大学生自転車日本一周旅三十日目:福岡市から長崎駅へ
本編
やはり、当日の朝になると行きたくない気持ちが爆増する。だが、それはもう抑えるしかない。強い人間ではない以上、強くあらねばならない。
まずは県庁を目指し、自転車を漕ぎだした。慣れ親しんだ道を抜けて国道3号線へ出る。やはり福岡市内ということもあって、8時過ぎは登校中の児童や生徒が多い。低学年の小学生なんかは歩道いっぱいに歩いちゃうし、よそ見や後ろを向いてしゃべるから危ない。事故を起こしてしまわないように、ゆっくりとかき分けながら進む。それはそうと、福岡は自転車マンが多い。あくまで主観だけど。自転車通学はもちろんのこと、自転車通勤もよく目につく。
県庁に着いてパシャリ。ちょうど9時ぐらいで出勤のタイミングとバチ被りしちゃったけど、恥ずかしさをこらえて自撮りをかます。15年以上福岡に住んでいたけど、まともに県庁を見るのは初めてだったし、県庁前の公園もいまいち存在を知らなかった。地元って案外知らないことの方が多い。気付かない魅力とかあるんだろうな。灯台下暗し。
県庁を越えたら、次は糸島を抜けて唐津へ。唐津の高校に通っていたころが懐かしい。寮生活だったから自転車はおろか電車ですら通学したことは無いけど。福岡市の西区あたりまではまだまだ都会だった。糸島も途中までは決して田舎とは言えないほどの街並みだった。
ただし、海沿いに出てしまえば完全な田舎。松原の中を通ったり、海沿いを通ったり。特有のアップダウンはほとんどなかったが、歩道のない狭い道が永遠と続く。海側には歩道あるけど、反対車線だから途中で切れたらリスクが一気に高くなる。だから、行かない。かと言って左側も左側で危なかった。なぜなら、雑草が生えまくってなかなか端に寄ろうにも寄れなかったから。ところどころ長い雑草が伸びている場所があり、ぶつかったら痛いから突っ込まず避けたりもしていた。もし、後ろから来る車の運転手が、「自転車が草を避けるときに膨らむかもしれない」と気が付かずに飛ばして走ってきていたら、轢かれてしまっても何ら不思議ではない。そう言う意味で完全なクソ道だった。こういう道を通ると、歩道を清掃して雑草等を取り除いてくださる方々への感謝が募りに募る。ちなみに、この危なっかしい道はなんと唐津の最初のほうまで続きます。一時間ぐらい。おっかねー。途中はきれいな海が見れたりと満足だったけど。
唐津市に入りイオンまで行くと、ここからは車、バス、自転車などで何度も通ったことのある道。いつも部活の練習でお世話になった競技場にも約2年ぶりに行った。あの頃もいた管理人のおじさんは今も現役。ここへ来ると、懐かしい思い出が脳内を埋め尽くす。入学前に合宿に参加するために一人で道に迷いながらこの競技場まで来たら、開始が午前から午後に知らないうちに変わっていたことに始まり、最後は部長の役割を後輩に引き継いで、インターハイを目指して200mと四継の調整をし北部九州大会に挑むまで。思えばここでたくさん成長させてもらったなあ。
さあ、次は伊万里へ。ここからはほとんど通ったことのない道が始まる。雑草がぼうぼうだったり、危ない道は多かったけどそれ以上の困難はなかった。伊万里では、年に一度の試合でお世話になった国見台競技場の入り口でパシャリ。
伊万里を超えると、有田町を通過して佐世保の南へ。まずね、佐世保に行くまでずーっと道が危ない。いや、佐世保も危なかった。てか何ならその先の西海も十二分に危なかったけど。歩道がないのは当たり前。しかも、ここでも雑草が危ない。アブを見なくなった今、一番嫌なのはやはり雑草。ドライバーさんの協力のおけげもあって、何とか事故なく佐世保の南側へ行けた。ここからだんだん坂が多くなってきた印象がある。長崎らしくなってきたわけよ。必死に登ってたら学校帰りのガキンチョにも「頑張ってくださーい」と応援された。結構長い登り坂だったからね。
佐世保から西海へ向かう途中の橋から川を見ていると、橋の下で渦巻が出来ているのを発見。もしかしたら人工的にできたやつかもしれないけど、鳴門で見た渦巻よりよっぽど激しかった。そもそも鳴門のやつは渦巻って呼んでいいのかすら分からんレベルやったけど。あの時ほんとなんやったんやろ、散々苦労して行ったのに。
西海からは基本的には大村湾に沿って行った。とはいえ、急激な登りは多かったし、山を開いて作ったような道も多々あった。ただし、ここは意地で越えていった。休み明けだし、一日目からへばるわけにはいかない。あと、このころから急に5のギアも使い始めた。これまではギアを6に固定して坂を登っていたけど、ギアを下げてスピードが下がってでも漕いで越えた方が押し歩いて越えるよりは速い、と早いと今更になって気が付いたのだ。やっと自転車に乗るのが板についてきたってわけよ。
小学生のころ二度ほど行った長崎バイオパークの横を通過しながら家族の思い出を振り返っていると、西彼杵郡時津町へ入った。ここら辺からは坂の町長崎が本領発揮。結構えげつない坂が二度ほど襲い掛かった。だけど、疲労がある程度回復し、ギアチェンジを覚えた今なら、越えることが出来るはず。しかも、1か月間ほぼ毎日130~140㎞ほど漕ぎ続けてきたせいで、漕ぎ力(そんな力があるかは知らんけど)が着実に伸びていた。立ちはだかる坂をことごとく、とはいえじっくりと乗り越えていった。きついのには変わりが無いが、粘り勝ちをしていった。
多少のアップダウンは当たり前のように繰り返しつつも長崎市街に到着。時間に少し余裕があったので平和記念公園へ。ここに来るのは小学校の修学旅行以来。今度は小学校の思い出に浸っていた。
そこからは長崎駅のほうへ。ここら辺は自転車に乗ってる人がまずいない。坂が多いからそういう文化なのか、それともたまたま出くわさなかっただけなのかは分からない。だが、自転車を停める場所が全然ない。何なら二輪の駐輪場のほうが充実している。こんな街は初めてだ。調べてみても、全然自転車の駐輪場が見つからない(バイクを停める場所も駐輪場というからややこしい)。
思案橋ラーメンというところで長崎ちゃんぽんを食べ(もちろん路駐)、長崎駅の近くには駐輪場が見つからなかったので、その近くのスーパーの駐輪場にしれっと停めておいた。その駐輪場にも、止まっている台数はバイクのほうが多かった。長崎は完全に自転車の街ではなかった。
この日のホテルはチェックインからあたふたした。タブレットで手続きを取るスタイルだったんだけど、いくら自分のQRコードを読み取らせようと頑張っても、タブレットが一切反応してくれない。10分ぐらい方法を探ったけど一向に読み取ってくれなかったから、わざわざその会社に連絡して別の方法でチェックインした。
だけど、いざ部屋に入ってみると印象は一変。ホテルとは全く違っていた。中はまるで一人暮らしのアパート。トイレと風呂は別室、洗濯機にキッチンまである。どちらも使わないけど、粉洗剤だけはくすねておいた。これで、他のホテルとそこまで値段が変わらないとは。では、おやすみ。
そういえば、「…チーン…チーン」と音が鳴っている。窓の外には墓場が。あっ、そういう場所?だから安い感じ?幽霊出るのはいいけど、変なのに憑りつかれて事故とか起こしちゃわなきゃいいけどな。服をかけようとクローゼットを空ける。中で金属製のハンガーがゆらゆらと動いてはぶつかり合っている。なんだ、この音か。裏の墓場とか何にも関係ないじゃん。気持ち悪。一瞬でも嫌な想像してしまったのが恥ずかしいわ。
あれ…クローゼットが閉まっていたなら、中で風が起きるはずもないよね?
ルート
福岡県庁から那の津通、明治通りを通った後、国道202号線に乗って糸島市、佐賀県唐津市、伊万里市、有田町まで走った。その後、西海市に入って国道206号線に乗り換え、そのまま長崎市まで行った。
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