人と人との関係は生き物のように育っていく
自分が感じている本音を、あるがままに感じ、
相手が感じている本音も、あるがままに認める。
これができている関係は、居心地がいいです。
お互いにそうできる、という信頼があると、気がねなく話せて、
どんどんできることが広がっていく。
相手が、機嫌を損ねるのではないか、
遠慮して自分の望みを、言わないのではないか、
ムリをしてわたしの望みに、合わせるんじゃないか、
という心配があり、常に気を遣わなければならないと、腹をわって話ができないですものね。
そうしていると、せっかくの関係性も、そこから生まれるはずの新たな可能性も、縮こまって消えてしまいそう。
こういう関係を築くのに、わたしが大事だなぁと思っているのは、
相手のあるがままを、「受け止める」けれども、
相手が感じていることをそのままに、「受け入れる」必要はない、と知っておくことです。
相手のあるがままを認める=「相手の望みを、そのまま自分のものとして受け入れなければならない」、と考えてしまうと、「あるがままを認める」ハードルが高すぎる。
だから、相手を認めることも、拒否してしまい、自分を守るために相手を、否定したくなったり、逆に自分の考えを、押しつけたくなったり、してしまうのではないでしょうか。
じゃあ、お互いの望みや考えがちがったら。ぜんぜん嚙み合わないままなのか、というとそうではありません。
人の意識って不思議なもので、それぞれのちがいをそのままに、まずは受け止めあう。そして時間をおくと、お互いの関係性のなかで、うまく収まるように、感じ方もかわっていくんです。
もちろん、今の状態では、まったく相いれないことが明らかになれば、もっと距離をおく必要が、あるかもしれませんが。
まだ、調整の余白がある関係であれば、「ああこういう落としどころがあったのか」、と初めには思いつかなかったアイデアが生まれ、よりよい関係が育ったりもします。
この感覚、”わたし”というエネルギー体と、”あなた”というエネルギー体が、”わたしとあなた”というあらたな場を、つくりだして調和していく、ように感じています。
自分ひとりではありえなかった、新たな自分の一面が、生まれてくるように思える場合もあるでしょう。人と人との化学反応みたいに。
こういう化学反応をおこすには。
まずは、自分の心からの望みをちゃんと知ること。それを素直に伝えること。
そして、それぞれが、自分の望みも、相手の望みも、受け止められるような、余白をつくるといいです。
こういう伝え方がおすすめ。
ちなみに、浮かんできた望みが、相手を変えようという内容では、まだ心からの望みとはいえません。
自分自身の見たくないところから、目をそらすときに、相手をどうこうしたくなるものなんです。
それに、人のことは変えられないですし、相手をどうこうしようというのは、相手のあるがままを認める、とはズレていますものね。
わたし自身が、本当はどうありたいと望んでいるのか。それが大事です。