花は宇宙、自分の中心
先日、友人が「花を観ていると、自分の中心を感じる」というようなことを話していました。
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ラナンキュラスをみていたら、花びらが、規則ただしく中心に向かってならんでいるのに気がつき、
それが、本来の自分なんじゃないかな、とふと感じた。
花びらは、外側にいくほど変化している。
外気に触れれば触れるほど変形している。
人もそのようなものかもしれない。
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わたしは、「花の中心をみて、自分の中心を感じる。
細胞がきれいに整うようなイメージで、落ちつく。」
という彼女の言葉を、「きれいだなぁ、素敵。」と思いました。
そして、宇宙のしくみ を連想しました。
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宇宙にみちる生命エネルギーは、純粋で、規則正しい、幾何学模様のようなうつくしさをもちます。
このエネルギーが、水の惑星である地球と交わると、揺らぎ、反射し、屈折し、さまざまな物語として、映しだされていくのだなぁ、と。
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たとえば、人も、その人固有の、純粋な生命エネルギーをもって生まれます。
そのコアにあるエネルギーは、花びらの中心のように、かわらない。
これは人でいうと、その人の芯になる価値観、でしょうか。
外気にふれる部分は、変わりつづける状況のなかで、相互作用をへて変わっていきます。これは経験であり、この時と場と相手だからあらわれる、その人の姿。
そんなことを考えていた日、はじめてみました。
日暈(ひがさ、にちうん)、ハロ、と呼ばれるそうですね。
わたしは、はじめに「空になにかあるぞ」と気がついたとき、とても薄い虹のいちぶなのかな、と思いました。
車でしばらく走って視界がひらけたら、ど~んとこのようにあらわれて。
ほんとうに白い虹のよう。
白虹(はっこう、しろにじ)とも呼ばれるのもわかります。
車を停め、ああきれいだなぁと感動して、しばらく、じっとこの日暈をみつめていました。
そして、この日暈は、わたしが感じている人の姿、”存在” に似ているなぁ、と思いました。
中心にある太陽は、かわらないその人のコアのエネルギー。
雲のなかの氷晶に屈折されてあらわれた暈は、地上の出来事とのかかわりのなかであらわれる、さまざまなその人の姿です。
心のなかで感じていたことを、自然現象をとおして見せてもらえたような気がして、神秘的でおもしろく、包まれている安心を感じました。
この夜に、オリンピックのフィギュアスケート、女子フリー。
アメリカの、マライア・ベル選手の演技『ハレルヤ』よかった。この日みた日暈のイメージとあいまって、祝福のようでした。
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河辺愛菜選手、樋口新葉選手、坂本花織選手、の演技、伸びやかでよかった。
ロシアのカミラ・ワリエワ選手、大きな権力の支配のなかで葛藤する人たち。いろんなことを考えさせられました。彼女が自分らしさをとりもどし、伸びやかに過ごされますように。
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