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軋むリングシューズの音を覚えていてね
どうしても形に残しておきたいと思ったのですこしだけ
・小石川チエと帯広さやかは第15代アジアドリームタッグチャンピオンでした。
・私はいろんなところでも書いたり言ったりしている通り、ダレジョから我闘雲舞に入りプロレスラーになりました。
でも、プロレスラーになるぞって一歩踏み出したのは帯広さんがこの団体にいて、リング上で生命の炎が煌めいているのを見たからです。
憧れで、大好きな大きな存在です。
・アジアドリームタッグのベルトには過去5度挑戦しています。でもとれなかったベルトでした。
私が見てきたタッグチャンピオンは強くて、堂々と一番前に立っているそんな存在でした。
ベルトを持った時に思ったのは嬉しい気持ちと同時にそんな存在になれるのかな、でした。
・不安定な王者だったと思います。タイトルマッチの後はボロボロで立っているのも精一杯。でも銭湯に入って回復をすることもある。
自分が下を向きそうになったり弱気になっていたら話を聞いてくださって、転びそうになったら支え合って、立派な王者だったかと言われると疑問ですが…
・2023年11月怪我をして連絡したのは帯広さんでした。これからやりたいことがいっぱいあった年末直前、悔しくて泣いた夜があり、帯広さんがおーびーいーつと言ってパスタを届けてくださった夜がありました。
リハビリをしてやっと運動の許可が出て帯広さんとロックアップをした日、久しぶりの腕の感覚を覚えています。
エキシビジョンをした日に小石川チエとして戻る不安は減って嬉しいって気持ちがありました。
怪我をしてからずっと帯広さんと過ごさせていただく日々でした。
・「122日に渡ってベルトを防衛し続けました。これが長いのか短いのかわかりませんが、まず一日があったことが奇跡だと思います」と言って2024年さくらアワードにてベストタッグをPopcorn Carnivalでいただきました。
数字にしてしまうと短く感じますが本当に本当に楽しい122日間でした。
腰にベルトはもうないですが、PopcornCarnivalがたしかに2024年を走りきったという事がベストタッグ賞をいただいた事で実在した形になったんです。本当に本当に本当に嬉しかったです
・もっと帯広さんと見たい景色も会いたい相手もいました。まだ悔しくて試合の動画を見てヴー!!となるけど桐原さんに、コマネチにおめでとうという言葉を送ります。
全然いつだって桐原さんと次試合をする時はベルトも狙いますからね!!!!!安心なされぬようにお過ごしください。
・憧れの気持ちは超えたとしても憧れを捨てたわけじゃないので!
いつか帯広さんと組んで、弾けるための力を蓄えます。
そして組んでない今帯広さんの正面に立てる権利も得ている、という事なのでそういう思いも背負って走り出しています。
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