らしい作曲・編曲の作品が数多くあります。

でもなぜ、「コンドルは飛んでいく」を作者不詳の伝承曲、どころか自分の作品として発表しようとしたのか…正直よく分かりません。単純に知らなかったとは思えないので、本人や周囲の人間の意思か、わざとでなくても著作権という概念への認識があいまいだったのか、「サイモン&ガーファンクル」の力で急に自分たちが世界的な存在となったことに精神がついていかなかったかもしれない、とも考えられます。

…ちょっと話はそれますが、特に1950~70年代は中南米各国の多くの若者が祖国を離れヨーロッパやアメリカで音楽活動をしていたといいます。

この時代、日本では「戦後~高度経済成長の平和な時代」で括られていますが、世界に目を向ければ戦争・紛争・対立だらけ、中南米も当時かなり不安定だったそうです。今も安定しているとはいえませんが、はるかに露骨だったようで、チリのクーデターや、最近来日したウルグアイのムヒカ大統領(当時)のエピソードからもうかがい知ることができます。

政治やイデオロギーの話になると大きくなりすぎるので、これ以上詳しくは触れませんが、とにかく当時の世界情勢の影響というか副産物として、さまざまな名曲がヨーロッパやアメリカを経由して世界中に知られることになりました。中南米出身者にとって、自分たちのルーツにまつわる音楽を演奏するということは、メッセージや想いを伝える大変重要な手段であった、といえます。

…さて話を戻して、結局「コンドルは飛んでいく」の著作権については、ダニエル・アロミア・ロブレスの関係者(親族?)から訴えられます。幸いポール・サイモンが手続に協力的だったようで「コンドルは飛んでいく」はペルーのダニエル・アロミア・ロブレスの作曲、に落ち着きました。

いろいろあったようですが、「ロス・インカス」そしてホルヘ・ミルチベルグの存在が「コンドルは飛んでいく」を広く知らしめるきっかけとなったのは間違いありません。ちなみにポール・サイモンとの交流はその後も続き、1970年代に「ウルバンバ」という別名義のユニットも立ち上げています。
※5


中南米の曲は「カバーされてなんぼ」

以後「El Cóndor Pasa」は世界各国の演奏家、特にケーナ奏者のいるグループによってものすごい数の演奏・録音がなされました。これは持論ですが、中南米の音楽は「カバーされてなんぼ」の文化があると考えていて、「コンドルは飛んでいく」は「私たちの音楽」としてアンデスという存在を発信するための、もっとも強力なコンテンツとなりました。

歌詞もさまざまなバージョンがあり、私もいくつか(完璧ではありませんが)知っています。「コンドルは飛んでいく」はもともと当時の社会問題(欧米資本の鉱山で超ブラックな環境で働く労働者の姿を描いているそうです)がテーマになっていて、ポール・サイモンも直接的ではないものの、そこからインスパイアされたメッセージ性の強い内容の歌詞を書いたと言われています。

一方で後からつけられたペルーやアルゼンチンの作詞家による歌詞には「インカ」とか「太陽」とか「苦しみ」というフレーズが付加されて、現在に至る「アンデス」「フォルクローレ」のイメージが全て盛られた形で再構築されていきました。

こうして、「曲やメロディーの持つ魅力・魔力」「社会情勢」「インフルエンサー」など全ての条件がそろって、「コンドルは飛んでいく」はスタンダード曲になっていったのかもしれません。

すっかり長くなりましたが、最後に私の最も好きなバージョンのひとつをご紹介します。レイモン・テヴノ―というスイス出身のケーナ奏者で、ケーナが好きすぎてペルーの人になってしまった演奏家です。ペルーの楽器や奏法で再構成された「コンドルは飛んでいく」です。

この曲が時代や地域を超えて、現在もいろいろな形で多くの人の心の中にある、それを意識しながらこれからも演奏していきたいと思います。

Raimundo Thevenot 「El Cóndor Pasa」
Spotify音源リンク
 

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※1 FM愛媛『スパニッシュ・カレント~不思議な風』
第161回 「コンドルは飛んでいく」聴き比べ 2018.6.2放送
・放送したバージョン
1.ロス・インカス Los Incas
2.サイモン&ガーファンクル Simon & Garfunkel
3.レイモン・テヴノ― Raimundo Thevenot
4.クリスティーナ&ウーゴ Cristina y Hugo
5.ハイメ・トーレス Jaime Torres
6.ウルバンバ Urubamba

※2 日生劇場ファミリーフェスティヴァル『アラジンと魔法の音楽会』 の記事リンク

【ライブレポート】日生劇場ファミリーフェスティヴァル2022~アラジンと魔法の音楽会

智詠ブログ"spac"

『アラジンと魔法の音楽会』特設ページ

日生劇場

※3 フォルクローレについて
「フォルクローレ」というのは一般的には「民族・民俗の」という意味で、英語でいう「フォークロア」にあたります。南米音楽の中でも特に伝統楽器を使った音楽や民俗要素の強い音楽に用いられる表現で、日本ではケーナやサンポーニャといった笛、チャランゴという小型の弦楽器、ギター、ボンボという太鼓、そしてボーカルという編成がビジュアルやサウンドのイメージとなっています。特にアルゼンチンではタンゴやロックなどと区別するために「Folklore(またはイタリア語表記のFolclore)」が多用されており、アルゼンチン音楽用語でもあります。

アルゼンチンのフォルクローレはケーナやサンポーニャよりギターとボンボ、歌と踊りが中心で、この20年ほどはロックバンドの野外フェスなどとだいたい同じスタイル、一方ではコンテンポラリーなサウンドで静寂な現代アートのような雰囲気のパフォーマンスと、やや二極化している傾向にあります。文字では伝わりにくいですよね…いずれにしても、日本の現在の「フォルクローレ」のイメージからはかなり遠い位置にあります。

1960年代~70年代にヨーロッパ(特にフランス)で活動したアルゼンチンやチリ出身のミュージシャンらが「フォルクローレ」という言葉と音楽を結び付け、それが日本にやってきて定着した、という説が有力と考えています。本文に登場したロス・インカスのホルヘ・ミルチベルグを含めて多くのアルゼンチン出身のミュージシャンが当時ヨーロッパでの「フォルクローレ」シーンで活躍、来日公演も数多く行っていました(実家にある雑誌『中南米音楽』を読んだりして知りました)。

一方、1970年代後半以降日本で人気が広がっていったボリビアの音楽ではこの表現を避ける傾向にあるようです。知人のボリビア人から「フォルクローレ」というフレーズはほとんど聞いたことがありませんし、ボリビアに滞在した経験のある日本人の方もこの表現を積極的には使わず、例えばムシカ・アンディーナ(アンデス音楽)といった表現に置き換えています。

なお、「フォルクローレ」については友人のチャランゴ奏者桑原健一さん(ボリビア滞在歴10年)のYouTubeチャンネル「KencharangoTV」で分かりやすく解説されています。

ゆっくり解説【フォルクローレってどんな音楽?】

KencharangoTV

※4 サルスエラ「コンドルは飛んでいく」について
動画は2013年に「コンドルは飛んでいく」100周年を記念したプロジェクトのものと思われます。この動画を知るきっかけとなったのが、ペルー音楽に詳しい水口良樹さんの記事でした。曲について考察された文章を読み、とても勉強になりました。

水口良樹のペルー四方山がたり>知られざる「コンドルは飛んでいく」

ラテン音楽webマガジン eLPop

※5 「ウルバンバ」はポール・サイモンのプロデュース、ホルヘ・ミルチベルグとの共同作業的なグループだったようで、「ロス・インカス」とメンバーは基本的に同じみたいです。「ロス・インカス」の活動は継続しつつ、ポール・サイモンが関わったプロジェクトでは「ウルバンバ」を名乗っていた、という印象です。

といっても、「コンドルは飛んでいく」以降「インカス」のメンバーはすでに入れ替わっているようで、実家から送ってもらった1974年のレコード『URUBAMBA』のジャケット画像に写っているメンバーはホルヘ・ミルチベルグ、エミリオ・アルテアーガ・キンターナ、フアン・ダレーラ、クンボ・クヌボベッツ(ホルヘ・クンボ)。ケーナ奏者フアン・ダレーラの代役でウニャ・ラモスがポール・サイモンのコンサートツアーに参加したこともあるそうです。

追記:ちょうどこの記事を書こうと思っていたところ、ホルヘ・ミルチベルグ氏の訃報を知りました(チャランゴ奏者福田大治さんのSNSより)93歳。Que En Paz Descanse どうか安らかに…

Jorge Milchberg "El Cóndor Pasa" charango solo
Paris,2006

Los Incas YouTube channel(official)


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