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大学生自転車日本一周旅を振り返って⑯:気持ちの強さ

 以前自転車で日本一周した時の振り返りシリーズ。今回は、気持ちが強いとは気持ちが弱いことである、ということについて書いていく。

 気持ちの強さ。それは、何度でもゾンビのように立ち上がり、どれだけの困難に行く先を阻まれようとも乗り越えていく気概。
 反対に、すぐに諦めて逃げ出してしまう人たちは、気持ちが弱いという評価を下される。

 だが、その気持ちの強い人たちは、本当に気持ちが強いという評価で誤りはないのか。
 よくよく考えてみると、気持ちが強いとされる人たちだって、一度は挫けている。何度でも立ち上がるということは、何度も倒されているということ。もちろん、こんなところで負けてはいられないと、そこで歯を食いしばって立ち上がっていることに関しては、気持ちが強いとはいえる。だが、そもそもこけなければ、立ち上がる必要はない。立ち上がらなければならない時点で、一度は地に伏してしまっているのだ。

 本当に気持ちが強い人であれば、一瞬たりとも負けないし一度たりとも倒れないだろう。負けたことや倒れたことを一瞬ではあるが自覚する気持ちの弱い人たちとは違って、一瞬ですら隙を見せない。歯を食いしばる必要もなければ、踏ん張って立ち上がる必要だってない。

 格闘技で言うと、気持ちの強いとされている人は、ボディーを打ち込まれて何度ダウンを取られたって、立ち上がってファイティングポーズをとることのできる人。だが、本当に強い人は、何食わぬ顔で相手の攻撃を受け、その上で何度も相手をダウンさせる人。本当に気持ちが強いのであればダウンなんて取られないはずだ。

 気持ちの弱い者は、本当に気持ちの強い者と対峙した時に、そこに埋め難き力の差を感じ、才能というものの恐ろしさを錯覚する。自分はこの程度だと。所詮は気持ちの弱い者だったんだと認識し、白旗を上げて別の居場所を探す。

 だが、気持ちの弱い者は一生気持ちの弱いままである。鳥がいくら頑張っても豚や牛にはなれないように、気持ちの弱いものがいくら自分がマウントの取れる分野に逃げ込んだとしても、気持ちの弱いままなのである。

 だが、気持ちが弱いからと言って、自分を卑下することはない。気持ちが弱いのであれば、気持ちが弱いなりに、どれだけ醜くても立ち上がり続けるしかない。ファイティングポーズをとり続けるしかない。気持ちの弱い者が張ることのできる精一杯の虚勢だ。

 僕たちは、できないからやろうとする。持っていないから欲しがる。気持ちが弱いから、気持ちを強くあろうとする。
 その性質は、正直言ってダサいし醜い。だけど、その性質を持ってしまっていることは紛れもない事実でしかない。ないものねだりという本性。だからこそ、成長できるし、頑張りを実感できる。

 本当は、一度負けてしまうことが、気持ちの弱さではないのかもしれない。気持ちの弱さを言い訳にして逃げる。これこそが、本当の気持ちの弱さなのかもしれない。

 そして、そもそも気持ちが強いなんてのは、あくまで理想の姿なのかもしれない。一度も負けない、生涯無敗の経歴には、やはり憧れがある。
 そして、そこに憧れがあるからこそ、自分に黒い星が増えていくことを拒絶し、やりたい分野ではなくできる分野に逃げさせ、黒星だらけでも挑み続ける人を嫌悪する。

 だけど、自分が気持ちの弱い人間なのであれば、それに抗う以外に方法はない。気持ちの弱い人間なりに勝ち抜いていくしかない。気持ちの弱いことを自覚し、何度だって歯を食いしばって立ち上がるしかない。
 鳥は鳥なりに、極上の鳥になるしかない。

 何度挫けたって、何度心が折れかけたって、何度だって立ち上がり、何度だって前を向く。途中で何度も困難が襲い掛かり、何度も投げ出したくなったが、それでも歯を食いしばって50日ほど自転車を漕ぎ続ければ、北海道と沖縄を除いた45都府県は巡ることができた。

 気持ちの強い人になることは不可能かもしれない。
 だが、気持ちを強くあろう。それが、僕たち気持ちの弱い者達の生き残る道。

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