地球の裏側・南米チリの旅
全長約4,300km、幅平均約170kmの細長い国、チリ。南米の南西部に位置し、日本の約2倍の広さの国土に、約2,000万人が暮らしています。主要産業は鉱業で、銅の生産量は世界一。ワインやサーモンも有名です。日本からの距離は約17,000km、時差は12時間。まさに地球の反対側にあるこのチリに、私は行ってきました。
毎年、夏休みや連休の度に、どこかしら海外を旅してきましたが、これまでその体験を文章にまとめたことはありませんでした。今年はフィールドワークに挑戦したこともあり、今回の旅をフィールドワークのようなものにしたいと思いました。
本稿はフィールドノーツと自身の振り返りを兼ねて、旅の様子を綴ります。
スロートラベル宣言!?
南米チリの首都サンティアゴまでの直行便はなく、まずはロサンゼルスまで10時間、さらにそこからサンティアゴまで10時間かかります。
機内エンターテイメントにも飽きてきた頃、訪れる地の理解を深めようと、南米の歴史に関する本を手に取りましたが、なかなか内容が頭に入ってきません。そこで諦めて、積読になっていたアリス・ウォーターの『スローフード宣言 食べることは生きること』を読むことにしました。
数週間前にこの本のドキュメンタリー映画『食べることは生きること』を観て、だいたいの内容は知っていたので、気軽に読めると思ったのです。今回の旅とは関係のない本だと思いながら読み始めましたが、意外にも、この本が今回の旅への姿勢や心構えに大きな影響を与えることになりました。
この文章を読んで、私はハッとしました。私は効率よく旅をしようとしていないだろうか?行きたい場所や見たいもの、食べたいものを、スタンプラリーのように次々とこなす旅になっていないだろうか?
今ではスマホさえあれば、現地の人に聞かずとも目的地に辿り着けるし、人気のレストランも簡単に見つかります。
もちろん、旅に何を求めるかは人それぞれです。私は今回の旅では、情報に頼りすぎず、自分の感覚を開き、偶然に身を委ね、自分自身を揺さぶる旅にしようと決めました。
ここは月面!?アタカマ
最初に訪れたのは、チリ北部の砂漠地帯アタカマ。晴天率が高く、乾燥して標高が高いことから、天体観測に最適で、世界中の天文台が集まる場所として有名です。2024年5月には東京大学アタカマ天文台も完成しました。
飛行機を降りた瞬間、月面のような景色が目に飛び込んできて、これから始まる旅への期待で胸が膨らみ、長旅の疲れも一気に吹き飛びます。
サン・ペドロ・デ・アタカマ
空港から車で約2時間、サン・ペドロ・デ・アタカマに到着しました。ここはアタカマ観光の拠点で、ホステルやレストラン、旅行会社が多く、観光客で賑わっています。道路は未舗装で、家や塀は日干しレンガで作られており、植物も乾燥してカサカサ。町全体が埃っぽく、ここが砂漠の町であることを強く感じさせられます。
ヴァレ・デ・ラ・ルナ
町の中心から車で約30分走ると、砂漠地帯の一つヴァレ・デ・ラ・ルナ(月の谷の意)があります。砂漠というとサハラ砂漠のような風景を思い浮かべるかもしれませんが、ここでは砂丘、塩の層、奇岩など、さまざまな景観を楽しめます。
アタカマ砂漠は、銅、銀、リチウム等の鉱物資源に富んでいます。鉱物と聞くと、静的で直線的、固くてくすんだイメージを持ちがちですが、アタカマ砂漠はその表情がとても豊かです。風や水の侵食によって生まれるダイナミックな曲線や、鉱物の種類や含有量の違いが作り出す多彩な色合いを堪能することができました。
アルティプラーノ
町の中心から南に約80km、アルゼンチンとの国境近くにアルティプラーノがあります。アルティプラーノとは、アンデス山脈のうちペルー南部からボリビア、チリ北部に広がる標高約4,000mの平坦な高原地帯のこと。そこにあるミスカンティ湖、ミニケス湖、チャクサ湖を巡りました。
このエリアでは、フラミンゴやビクーニャなどの動物たちが見られ、無機質なアタカマ砂漠とは対照的に、生命の息吹を感じる景色が広がっています。しかし、強い日差しと低い気温の中、水分補給やアウターで温度調整をしても、体が順応するのは難しく、アンデスの厳しさを実感しました。
「自然」と聞くと、私は緑の森や山を思い浮かべがちです。しかし、人の手が加えられていない環境を「自然」と捉えると、アタカマ砂漠やアルティプラーノも間違いなく「自然」です。自分の中で「自然」のイメージを日本の風景に固定していたことに、改めて気づかされました。
南米チリの首都 サンティアゴ
次に訪れたのは、チリの首都サンティアゴ。9月18日は独立記念日、9月19日は陸軍記念日で、各地で「Fiestas Patrias」というお祭りが開かれることを知り、この時期にサンティアゴに滞在することにしました。
旧市街を散策していると、多くの道が封鎖されていて不思議に思っていたところ、なんと大統領のパレードに遭遇!思いがけず、チリの大統領を間近で見ることができました。
フォンダ
フォンダとは、公園や広場に設置される仮設のお祭り会場です。会場はチリの国旗や国のシンボルカラーである青・白・赤で彩られ、チリの伝統的な食べ物や飲み物を提供する屋台、音楽や踊りのステージもあります。興が乗ってくると、"Chi-Chi-Chi, Le-Le-Le, Viva Chile!"(日本でいう「ニッポンチャチャチャ」に近い)のかけ声がかかります。私も一緒に声を出してみると、チリの人々との一体感を感じ、チリという国への親愛の情を感じました。
翻って日本について考えると、スポーツの日本代表戦でもない限り、国や国民としての気持ちを表に出すことは少ないので、とても不思議な感覚を覚えました。
人権博物館
Fiestas Patriasは祝日で、美術館や博物館の多くが休館していました。歴史博物館や自然史博物館に行きたかったのですが、残念ながら休館。仕方なく、数少ない開館中の博物館の一つである「記憶と人権の博物館」(Museo de la Memoria y los Derechos Humanos)に行くことにしました。ここは、1973年から1990年までの軍事独裁政権下での人権侵害を記録し、追悼することを目的とした博物館です。
1973年の軍事クーデターで大統領となったピノチェトは、政府に反対する市民や活動家を逮捕し、拷問や強制失踪、処刑を行いました。被害者は3万人を超えると言われています。しかし一方で、ピノチェトは自由市場経済を推進し、民営化や規制緩和を進めた結果、インフレを抑え、経済成長を達成したとも評価されています。この経済的な変革は「チリの奇跡」と称され、チリを南米で最も安定した経済の国へと押し上げたとされています。
お祭りではチリの人々と一緒に"Viva Chile!(チリ万歳)"と無邪気に叫んでましたが、博物館で思いかけずチリの暗い歴史を知り、改めて国や国民とは何なのだろう?と考えさせられました。また、同じ南米で似たような歴史を辿りながらも、経済的に安定した国と不安定な国があり、それらを分けているのは何なのだろう?と考えさせられました。
ちょっと残念バルパライソ
3つ目に訪れたのは、サンティアゴから西に約120kmの場所にある太平洋に面した都市、バルパライソです。「天国の谷」という意味を持ち、また「バルパライソ海港都市の歴史的な町並み」としてUNESCOの世界遺産に登録されていることから、美しい街だろうと期待していました。
しかし、実際に訪れてみると、至る所に落書きが目立ちました。信号待ちの車が物売りに取り囲まれている場面も多く見受けられました。スマホを取り出して地図を見ながら歩いていると、通りすがりの人から"Cuidado(スマホを盗まれないように気をつけて)"と声を掛けられることもあり、心がざわざわして落ち着かないので、半日の滞在で早々に街を後にすることにしました。
おわりに
自分の感覚を開き、偶然に身を委ねることを心がけた旅でしたが、どこまで実践できたでしょうか?分からないことがあると、ついスマホに頼ってしまう自分がいました。一方で、現地で体験した出来事、思ったこと・感じたことはもっとたくさんあるのに、その体験をまるごと伝えるのは難しいとも感じます。
クレジットカードを紛失したり(自損)、SIMカードが買えなかったり、体調を崩したり、食事難民になったりと、いくつかのトラブルにも見舞われました。
「コンドルは飛んでいく」を演奏してくれた切符売り場のおじさん、家族の話をしてくれたチャーミングなおばあちゃん、生活のためにヨーロッパに移住した娘に会いに行くため、元娘の部屋を貸し出すAirbnbのホストなど、素敵な出会いもありました。
まだまだ修行中ですが、フィールドワークのような旅を引き続き模索していきたいと思います。
(参考)南米チリ旅行 旅程
Day0 | 移動(東京〜ロサンゼルス〜サンティアゴ)
Day1 | 移動(サンティアゴ〜カラマ〜アタカマ)、天文ツアー
Day2 | プカラ遺跡、ヴァレ・デ・ラ・ルナツアー
Day3 | アルティプラーノツアー
Day4 | 移動(アタカマ〜カラマ〜サンティアゴ)、プレコロンビア芸術博物館
Day5 | モネダ宮殿、中央市場、アルマス広場、サンタ・ルシアの丘
Day6 | フォンダ
Day7 | 移動(サンティアゴ〜バルパライソ)、コンセプシオンの丘
Day8 | 移動(バルパライソ〜サンティアゴ)、国立歴史博物館
Day9 | 人権博物館、国立美術館、移動(サンティアゴ〜ニューヨーク)
Day10 | 移動(サンティアゴ〜ニューヨーク)
Day11 | 移動(ニューヨーク〜東京)