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母という人

私の母は尽くす人だ

母のような生き方はしたくない
いつもそう思っていた

【母の生い立ち】
晴れ間が少ない道東の港町
父と母と兄の4人家族

高校を中退し
友達と札幌に移り住む

歓楽街ススキノの夜の店で働き
妻子のある男性と恋に落ちる
そして妊娠
奪略婚という形で
家庭を持った

母の生い立ちは
あまり聞いたことがない
聞いても多くを口にしない母

口癖は
女だって大学に行って
手に職をつけて自立しなさい
男に養われる時代じゃない

子どもに自分と同じ苦労をさせたくなくて
発せられた愛ある言葉だったんだろう

残念ながら私には届かなかった

自分の人生の失敗を
子どもに押し付けないでよ
私はあなたのような人生は送らない

【幼少期の母との思い出】
母はよく泣いていた
私が幼い頃に母が笑っていた記憶がない

強いはずの母親が
強いはずの大人が
うなだれて泣き叫ぶ姿

今でも目に焼き付いている
何もできないちっぽけな私

幼い子どもの前で涙を見せる
情けない母親

私さえ生まれてこなければ
この人は泣くことなんて
なかったのかもしれない

なんで私は存在しているんだろう
なんのために生まれてきたんだろう

この光景は
私の強い原体験

大人が泣く姿が苦手で
辛くて見ていられない

目をそらして気をそらして
とにかく笑顔にさせたくなる

【初夏に届く真っ赤なリンゴ】
いつも初夏に届くダンボール
中には真っ赤でつやつやとした
リンゴが詰まっていた

蜜の入ったシャキシャキのリンゴ

スーパーで買うリンゴとは
歯ざわりも甘みも違う

青森の親戚からと母は言っていたが
後に知ることになった
母の本当のお父さんから届くリンゴ

未だに私は
スーパーで買ったリンゴが食べられない
あのリンゴしか食べたくないんだ

【母の両親】
数年に一度会えるかどうかの祖父母

おじいちゃんは戦争経験者で
いつも私を膝に乗せて
天皇から送られたという
勲章を自慢げに見せながら
戦場の話をしてくれた

何度も何度も聞いたのに
話の内容は覚えていない

誇らしげなおじいちゃんの顔しか
覚えていない

ある日酔っ払って
怒鳴ったことがあった
お前たち兄妹は
俺のことをバカにしてるんだろう
本当の親じゃないからって…

とってもとっても悲しい目をしていた

おばあちゃんはいつも優しくて
顔をくしゃくしゃにして笑っていた

働くのが好きだと言っていた
大好きなおばあちゃん

退職したのちに認知症になった

私のことを母と間違えるんだ
くしゃくしゃの笑顔で
孫を連れてきてくれて
ありがとうと言うんだ

私があなたの孫なのに

【私の母】
私の母はよく尽くす人だ
ほとんど知り合いのいない街で
21で私を産み
身を粉にして働き育てた

母は世間体を気にする人だ
他人に迷惑をかけてはいけない
風習は大事にするべきだ
誰にも文句を言われない生き方をしろと

母は女に甘えない人だ
一人でも生きていけるように
自立して働くように諭した

母は忍耐強い人だ
辛くても苦しくても
必死で我慢し耐え抜いて
その足で立ってきた

それが私の母

#原体験ジャーニー  で
バディになってくれた人に言われたんだ
母に対して嫌悪感を感じないと

そりゃそうだ
私は母を尊敬している

母の家庭環境や愛した人のこと
子育てや仕事のこと
母の苦労は計り知れないが
私の母はいつでも逃げなかった

同じ状況だったら
私はどうしただろう
向き合い続けることが
できたのだろうか?

私は、母の子だ

【現在の母】
母は現役で医療の現場で働いている

今では孫が4人
秋にはもう1人孫が産まれる

最近知って驚いたのが
父とも連絡をとっているらしい
あんたのお母さんは優しい
そう父が言っていた

母は子育てを卒業して
ようやく手に入れた自由を
満喫しているようだ

韓流アイドルに夢中になり
年に一度は韓国に旅行に行く

母は孫よりも私のことが好きなんだな
よく子供抜きで遊びに誘ってくる
飲みに行ったり、ライブに行ったり
大人になってからのほうが
仲がいいのは言うまでもない

今の私は母の目に
どのように映っているんだろうか?

あまり心のうちを話してくれない母だが
次にあった時に聞いてみよう

そして伝えよう

あなたの遺伝子を
しっかりと受け継いだ娘は
いろんな人に支えられながら
自分の足で立っている

あなたの子どもで良かったと
心底思っていると

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