キレキレひよこと、母のブルース
ひよこ5歳の「ミラクルちゅーんず」のダンスが、日を追うごとにキレキレになっています。好きこそもののナントヤラの用例に載せたいくらい。土日は寝ても覚めてもYouTube越しに彼女たちとシンクロして振りを覚え、平日は(YouTube観れないことにしているので)ひたすら自主練。保育園でもおともだち同士で研鑚を積んでいるそうで、お迎えのときの先生からの申し送りテンプレが「今日も元気に過ごしていました」から「今日も元気に踊っていました」に変わりました。
(YouTube以外に音源がないので歌いながら踊るのですが、完全耳コピの歌詞が何が何やらなのも、親バカ的にはたまらず。「あなたに会うといつだって ring my bell なぜか〜♪」が「銀歯で なぜか〜♪」に言いまつがってるのとか。遠いと惜しいの紙一重感よ!)
ひよこの推しは、センターのカノンちゃんという女の子。彼女のヘアスタイル(ワンレンで2つ結び)を、いまや週7でまねっこ。ぱっつん前髪をくるりんぱして片づけて、おでこ丸出しのなんちゃってワンレンにして。2つ結びするゴムも、カノンちゃんのテーマカラーのピンク指定で。黄色やら水色やらはほかのキャラクターのカラーと被って混乱を招く(誰から?)のでダメなんですって。ほんまでっか、そうでっか。
子育てって修行だなと、つくづく思います。娘がひたすら「好き」に向かう姿は、ええなぁと微笑ましくも頼もしい。でもその一方で、つい、ずっとYouTubeを観ているのをあからさまに辟易してみせたり、「銀歯てwww」とからかったり、髪の毛のゴムのこだわりを「くだらない」と片づけてしまいたくなる瞬間が起こるんですよね。時間が押して急いでいるとき、集中したいのを遮られたとき、単純に何かに苛んでいるとき。ドス黒い感情がせり上がってきたその一瞬に、評価や統制を踏みとどまる。手軽に主従関係に持ち込まないための、自制の修行。
昔々あるところで、隙あらばやいのやいの言われた時期があって。「あなたが詰まるのはあなたのせい(なので知ったこっちゃない……を枕詞に延々と続く演説)、わたしが進めないのもあなたのせい(なので最優先でアレとコレとソレとドレして!……な丸投げデスマーチ)」からの、「言いかたがダメ」「そのやりかたはヤメテ」と事細かな介入。
1言えば10返ってくるのを面倒くさがったが最後、主従関係が発生して、その渦に呑まれてしまったのでした。ザバーンと、ほんとうに、あっという間の出来事。
当時を振り返ると、「従」の立場で渦中にいる怖さって、徐々に全方位的に無気力になりゆくことにあるなと。たぶん、人間の脳みそってそんな臨機応変じゃなくて。あちらでサンドバック状態なときは、こちらに場所を移したからといって急に脳みそ回転しないし、そちらに行ったってアルカイックスマイル以上には腹から声をだして笑えない。のべつまくなしに「ショウガナイワー」「デスヨネー」「イインジャナイデスカー」に蝕まれていくんです。
ひよこはまだ5歳。いくら「義母と娘のブルース」のみゆきちゃんのドッペルゲンガー級に口が達者でも、ひよこを「従」に投げ込むのなんて、文字通り大人の私からすれば赤子の手をひねるようなもの。
でも、「ひねってやりたい」衝動に任せたその先にあるのは、「機嫌よく、気前よく」の対極の「無気力」なのを知っているから。あの光景は、二度と味わいたくないし、自ら娘に見せたくないから。だから、日々つまずきながら、精進するのだ。ハゲるほど悩みながら、励むのだ。