泣きながら“ランバダ”を歌う

このところ続けて書いてきた記事で、私が演奏しているジャンルの代名詞的な曲、あるいは「スタンダード」について考えてきました。その中で、個人的にもう1曲だけどうしても書きたい曲がありました。「ジョランド・セ・フエ」という曲です。このタイトルではピンとこないかもしれませんが、この曲、世界的にはまったく別の名前で知られています。そのタイトルは”ランバダ”といいます。
 


ランバダとは?

「ランバダ」は1989年に発表され、キャッチ―なメロディーとノリのいい軽やかなリズムで世界的なヒットとなり、当時を代表するクラブミュージックの1つとなりました。日本ではちょうど昭和から平成となり、バブル絶頂…というタイミングだったこともあり、時代を象徴する曲の1つだったかもしれません。
 
“Lambada” Kaoma

 
リアルタイムで知らない若い世代も、たまに当時の映像のBGMで使われたり、この時代を描いたドラマのシーンでしばしば流れているのできっと聴いたことがあると思います。
 
“Lambada”はフランス・セネガル・ブラジルのアーティストによる混成ユニット「カオマ」が発表、ポルトガル語で歌われました。前奏と間奏などのメロディーは(あとで知りましたが)バンドネオンで演奏されています。
 
ブラジルやフランスのダンスミュージックには明るくないので詳しくは書けませんが…そもそも「ランバダ」というのはもともとブラジルを含むラテンアメリカのダンスミュージック(フォホーやクンビアなど)の要素を取り入れて、ブラジルのクラブシーンで踊られていたそうです。しかし、「ランバダ」という名のこの曲が登場してからは、この曲と(ダンス形式としての)ランバダはほぼイコールになっているかのようで、「Lambada」でいくら探しても、この曲しか出てこないほどの存在感を今もなお放っています。
 
でもこの「ランバダ」、実はオリジナルでもカバーでもなく…「盗作」された曲でした。当時ニュースにもなりましたが、さすがに30年以上前のこと…検索して調べない限り、あまり出てこない情報です。
 
さて、私は「ランバダ」が世界的に知られる前から、この曲の存在を知っていました。なぜならそれは自分が幼いころから好きで聴いていた南米ボリビアの「カルカス」というグループの「泣きながら」という曲と同一のものだったからです。
 
私は今よりもはるかに身体が小さい5歳の時にコンサートでこの曲を含むカルカスの演奏を来日公演で観て、それが決定的なきっかけで楽器を演奏するようになった元・カルカス少年です。そんな私にとって、大事な曲の存在が目の前で書き換えられる「ランバダ」の登場は事件というか、ちょっとした「トラウマ」ですらありました。

原曲は「泣きながら」

あらためて「ランバダ」の原曲…「ジョランド・セ・フエ Llorando se fue スペイン語で"泣きながら" 」を発表したのは南米ボリビアの「ロス・カルカス Kjarkas」というグループで、リーダーのゴンサロ・エルモーサとウリセス・エルモーサの兄弟が1981年に作詞・作曲しています。翌1982年に発表のレコード『Canto a la Mujer de Mi Pueblo』に収録されていて、アルバム発表から40年にあたります。ちなみにこのアルバムには『Wa ya yay』など、後にカルカスの代表曲となる曲も数多く収録されています。
 
Spotify リンク
Llorando se fue (1982)

 カルカスのメンバーであり今も現役のガストン・グアルディアをソリストとしてフィーチャーしていて、サンポーニャ(管楽器)とボーカルを担当しています。当初リズムは「サヤ」と表記されていましたが、現在ではボリビアの舞曲の形式名の1つ「カポラレス」あるいは間をとって「サヤ・カポラル Saya Caporal」と表現しています。本式のSayaはちょっとアフロビートっぽい雰囲気があり、隣のブラジルとも地理的なつながりを匂わせます。
 

ブラジルで先にカバーされていた

実は以前から、「盗作」に関して気になることがありました。「ランバダ」は当初は「チコ・デ・オリベイラ」という人物の作とされていましたが、前奏も間奏もまったく「泣きながら」と同じ、歌詞もスペイン語からポルトガル語に訳され、歌詞の音感もそのままトレースされています。ボリビアのグループの原曲をダンスビートの形にアレンジして売り出しヒットさせる力があるのなら、なぜわざわざボリビアの曲を丸々コピーしてブラジル経由でフランスで「自分の作品」として登録する必要があるのか…ずっと引っかかっていました。
 
あらためて調べてみたら…やっぱり出てきました。1986年にブラジルのマルシア・フェレイラMárcia Ferreiraによって歌われた「Chorando se foi」。これが正真正銘の「カバー」だと思われます。

Márcia Ferreira  "Chorando se foi"

聴いてみると、リズムはブラジルのダンスビート、ポルトガル語で意味は少し変わっていると思いますが、やはりオリジナルにかなり寄せた音感になっています。というか、「ランバダ」はまさにこの「Chorando se foi」の丸写しであったことがわかります。
 
ということは、「作者・プロデューサー」(チコ・デ・オリベイラ…本名・オリヴィエ・ロルサックとジャン・ゲオルガカラコスという人物らしい)はカルカスの存在を知らず、ブラジルで見つけたマルシア・フェレイラの音源を持ち帰って自身のプロデュースする「カオマ」の作品として勝手に使った、という可能性もあります。
 
「たまたま同じになった」「思いついたメロディーは遠い記憶の中で別の知っている曲のもので気付かなかった」「あえて4小節以内の引用(本歌取り)をした」など、曲の一部の詞やメロディーが同じになることは、現在でもけっこうありがちなことです。

しかし、ここまで同じだったらかなり悪質、を超えたチャレンジャーです。遠い南米の曲、たとえオリジナルが別にあると知られたとしてもここまで同じだったら、きっとカバーだろう、誰も『盗作』とは思わないだろう…ところがここまで世界的にヒットしてしまったのは、もしかしたら本人たちも想定外だったかもしれません。

そもそもカルカスもすでにこの曲をヨーロッパ公演でやっていてライブ盤(1982)にもなっています。原曲を知っている人は「ああ、カルカスの曲を別名でとりあげてヒットしたんだな…ぬあに作者が別人!?」となったことでしょう…。

ランバダの広がりと収束

中南米音楽には「カバー文化」があり、名曲をいろいろなアーティストがカバーしあってシェアされていく習慣があると考えています。しかしこれはまったく別次元の話です。しかも昔は中南米やアジア、著作権の概念が弱かった国の作品のメロディーが、ヨーロッパなど外国の作品内で勝手に使われていたという話を聞いたことがありますが、いずれにしても、これはかなりやばい案件でした。
 
ちなみに日本でも『CHA-CHA-CHA』で知られる石井明美さんなどがカバーしています。さらに加藤登紀子さんが『Revolution(シングル)』のカップリング曲として「ランバダ」のタイトルで発表して歌ったこともあり、それをテレビで観た私の父が「これはいかん」と動いてコンタクトをとり、登紀子さんご本人から直接電話をいただいたこともありました(確か私も電話の近くにいました)。
 
それでも、この曲は「大ヒット」であったがゆえに「トレンド」になって、ファッションの移り変わりとともに聴かれなくなっていったと思われます。(「盗作」であったことも水を差す形となりました)。一方、裁判ではカルカスやブラジル国内での権利を持っていた(らしい)マルシア・フェレイラが勝利、結果的には「カルカス」の知名度が一気に上がることとなりました。
 
しかしその反動でしょうか、「泣きながら」作者の1人で「カルカス」のソングメーカーであったウリセス・エルモーサが1992年に38歳の若さで亡くなりました。もう30年になるのですね……。

「泣きながら」を歌う

「ヒット曲」としてのランバダは収束しましたが、その後定期的にリバイバルすることになります。例えば80年代サウンドのリメイクのムーブメントに合わせてジェニファー・ロペスが2012年に『on the floor』でこのメロディーをモチーフとして使用、またスペイン・カタルーニャのシルビア・ペレス・クルスが「Lambada」をカバーしています。
 
Jennifer Lopez “On the floor (ft. Pitbull)”

 
Silvia Perez Cruz “La Lambada”

※Silvia Perez CruzのCDにはKjarkasとクレジット表記されています

私も時々ライブやイベントなどで「Llorando se fue 泣きながら」を歌うことがあります。ソロライブや「ウタウアシブエトリオ」「アビエルト」そして最近では「3人アンデス」松山公演でもご一緒しました。ボリビアと縁の深い方との共演は特別な感覚があります。

何を隠そう、1987年のカルカス来日公演の際のパーティーで、私たちの家族グループでカルカス本人の前でこの曲を演奏したという思い出は今でも宝物です。それから30年あまり経て、自分のCDにも収録しました。
 
ちなみに「3人アンデス」リーダーの秋元広行さん(ボリビア在住)の盟友の宍戸誠さんは「カルカス」の現メンバー、「アビエルト」のリーダーのバンドネオン奏者早川純さんのフランスでの師匠はフアン・ホセ・モサリーニさんで、なんとあのカオマ版「ランバダ」でバンドネオンを弾いていたその人だった…という、かなり遠いですが間接的なご縁があります。
 
曲が知られても、カルカスの名声を上げることになっても、この曲のメロディーは「ランバダ」として世界に記憶・記録されている、というのは今も複雑な思いがあります。でも、そもそも作者を知らなくても(たとえ関心がなくても)楽しむことができることこそ「スタンダード・ナンバー」たる所以です。むしろ本家本元の今のカルカスの演奏には「ランバダ」に登場するオブリのメロディーをちゃっかり逆輸入しているたくましさがあります。

オリジナルタイトルよりも別名でのカバーの方が知られる、これも名曲の形かもしれません。でも形が変わっても曲のもつ魅力が損なわれることはない、ジョランド・セ・フエはこれを何より証明している名曲だと思っています。

 
Kjarkas “Llorando se fue”

 Kjarkas official  ※2020年ライブ配信より



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