傷ついたまま生きていけたら(2018年3月11日)
3月11日、たまたま仕事の休みが取れたので実家に帰ることになった。朝9時頃、仙台空港に到着。空港まで父が車で迎えに来てくれた。昼の予定まで時間があったので、「せっかくだから」と閖上(ゆりあげ)に立ち寄ることにした。
この日はちょうど日曜で、ゆりあげ港朝市が行われていた。
朝市はとても活気があって、みんなニコニコと楽しそうだった。聞くと3月11日だから特別に人出が多いというわけでなく、毎週このようなにぎわいらしい。牡蠣やホタテをその場で買ってBBQのように自分で食べるのがすこぶる楽しそう。友だちを連れてまた来たいな、と思った。きっとみんな喜ぶ。
帰路、車窓からは震災前まで家があったでだろう草むらに花を手向ける人の姿も見かけたし、途中立ち寄った閖上の日和山にはたくさんの人が追悼に訪れていた。3月11日だ。
追悼式の様子はNHKの中継で観た。たぶん数年ぶりに黙祷をした。目を閉じたら暗闇が見える。死ぬって、どんな感じなんだろう。
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石巻に帰ってから、震災以来連絡が取れなくなった友だちのお墓に行った。いわゆるギャルだったその子のお墓にはピンク色のかわいらしい花が隙間なく飾られていた。震災の翌年にあった彼女のお別れ会のとき、ハローキティとヒョウ柄のハンカチをもらったこと、最後の挨拶でその子の父親が津波発生時に彼女を避難をさせなかった職場へ怒りを露わにしていたことが頭をよぎった。
わたしの母は震災の翌年、持病が悪化して死んだ。震災直後は日本各地から訪れた多くのボランティアさんに囲まれてテンションが高かったのだけど、いつのまにバランスを崩したんだろう。
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震災から7年、母が死んで6年が経って、わかったことがある。悲しみは風化しない。
震災後しばらくは、何かしなきゃとばかり思っていた。復興しなきゃ、立ち上がらなきゃ、がんばろう石巻。そこから数年は、そう想い続けていたいと思っていた。いわゆる被災地と呼ばれる地元の生活が落ち着いてしばらく経った今は、乗り越えなくてもいいんじゃないか、と思えるようになった。
母が死んだとき、石巻の人はみんなやさしかった。ぼうっとして何もできないわたしたち家族を放っておいて、親戚や友人がてきぱきと葬儀の采配をしてくれた。みな、震災で家族や親戚、友人を亡くした経験をした人ばかりだ。寄り添うやさしさに救われた。
いまだに母のお墓に行くと涙が出る。立ち直れなくていいんだ。日々は続く。悲しみは背中にぺったりと張り付いたまま。乗り越えなくてもいい、悲しいままでいい。このままでいいんだ。そう思ったら、これからも生きていける気がした。悲しみを抱えたまま、傷ついたまま、けれど少しでもやさしく生きていけたらと、今は思う。
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