フラメンコには「スタンダード曲」がない?(後編)
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私はガットギター(スパニッシュ・ギター)専門で、フォルクローレ・タンゴ・フラメンコを中心に活動しています。フォルクローレには「コンドルは飛んでいく」「花祭り」、タンゴには「ラ・クンパルシータ」「リベルタンゴ」といった、そのジャンルをご存知ない方でもどこかで聴いたことがある曲があります。また、他にも世界のさまざまな地域の音楽でも「代名詞的な曲」が多く存在します。
でもフラメンコには「フラメンコといえばこの曲!」と、初めての方に紹介できる曲は…これまでの自分には見つかりませんでした。もちろん紹介したい名曲・名演はいくらでもありますが、「ああ、それ知ってます!」という返事がもらえたら、その方はほぼ100%フラメンコのアーティストか (他ジャンルの)ミュージシャン、フラメンコにとても詳しいアフィシオナード(愛好家)です。
一般的にフラメンコの音楽でまず思い浮かぶのは、特に日本ではまず「星のフラメンコ」「ジプシー・キングス」「スペイン(チック・コリア)」といった「インスパイア系」の存在感があまりにも大きい、ということを前編で書いてきました。ここから後編、というか「本編」くらい長くなりそうなので、目次をつけています。
「スタンダード」が生まれにくい理由
ではなぜ、スペインの、スペイン人による「フラメンコ」にこれまでスタンダードがなかったのか、それにはきっといくつかの理由があるはず…と以前から考えてきました。思いついただけでも7つほどありました…。
1・フラメンコのイメージ
「フラメンコ」という言葉を聴いて思い浮かぶのは、ベタですが「情熱」と「哀愁」という2大フレーズはもちろん、「情念をあらわすバイレ」「魂を震わせるカンテ」「激しくかきならすギター」「渾身のパルマ(手拍子)」そして「オーレ!」と、いずれも振り切った表現が目立ちます。
今でもしばしば登場するのが「バラをくわえている女性」のイメージ。フラメンコの踊り手の方が最初に「フラメンコではバラをくわえることはありません」と説明するのはよくあることですが、実際にビジュアルイメージとして強烈にインプットされていますし、テレビや動画で俳優や芸人さんが定期的に具現化してくれます。あるいはそれ以前に「フラダンス」との言い間違いやイメージの混同もしばしば発生しますが…。
なぜそうなったのかは諸説ありますが、ビゼーの『カルメン』でホセがカルメンに花を渡すシーンがあり(オリジナルはカシアの花、またはカーネーション)、どこかの演出で花をくわえたのではないかということ。推測ですが、そのシーンを引用したどこかのショーか映像で、バラの花をくわえる演出がウケた、ということも考えられます。
またアメリカのブロードウェイでも活躍した伝説の舞踊家「カルメン・アマジャ」をはじめ、現代にいたるまで多くの女性舞踊手が頭に花のコサージュ(バラの造花が主流)を身に着けていたことも、フラメンコダンサーとバラの花の画→くわえる、と結び付けられる要因となっているかもしれません。いずれにしても、フラメンコでバラはくわえません。
実際に現地では「情熱=パシオン」というフレーズもポピュラーに使われていましたが、よくフラメンコの表現として用いられるのが「ドゥエンデ」という言葉。概念というか抽象的なものも含まれるので、うまく表現できないのですが「感情」や「魂」、清濁併せもった「オーラ」を含めて、その場がまるでゾーンに入ったように共鳴しているような状態…書けば書くほど伝わりにくいですね。とにかく「ドゥエンデを感じる」「ムイ・フラメンコだ」これはフラメンコにおいて最上級の褒め言葉です。
その反面、どんなに演奏の技術が高くても、メロディーが美しかったとしても、「ムイ・フラメンコ」なものを感じさせないとまったく評価されない、という現象がしばしば発生します。フラメンコの歌やメロディーは、それ自体にとても魅力があるものですが、フラメンコの持つエネルギーが強烈であるがゆえに、音楽の具体的なメロディーやフレーズよりも先行してしまい、結果的に「激しいもの」「すごいもの」という印象だけが強く残ってしまう可能性があります。そしてフラメンコを観たことのある他ジャンルのミュージシャンも、実際に演奏となるとうかつに近づきにくい雰囲気があるかもしれません。
2.フラメンコの曲の構造とリズム
2つ目に、フラメンコの曲が持つ独特の構造があります。フラメンコには、例えばポピュラーソングのようにイントロ→Aメロ→Bメロ→サビ、という構造はなく、(すべてではありませんが多くの)民俗音楽や民謡のように、1~2つのメロディーを繰り返すこともありません。
フラメンコの曲の構造をざっくりとチャートにまとめるとこんな感じです。
現代フラメンコを代表するカンタオール(歌い手)の1人、エル・ポティートの「ブレリア」です。当時20代前半でしたからおそるべしです。ギターのマヌエル・パリージャの演奏がまた素晴らしいです。
さて、このチャートは理解しやすいのか、理解しにくいのか、私もよくわからなくなってきました…とにかく共通しているのはモード(スケール・旋法)がある程度一定ながら、曲の構造と進行が基本的に一方通行なので、フレーズやメロディーを一回で覚えるのはとても大変だということです。
その反面、大まかな構造と進行はそのままなので、歌い手・踊り手・ギタリストなどのメンバーが変わっても、歌詞・振付・ファルセータ等が入れ替わるだけなので、「曲名」ではなく「曲種名(形式)」であらわすことで演目が成立します。なので、経験を積んだアーティストは例えばタブラオ(フラメンコのライブハウス)で初顔合わせであっても、短い打ち合わせで上演可能になります。
もちろん、互いに信頼関係を築いたメンバーであればあるほど、より精度は高くなります。実際にスペインからの来日アーティストのチームは、ファミリーや幼なじみだったり、同じ地域の出身者(在住者)で固められていたりもします。劇場公演であれば、照明のタイミングなどもあるのでよりタイトに構成される必要があり、チームの結束力がカギとなります。
この部分だけでも、フラメンコは「スタンダード」とはかなり離れた、どころか相反する場所にあることがわかります。みんなが知っている曲を、という安心感よりも、何が来るかタイミングを逃がせない緊張感というか、その場の即興のような雰囲気を客席でもステージ上でも味わえる、そこがまさに醍醐味なのかもしれません。
もう1つのネックがリズム。フラメンコのリズムの大半が「3拍子系」、それも12拍で周回するリズムになっています。よく時計に例えられたりもしますが、一周することから、「コンパス」といわれています。
スペイン・へレスの象徴の1人ともいえるギタリスト、モライート。私は2003年に現地のフェスティバルで何度も観ることができて幸せでした。
ブレリアの場合、さらに6拍ずつに区切ったり、リズム遊びのようにアクセントを細かくずらしたりします。フラメンコを知りたいプロのミュージシャンも苦労するリズムですから、初見で理解するのは至難の業だと思います。さらにフラメンコのリズム(コンパス)に関しては「絶対に外してはならない」という鉄の掟のようなものがあります。
こうしたリズムの難しさもまた「スタンダード曲」が生まれにくい大きな要因となっていると考えられます。それでもあえて、もしフラメンコを知らない人に対してリーチする、少なくともフラメンコのリズムを知ってもらうとしたら、かなりの工夫が必要になります。
1990年代~2000年代は特に多くのアーティストが作品(CDなど)を発表していましたが、1曲目はルンバなど、分かりやすくキャッチ―なメロディーの曲で始まる傾向にあったように思います。実際にスペイン国内でもフラメンコのアーティストの曲でヒットチャートに載るような曲はだいたいこうした「普通の4拍子」の曲だったはずです。よりポピュラー音楽に舵を切った「フラメンコ・ポップ」「フラメンコ・チル」と呼ばれるスタイルも生まれました。
およそ20年間にわたって活躍、「フラメンコ・ポップス」の礎を築いた「ケタマ」のライブ音源です。グラナダのフラメンコ一族「アビチュエラ」のファミリーで、私のスペインでのギターの師匠(ベンハミン・アビチュエラ)は親戚にあたります。
日本のアーティストでは、私も長くご一緒しているフラメンコ歌手の石塚隆充さんは、テレビに出演した際にはあの「ボラーレ」を歌っていました。長年サポートメンバーを務めてきたフラメンコギタリストの沖仁さんも、フラメンコのリズムに親しんでもらうために、あえてクラシックやジャズのスタンダード・ナンバー、日本の歌謡曲などをフラメンコにアレンジする試みをしていました。私もその内の何曲かのレコーディングに参加しています。
他にも以前、自分が参加したり観たりした舞台では、ポピュラー曲をフラメンコの解釈で演奏したり、和のテイストを盛り込んだ演出にしたり、さまざまな試みがなされています。
3.「インスパイア系」の存在(元祖~現代)
前編に書いた内容と重複しますが、”外国”から描いたスペインやフラメンコのイメージはとても強いです。さらにこの「インスパイア系」は古くから存在します。
ビゼー(フランス出身)の『カルメン』はまさにスペインが舞台、ラヴェルの「ボレロ」もスペイン舞踊がテーマになっています。ラヴェル自身がフランス・バスク地方出身で地理的にスペインのバスク地方に近く、当初は『ファンダンゴ』と名付けられる予定だったそうですが、最終的には「ボレロ」となりました。
さらにさかのぼると、フランスのボーマルシェの戯曲『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』はそれぞれロッシーニとモーツァルトによって舞台化され、世界各地で上演されてきました。スペインをテーマにした作品の多くがスペイン国内ではなく、他のヨーロッパの国で生まれました。もちろん自国以外で生まれた「異国情緒」を感じさせる名曲は世界各地にありますが、スペインをテーマにした「外国作品」がこれだけ多く今日まで愛されているというケースは珍しいかもしれません。
現代作品では、ビル・ウィーラン(Bill Whelan)作曲の舞台作品『リバーダンス』が挙げられると思います。アイリッシュダンスをテーマに世界的にヒットした作品で、日本ではフィギュアスケートの演目としてもおなじみ。フラメンコをモチーフにした演目「ファイアダンス」が有名で、初演とオリジナルアルバムはフラメンコダンサーのマリア・パヘス、ギターはラファエル・リケーニがソリストを務めています(下のリンク音源とは別バージョンです)。ちなみにリズムはアイリッシュとのブレンドらしく7拍+7拍+6拍+7拍となかなかハードですがクセになります。
そして、「前編」でも紹介したジプシー・キングス、さらにミュージシャンにとっては「スパニッシュ」「フラメンコ」への思いを満たしてくれる点ではジャズ・ピアニストのチック・コリア(「スペイン」の作者)の存在がやはり大きかったと思います。チック・コリアはジャズとロック、ラテンを融合させた「フュージョン」のパイオニアの1人して知られていますが、フラメンコをモチーフにした作品も数多く、スタジオアルバムとしてはおそらく最後の作品となる『スパニッシュ・ハート・バンド(Antidote)』ではフラメンコギタリスト、パコ・デ・ルシアのバンドメンバーだったホルヘ・パルド(フルート・サックス)やニーニョ・ホセーレ(ギター)を迎えています。
生涯を通して作品を発表し続けたそのエネルギーは本当にすごいと思います。チック・コリアが亡くなったニュースは私もショックでしたが……個人的には、日本のジャズファン界隈で語り草となっているとされる『ライブ・アンダー・ザ・スカイ』に出演したパコ・デ・ルシアのライブ音源(ゲストでチック・コリアが共演)が最近になってリリースされたのがうれしかったです。1981年の東京・田園コロシアムでのステージ(4日目、野外でかなり大雨だったそうです)は大変な盛り上がりっぷり。40年前の音源で、ノイズ除去等で音質はだいぶ変わってしまっていると思われますが、それを軽く超越してしまう鮮度抜群の演奏。初期のパコ・デ・ルシア セクステットとチック・コリアのコラボは気迫がすごくて感動しました。ネット(各種サブスク)でも聴けますがCDも注文しました。
4.「スペインに影響をうけた音楽」の存在
最近出会えた音源にいささか熱くなってしまったので落ち着いて…フラメンコにスタンダードが生まれにくい理由、続いて、逆にそのスペインから直接影響を受けた(ダイレクトに支配された歴史がある)中南米の国々の存在です。19世紀までに植民地から独立した各国はそれぞれに(それ以後も含めて)大変な歴史をかかえていますが、その副産物として、スペインをはじめヨーロッパからの文化が流入して、特に20世紀にかけてさまざまな名曲が生まれました。
「スペイン音楽から影響を受けた」というのは中南米の音楽を紹介するときの決まり文句でもありますが、20世紀以降は逆にスペイン国内で中南米生まれの曲が人気となっていったようです。やはり言葉が同じスペイン語であるというのは大きいですね。
ちなみに20年ほど前(2000年代前半)スペイン滞在時によくCDショップに行っていたのですが、スペイン国内のアーティストと中南米出身のアーティストが特に分類されることなく棚に並べてあったことに驚きました。ヒットチャートも日本でいう「邦楽」「洋楽」のように分類されることなく共通で、平積みで置かれていたので、今スペインで人気の歌手なんだ…と思ったらメキシコやコロンビアの人だった、というのはちょっとしたカルチャーショックでした。
このことはおそらく「スペイン国内の(歌謡曲の)スタンダード」さえも分かりにくくなる、という現象を生み出しました。以前聞かれた「フラメンコだけでなく、スペインのポピュラー曲は?」という質問にもすぐに答えられなかったことを思い出しました。自分が長く滞在していたのは2002〜2003年だったので、アレハンドロ・サンスやダビッド・ビスバルが人気、あと「アセレヘ」が流行っていたと答えたような気がします。
5.20世紀中盤のスペイン情勢
これに関連して、現在「スタンダード曲」と呼ばれる曲には1930年代~1970年代に生まれた、あるいはヒットした作品が数多くあります。言い方を変えれば、この期間に「スタンダード認定」された曲が今もずっと親しまれている、ということになります。その時期のスペインは…内戦と、それに続く長い独裁政権下にありました。皮肉なことに、かつてスペインの植民地だった国(北アメリカの一部~メキシコから南のほとんどの中南米諸国)の音楽が世界的に知られていった時代と重なります。
その南米も、前の記事で書いたように、この時期(特に1950~70年代)はクーデターも多く過酷な環境でした。別の国に拠点を移すアーティストも多かったですが、その行先はアメリカやフランス、イタリアなどで、もっとも縁が深いはずのスペインに渡って活躍した、という話はこの期間に関してほとんど聞いたことがありません。
ではフラメンコはどうだったか、これは非常にデリケートな問題で取扱注意なのですが、フラメンコを始めた「ヒターノ(ロマ)」の人々は長い間差別や貧困に苦しんできました。フラメンコがそういう境遇から生まれたことは広く知られていますが、その一方で、そのフラメンコは彼らにとって重要な「生活の糧」でもありました。
当時もフラメンコに関わる人々の多くは苦しい立場に置かれてきたそうですが、一方でフラメンコのアーティストたちの優れた表現を「観光資源」として活かそうとしてもいたようです。これには世論も、アーティストたちの間でも賛否両論があったようですが、アメリカなどに拠点を移したり、国内にとどまって活動しながら、その灯をつないでいたといいます。
ちょっと難しい領域になりそうなので、このあたりの歴史についてはもっと勉強が必要ですが、政権が変わった1980年代以降は急速に変化して、いま私たちが描いている(外国から見たイメージの)スペインになっていきました。それまでに多くのフラメンコアーティストが世界各地で公演を重ねてきたのは本当にすごいことだと思います。映像作品も数多く発表されて、スペイン=フラメンコのイメージがますます強くなって、より多くの人がスペインへ憧れを持つきっかけとなりました。私もその1人でした。
6.「スペイン」「クラシック」「フラメンコ」の距離感
フラメンコを演奏するようになったころ、気づいた点が2つありました。それは「スペイン国内では、フラメンコはそれほどポピュラーではないかもしれないこと」「クラシックとフラメンコには、思った以上の距離感があること」でした。
フラメンコの本場、アンダルシア地方でさえも、「フラメンコは私たちの文化」と誇らしく言う人と、期待してやってきた人に対して「フラメンコはそんなに有名じゃないよ」さらにはっきり「No」という人に分かれ、フラメンコに対する感情にはかなり温度差を感じました。これはあくまで個人の感想で最新の情報ではありませんが、やはり歴史やそれに基づく差別の問題は今も根深く残っているでしょうし、スペインの人が見たフラメンコのアーティストやファンに対するイメージの良しあしも反映しているでしょう。
実際にスペインでのフラメンコは今の日本でいう「演歌」「民謡」的なポジションでありつつも、さらに若干アウトロー的な香りを伴う位置にあります。2000年前後にフラメンコダンサー主演の映画がいくつか作られましたが、かなり裏社会感のある世界が描かれていました。ちなみにスペインにはフラメンコとは別に「コプラ」というジャンルがあって、そちらの方が「演歌」「民謡」に近いかもしれません。
一方、スペインの「クラシック」と「フラメンコ」の関係については、少なくとも日本ではフラメンコよりもクラシックの方が「知っている人口」が多いと思います。クラシックギターを演奏する方であれば、「アルハンブラの想い出」「禁じられた遊び(愛のロマンス)」という2大有名曲、そして「フランシスコ・タレガ」「フェルナンド・ソル」、そして「アンドレス・セゴビア」「ナルシソ・イエペス」らの人物名は必ず出てくるでしょう。
さらにイサーク・アルベニスやマヌエル・デ・ファリャなどの作曲家は、スペインの民謡や、それこそフラメンコに着想を得た作品を書いていますし、劇作家フェデリコ・ガルシア・ロルカの作品は、クラシック・フラメンコそれぞれの解釈でさまざまな編曲がなされて、現代でも再演されたり新作が発表されたりしています。
でも、スペインのクラシックとフラメンコの間には、近くて遠いというか、予想以上の隔たりを感じます。実際に関わる人が異なるからといえばそれまでですが、音楽に対する考え方も大きく異なると思います。
なお楽器も「クラシックギター」と「フラメンコギター」が同じ工房で作られていたりしますが、見た目はほとんど同じでもそのコンセプトは真逆です。クラシックはフラメンコのつぶれたような音は基本的に(譜面にそう書かれている場合を除いては)ご法度ですし、フラメンコでもクラシック的な響きは「音はきれいだけどそれはフラメンコじゃないね」と、むしろネガティブな評価を受ける場合があります。
それは楽器の構造にも表れていて、例えばフラメンコギターには「ゴルペ板」という、透明のピックガードのような薄いアクリル板が貼ってあって、叩きながら弾いても傷がつきにくい構造になっています。ちなみに「智詠さんのフラメンコギターは小さいのですか?」とよく質問されますが、基本的にギターのサイズはほぼ同じです。余談ですみません。
これは日本国内での印象ですが、「クラシックギターは正確で美しいタッチ」「いやフラメンコギターのリズムと勢いはすごい」とそれぞれの演奏家やファン同士が互いに認め合いつつも距離を保っている…というのが、「中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず」なところでしょうか。どちらも習得にはたくさんの知識と経験が必要なので、なかなか立ち入りにくいというか、お互いにその大変さが感覚的に分かるのだと思います。
またクラシックギターの経験者がフラメンコギターに「転向」する例はあっても、その逆はあまりありません。ただ私の友人には両方高いレベルでスイッチできる凄腕ギタリストもいるので、将来的にはこの状況は少し変わっていくかもしれません。
7.パコ・デ・ルシアと「ファルセータ」
フラメンコを音楽としてとらえた場合、「歌」「ファルセータ(フレーズ)」単位で進んでいきます。「歌」はけっこういろいろな歌手が同じ歌詞(伝統曲、同地域・同世代の有名歌手が歌う歌詞)を歌ったりしますが、「ファルセータ」に関しては、基本的にはギタリスト(最近ではピアニストも含め)自身が作ったものを弾く、というのが慣例になっています。
これは裏返すと「他の人のファルセータを(基本的に)弾いてはいけない」になります。例えばブレリアのファルセータなら、その地域で長く演奏されているファルセータや、同じ一族のギタリストのファルセータなら「オーレ!」と言ってもらえますが、別のギタリストの有名ファルセータを弾くと「イミタシオン(モノマネ)だ」と急に現場のテンションが落ちる可能性があります。
昔、ビデオでギタリストのパコ・デ・ルシア(この文章に何度も登場していますが自分にとっては神様のような存在です)のドキュメンタリーをよく観ていたのですが、若き日のパコが滞在先のアメリカで大先輩のサビーカスの前で演奏する機会があり、そこで他人のファルセータを弾いたところ「自分の曲を弾かなくてはだめだ」と言われた、というエピソードがありました。
パコはごく初期にそれこそスタンダード・ナンバーを集めた「ラテンの名曲」アルバムを発表したこともありますが、それ以降のソロアルバムでは、ほぼ自作の曲のみを発表、全編カバー・アレンジのアルバムはスペインのクラシック曲に挑戦した『マヌエル・デ・ファリャを弾く(1978)』、『アランフエス協奏曲(1991)』、そして遺作となった『アンダルシアの歌(2014)』くらいしかなかったと思います。
パコ・デ・ルシアをご存知の方は、先述のチック・コリアもそうですがジョン・マクラフリン、アル・ディ・メオラとの「ス―パー・ギター・トリオ」のイメージが強いかもしれません。その超絶テクニックはもちろんですが、同時にフラメンコ屈指のメロディーメーカーでもありました。
そしてすごいのが、ハナウタで追える印象的なメロディーでありながら、そのほとんどが再現不可能なほどに難しいこと。私もいくつかのファルセータのコピーを試みたことがあり、学生のころの発表会で弾いたこともありましたがそれはそれは大変でした……。今は人前で演奏することはなく、自分の技術向上と個人の楽しみのためだけに練習しています。でもいつかパコ・デ・ルシアのファルセータでセッションしてみたい、とも考えていて、同じように考えているギタリストもきっといると思います。
パコだけでなく、どのフラメンコギタリストもそれぞれ素晴らしい「ファルセータ」を持っています。それは例えばステージの中では「そのギタリストならではのサウンド」であり、踊り手や歌手とのチームでは、「ファルセータ」の存在こそが「ギタリストがその人である」ことの何よりの証になります。
一族の間、師弟の間で受け継がれたとしても、ファルセータは基本的にはその人のものです。こうした点からも、やはりフラメンコのメロディーは「スタンダード曲」にはなりにくいのかもしれません。
そうした中、1973年に発表のアルバム『Fuente y caudal』の一曲目に収録された『Entre dos aguas(二筋の川)』はスペインでも大ヒットしたそうです。私も来日公演では4度聴くことができました。テーマはルンバで即興性が高く、フラメンコの数ある曲の中では他ジャンルのギタリストによってカバーされている希少な存在です。今もなお、最も「スタンダード曲」に近い存在の1つかもしれません。
オリジナル音源
カバー音源
パコ・デ・ルシアも残念ながら2014年に亡くなりましたが、今後はもしかしたらフラメンコ内外を問わず、パコのファルセータを弾くギタリストが増えるかもしれません。
その1つが「ZYRYAB シルヤブ」という曲。1990年発表のアルバムタイトル曲で、スペイン(イベリア半島)にギターの祖となる楽器を持ち込んだといわれる伝説のリュート奏者の名前です。以後パコ・デ・ルシアのライブ映像のほぼ全てでこの曲がラストナンバーとして演奏されていて、アラブ風のメロディーにジャズの要素も取り入れており、セッションには最高のナンバーです。
ちなみに「ZYRYAB」は、かつてジョン・マクラフリンやラリー・コリエルらとの共演で演奏された「ミーティング・オブ・スピリッツ」という曲が原型になっていると思われます。このアルバムではゲストでチック・コリアが参加しています。(後にチック・コリアも自身のアルバム等でカバーしています)
フラメンコに「スタンダード曲」は必要か
ここまでさんざん「スタンダード」と書いてきましたが、「じゃあフラメンコで”スタンダード・ナンバー”が生まれるにはどうしたらいいのか」ということを書きたかったか、というと、そこまですることはないかも…というのが、ここまで来ての現時点での結論です。長文を読んでいただいたのに、なんだか「ちゃぶ台返し」になってしまってすみません……。
みんなが知っている曲があるというのは素晴らしいことです。しかし、常にその曲の影がちらついているというのは、演奏者にとっては悩ましいことですし、聴く側にとっても「スタンダード曲」を期待するあまり、他の素晴らしい曲や表現を見落とすことにもなりかねません。
先ほどフラメンコのアーティストのチームが「ファミリー」などで固める場合が多いと書きました。とにかく彼らは家族との結び付きや出身地への誇りがとても強いです。芸名で一族の「屋号」を名乗ったり、名前に出身地を入れたりするアーティストもたくさんいます。
スペインの中でも決して開かれた文化ではなく、フラメンコに関わる人々の中で大事に守られてきた文化である、という方がしっくりきますし、前提として「スタンダード曲」を最初から求めていない、それどころか「スタンダード曲なんか生まれてたまるか!」という気概すら感じます。
フラメンコの中に「わかりやすいスタンダード曲」がなく、その外側に「インスパイア系」があふれた状態というのは、むしろ今のフラメンコにとっては良かったのかもしれない……とも思えます。実際に演奏や踊りのステージでは、「これが自分たちのフラメンコだ」とやりたいようにできますし、安易に外部から入れないことで「純粋=プーロ」な部分が守られる、ともいえます。観客も奏者も、ひたすらその場で起こることに身をゆだねることができるのはスタンダードがないことの一番のメリットかもしれません。
自分でも(フラメンコでない)公演では「わかりやすい曲」を弾いてきましたが、一方で「フラメンコはアンダルシアのヒターノたちのもの」「分かりにくいままであってほしい」と思っている自分もいます。なんともめんどくさい思考です。
伝統音楽、民俗芸能とよばれるジャンルには多かれ少なかれ「聖域」が存在します。「ここはこう表現するべきものだ」「そこは変えてはいけない」という不文律のようなもので、絶対ではありませんが、そこに関わる人の集合意識のようなものです。年代を経れば多少の変化はあるでしょうが、結果的に今残っているものが「伝統」とされ、映像や音声の記録がある現代以降は、よりそのままの形で保存されていく可能性もあるでしょう。
一方で、伝統音楽の担い手の中には「今からの新しい流れも必要だ」と考えてさまざまな試行錯誤しながら作品を生み出す表現者もたくさんいます。とにかく今の音楽の情報量が膨大なので、その影響を受けてまったく違う形になっていくかもしれません。
個人的にはどちらも大事だと思っていて、なんでもかんでも今風にすればいいってもんじゃない、でも昔のスタイルをそのままなぞっているだけでは「生きた音楽」にならない、という内外の葛藤があるからこそ、素晴らしい表現が生まれるものだと考えています。さらに言えばそれらを同時に表現するのも可能で、実際に「伝統」と「革新」を両立させているアーティストもいます。
ただその入口(または外周)として、「スタンダード曲」はあってもいい、フラメンコの場合はたまたま「ジプシー・キングス」になったかもしれませんが、それがきっかけで、アンダルシアのディープなフラメンコにはまっていくとしたら、それもまた素晴らしいことかもしれません。「ジプシー・キングス」はフラメンコじゃないから、ではなくて、ジプシー・キングスのおかげで、と考えながら、これからも大切に演奏していきたいと思っています。
最後になりましたが、フラメンコ「インスパイア系」の中でも私が特に好きなナンバーを1曲ご紹介したいと思います。
スペインの国民的スター、アレハンドロ・サンスの「12 por 8」という曲です。8分の12拍子=1コンパスという意味であることは間違いないでしょう。歌詞にはフラメンコ史に残るカンタオール「カマロン」の名前も出てきます。
たとえ「スタンダード曲」が生まれなかったとしても、フラメンコが多くの人々の心をゆらして、スペインだけでなく世界中で影響を受けた作品が生まれて続けていったら、まさにそれ自体が「スタンダード」になっていくかもしれません。私も、もっとフラメンコを学びながら、新しい作品をつくり続けたいと思っています。