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アタシックレコード~私的備忘録(3)

昭和備忘録(3)

潔癖症の食事情

潔癖症と食

なぜ、そうだったのかはわかりませんが、
父は極度の『潔癖症』でした。
特に、『食』に関しては、病的なほどです。
なので、子供の頃は、
人とは違う経験をしたように思います。
ちょっと、そのエピソードを書いてみます。

食べられない病

父は他人が作ったモノが食べられませんでした。
母や身内が作ったモノなら大丈夫。
あと、キチンとした食品会社?
いわゆる、市販のモノは平気でした。
なぜか、レストランなどの飲食店で
職人(料理人)がキチンと作ったモノも
大丈夫だったようです。
(すべての飲食店ではないようですが…)
問題なのは、他人の家に訪問した時です。
そういう時は、たいてい、
お茶や茶菓子が出てきます。
まず、その出されたお茶が飲めない訳です。
もちろん、茶菓子にも手を出しません。
ましてや、手作りのモノなどもっての外です。
そうなると、困るのは同伴した私たちなのですが、
決まって言う言葉は、
「せっかくだから、いただきなさい」
同伴者には、いただくことを促すのですが、
本人は、一切口にしません。
子供心に、「何でだろう?」とは思いました。
でも、父親に出されたモノをもらえる訳で、
こちらも、得した気分になります。
傍から見たら、子供思いの父親。
そう見えるかと思いますが、
単純に『食べられないだけ』だった訳です。
そのことを私が知るには、
まだまだ歳月を必要とする訳ですが…。

ちなみに、仕事などで遠出する場合、
どうしてもの時は、
飲食店などで渋々食べるようですが…。
基本的に自宅まで我慢できる場合は、
断食状態で帰宅していました(笑)
当人曰く、一日くらいなら
食べなくても全然大丈夫のこと。
戦争を知っている世代は、
断食慣れしているようです…。

食卓での出来事(コロッケ問題)

我が家の食事は、基本的にはすべて母が作ります。
困るのは、出来合いのモノをいただいた時です。
ある時、近所のオバちゃんが、
「安かったからたくさん買ってしまった」と言い、
コロッケをお裾分けにきました。
当然、食卓にこれが出される訳です。
普段だったら、母が
「ご近所さんからのもらいモノ」と、
キチンと父に言う訳です。
その日は、たまたま、
それを言い忘れてしまいました。
それを知らずに、
父がコロッケを一口食べてしまったのです。
箸を置き、父が一言、
「これ、お前が作ったのか⁉️」
母は、「あっ!」とした表情。
「ご近所さんからのお裾分けです…」
「言い忘れていました…」と返答。
すると、父が、
「だと思った‼️」
「そういう場合は、小皿に分けて1人分づつ出せ!
そうすれば、察しがつくだろうが!」
要は、大皿に盛って出すのではなく、
わざわざ小分けにしてあれば、ことがわかる。
そういうことのようです。
緊迫の瞬間でしたが、
食べたのが一口だけだったので、
事が大きくならずに済んだ…。
そんな感じです。
でも、「一口でわかるモノなんだ」
ある意味、父親の『舌』には感心させられました。
という訳で、
我が家では、コロッケは基本的に手作りでした。
当然、『じゃがいも』を蒸す作業から始める訳です。
蒸したモノを潰して、具材とこね合わせ、
カタチを整えてから、それを揚げる。
かなり、手間がかかるモノなのですが、
これが当たり前のことでした。
それ故に、『コロッケがおかず』という日は、
何か特別感があった気もします(笑)

コロッケはじゃがいもから手作り

値引き品

そういう父だったので、
『食』に関しては、
母はかなり気をつかっていたように思います。
よく、スーパーなどで、
賞味期限(消費期限)が近づいたモノを、
何割か値引きして販売しています。
我が家では、これもバツでした。
『どうせ買うなら、新鮮で良いモノ』
というのが父の考え方でした。
もちろん、『良いモノ』といっても、
高ければ良いという訳ではありません。
価格相応、納得できる範囲内ということは
前提条件となります。
ある時、母が値引き品を買ってきました。
調理してしまえば、わかるまい。
そういうことのようです。
もちろん、
値引きの証拠隠滅はキッチリしてのことです。
いざ、食卓に。
調理された料理を一口食べた父が一言。
「〇〇の味が良くないな~」
「どこで買ってきたモノ?」
「これからは、そこで〇〇は買うな!」
さすがに値引き品とはバレませんでしたが、
ドキリとする瞬間でした。
それにしても、舌というかカンの鋭さは、
「何なんだろう⁉️」
といった感じです。
一種の能力なのかもしれません…。
ちなみに、そういう環境に育った訳ですが、
個人的には、舌がバカなのか、
そういうことは全然わかりません…。
どちらかと言うと、
「すぐ(その日)に食べるなら、値引き品で良い」
といいますか、
「値引き品、ウェルカム!」
「安く買えて、ラッキー!」
そういう感じなのですが…。

値引き品は基本NG

料理が口に合わない場合

『食』に対するこだわりの弊害はまだあります。
それは、母が作った料理が口に合わなかった場合です。
普通の人でしたら、
食べないで残したりして、意思表示したり、
場合によっては、
キチンと口に出して言うかと思います。
我が家の場合はちょっと違います。
そういう場合、
父は食べるのをやめて、台所に向かいます。
そして、いきなり調理を始める訳です。
要は、自分用のおかずを作るのです。
出来上がった料理を、羨望の眼差しで見ていると、
必ず分けてくれます。
食べてみると、これがウマい!
父は、料理上手なのです。
しかも、腕前はプロ級!
後でわかったことなのですが、
父は若い時に料理屋(定食屋?)をやっていて、
店は大繁盛していたそうです。
辞めてしまった理由は、謎のままですが…。
普通の人なら、イヤミな行動と感じるでしょうが、
我が家では当たり前の光景なので、
「また、始まったか…」
といった感じでした。
といっても、かなりのレアケースではありましたが…。
料理を作ろうと思えば、作れるのですが、
あえて自分はそうしない。
それは、料理は母の仕事。
そういう役割を尊重していて、
そのことには、
基本的には介入もしないし、文句も言わない。
よほどのことがない限りは…。
そんな感じでした。

潔癖症ゆえのこだわり

今にして思うと、
父の、『食』に対する考え方やこだわりは、
間違ってはいなかったと思います。
素材をキチンと調理して、自身で作れば、
変な混ぜもの(増量剤など)や
余計な添加物などが入ることも防げます。
揚げ物の場合、
「どんな油が使われているかわからない」
そういうことをよく言っていたように思います。
要は、「使い回しの油(劣化した油)かもしれない」
そういうことが言いたかったのでしょう。
もし、そういう油を使っていたとしても、
食べた瞬間、
父なら即座に見破っていたでしょうが…。
極度の潔癖症だったが故に、
そういう能力?が身についたのではなかろうか?
そんな風に思うのですが…。

今では、『レンジでチンして』といったことが、
多いのかもしれませんが、
両親は晩年になっても、
レトルト食品とは無縁でした。
多分、父は『レンジでチンするモノ』
(ごはんやカレー、コンビニ弁当など)は、
食べたことがないように思います。
調理などをせずに、
手軽に食べられる食品が多い中、
父の言葉が思い出されます。
「そういうモノには何が入っているかわからない」
わかってはいるのですが、
現実はなかなか難しいモノだと思ってしまいます…。

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