飽きることはないのだろうか
Netflixに好きな番組がある。「LIGHTHOUSE」というオードリー若林と星野源のトーク番組だ。わたしは、若林のことも星野源ことも好きである。情報をくまなく追いかけるファンのような好きとは違うけど、人として好き。おそらく、「根っこの部分はネガティブだけど、そのネガティブさを明るくアウトプットする人」が好きなのだと思う。ふたりはそんな感じがする。
なぜネガティブな人が好きなのかというと、思慮深そうだから。いろんなことをぐるぐると考えている人が好きなのだ。そういう人は、つねに何かを想像しているから想像力が豊かなはず。想像力はやさしさに繋がる。だから、そういう人が好き。
そんなふたりが織りなす「LIGHTHOUSE」のトークのなかでもエピソード3がとくに好きで、最近、見返したときに感じたことについて書きたい。
トーク中に、お互いが日常のなかで書き留めておいた1行日記を披露するシーンがある。そこで、若林が「今の若林が何をすればいいのか誰でもいいから頼むから教えてくれ。」という1行日記を読み上げる。
若林は言う。「幸せなんですよ。でも毎日がつまらない。」と。十分なキャリアも人気もある。でも?だから?それゆえの安定感がつまらない。
その話を静かに頷きながら聞いていた星野源が若林に言う。
「飽きたんじゃないかな。」
驚いたような表情をした若林が、少し泣きそうになりながら、星野源の言葉を噛み締めて語り出す。
「“飽きた”って言葉を(3年間)誰にも言えなかった。(長く仕事をしていると)スタッフとの歴史も深くなってくるし、オードリーを愛してくれる人たちを絶対に裏切りたくない。だからこそ、飽きたって言えない。でも飽きたの。全部もうやったの、俺。」(要約)
これを聞いた瞬間に思った。
SEVENTEENは、SEVENTEENでいることに飽きることはないのだろうか?
アルバムの売上は次々と記録を塗り替え、夢だった日本でのドームツアーも成功した。その夢の先に設定した目標のスタジアムツアーも達成したし、海外の大きなフェスにも参加した。それでも、活動が止まることはなく、止まるどころか何ヶ月も、あるいは何年も先まで決まったスケジュールと彼らは日々向き合っている。……たとえ飽きても、飽きたとは言えないだろう。
じつは、若林よりひと足早く同様の悩みを抱えて「飽きた」を先取りしてしまっていたという星野源が「同じことを繰り返せる人と、繰り返せない人がいる。僕は後者で、行ったことがない場所へ行かないと生きていけない。ループだと壊れちゃう。」と話す。
SEVENTEENはどうだろう。ツアーごとセットリストは違えど、彼らにとって練習を繰り返してそれをステージで披露するコンサートは、もはやルーティンなのではないだろうか。アルバムを制作するときも、生まれる曲や伝えたいメッセージは異なるにせよ、クリエイティブ撮影をしてレコーディングをし、振りを覚えて練習してカムバして……という流れは「同じこと」なのではないだろうか。
一般人の仕事だって、中身は違っても同じことを繰り返していることのほうが多い。でも、飽きたら転職だってできるし、代わりもいる。けれど、アイドルには代わりがいない。
SEVENTEENのメンバー13人も「繰り返せる人」と「繰り返せない人」に分かれるだろうが、後者の人は行きたいところへ行けているのだろうか。
こんなことをひたすら勝手に考え、勝手に心配するわたしは、勝手に救われもする。何に救われるのか。
星野源は基本ソロだから、一人で抱えることがどうしても多くなるだろうし、若林は自分とは違って「同じことが繰り返せる人」が相方だから、悩みを分かち合えない場合が多い。でも、SEVENTEENの場合は、悩みやつらさを分かち合えるであろう仲間が12人いる。
メンバー 一人ひとりのことを考えると、挑戦してみたいと思うことに「ここだ」というタイミングでチャレンジできないときも当然あるだろう。SEVENTEENであるがゆえに、優先順位の第一位がSEVENTEENになってしまうことが少なくないだろうから。
だけど、たとえば「飽きた」と思ったときに、(「飽きた」と直接的な表現を使うかどうかは別として) そういった悩みを受け止めてくれる人が近くにいる。多かれ少なかれ“同じ立場”で共感してくれる仲間がいる。その事実に勝手に救われる。
勝手に湧いた疑問を勝手に解決した気分になったわたしは、「LIGHTHOUSE」の画面を閉じ、2023年のMAMAのステージを再生する。そして、やっぱりこう思うのだ。あぁ、SEVENTEENが13人でよかった〜!と。
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