玄関とトイレと自己受容
数年前に引っ越しをした時のお話。
すでに内見の時から気になっていたトイレと玄関の床柄。
しかしそれ以外は特に申し分なかったので賃貸契約。
当時の私は心に命がなかった状態。
そんな中でも、気になって仕方なかった床柄。
地味に時間を費やし、
カットタイプのマットを敷いて生活をスタートさせた。
それから数年後の現在(2ヶ月ぐらい前)、
掃除をしている時、
”これ、そろそろ卒業じゃない?”と、ふと湧いてきた。
汚れたから、飽きたから、
そう思った事はなかったので、
”ん?なんでこんな事がふと湧いてきたのかな?”と対話が始まる。
すると思わぬキーワードへ辿り着いた。
”自己受容”
入居当時の心情を自己分析すると、
自分の嫌いなところに蓋をして、
まだまだ向き合う事を拒否していたなぁと思う。
当時はそんな自覚はないし、
逆に、人生大きく変えようと覚悟の引っ越しだったので、
勇気ある行動をしたと思っている。
引っ越しをして、離婚して、
一人時間になった事でよりコツコツと自分と向き合う時間も増え、
人との縁も劇的に変わった。
一番大きな変化だと思う。
世の中には、
”愛で生きている大人もいるんだ!”
と初めて知り、嬉しかった。
”CHIEちゃんはCHIEちゃんのまま、そのままで十分美しい”と、
濁りない目と声で、心でハグをしてくれる人たち。
出逢って下さった方々のおかげで、
ほんの少しずつだけれど、
重くのしかかった鎧が取れ始め、錆びついた鍵も開き、
私が少しずつ戻り始めた。
体の中のあらゆるところの通りが良くなり、
濁りも濾過されていく感覚が分かってきた。
食事も自然と変化し、
コツコツと自己探究を続けることで自己否定も減ってきた。
”好みではない床柄に蓋をした自分”と”私自身の蓋”
これらが重なって見え、
敷いたマットの卒業が感情として湧いたのだと思う。
入居当時は気になっていたのに、今は全く気にならない。
頑なに拒否していた自分が懐かしい。
自身の心の変化に嬉しさいっぱい。
”自己受容”が明確に生まれた瞬間に立ち会えた。
そんな私の日常の一コマ。
おわり。