自然の知性。身体はいちばん身近な自然だと思う
昨日の記事でも書いた、映画『素晴らしき、きのこの世界』のなかで、ある研究者が言っていた。
「自然には知性がある。わたしたちが自然とのコミュニケーションをおこたっているために理解できないだけ。」
そのままの言葉どおりではないけれど、こんなふうな内容を。
コミュニケーションとは。WEBの広辞苑で検索してみる。
①社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。「マス‐―」「会社内の―が悪い」
②〔生〕
㋐動物個体間での、身振りや音声・匂いなどによる情報の伝達。
㋑細胞間の物質の伝達または移動。細胞間コミュニケーション。
この研究者の言葉は、「自然がどのように地球の環境を循環させ、生命を育んでいるか、しくみを理解しないまま、人が無造作に環境を破壊していること」も指しているのだとわたしは感じる。
昨日の記事でも触れた、生物学者:南方熊楠さんは、自然の知性を理解していたからこそ、森林破壊がもたらすおそろしさを肌で感じた。人の生活への影響も大きい。なんとか保全しなければ、と行動せずにいられなかったのだ。
この映画に出ていた他の研究者は、人間は生態系のトップにいるわけじゃない、横ならびなんだよ、とさらりと口にした。いま気づくときだよ、変わらなきゃいけないときなんだよ、と。
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すぐに大きく変わろうとするのはなかなかむずかしいと感じるけれど。できることからは変わっていこうと思う。これまでもつかう洗剤や、ものの消費のしかた、は意識してきた。
人は、あたらしい刺激的な体験を欲し、より心地さをもとめていく。それは本来の性質なんじゃないかと思う。創意工夫は人の持ち味でもある。
だから、自然とコミュニケーションをしながら、生命の循環の流れにそって、あらたな創意工夫をすることもできる。
これまでの過剰な消費社会は、自然とのコミュニケーションが欠如して、生命の循環が前提ではなかったところに生まれた。
前提をかえたところから生まれる人の創意工夫の産物はどんなものだろう。もうすでに世に出ているものもたくさんあるだろう。そういうものを見つけていきたい。
そして、いちばん近い自然は、自分の身体だから。身体との対話の習慣もやっぱりおすすめしたい。
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