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大学生自転車日本一周旅四十八日目:前橋県庁から埼玉県庁を通って神奈川県庁へ、FINISH!

本編

 さあ、スタートした横浜市青葉区の江田駅を目指して。ついに、事故を起こしさえしなければ、この長かった旅が終了となる。残りは約150㎞ほど。まだまだ長い道のりは残っているが、終わりが見えてきた。一歩一歩、人漕ぎ人漕ぎ地道に減らしていこう。

 群馬県庁からこの日は出発。時刻は22時を回っていて、ライトの充電が切れたこともあって一旦歩いていくことにした。これまで通り漕ぎ続けていると確実に体力が持たないし。しかし、疲れもあって眠たい。早速オールしてゴールを目指す決断をしたことを後悔し始める。もし万が一気付かぬうちに寝てしまったら。交通事故だって起こしかねない。かといって途中で野宿をするのも違う気がするし。

 しかも、全然進めないという事実が弱り始めた心に追い打ちをかける。歩くのって実は結構しんどく、時間がかかるせいで苦しい状態からなかなか抜け出せない。自転車と比べても疲労の溜まる量、スピード、部位すべてが違う。そして、個人的には歩くほうがよりしんどい。早くも耐えきれなくなってしまい、自転車にまたがった。だが、さっきも言ったようにこれまで通りのペースでは漕いでいけない。だから、ゆっくりと、ただひたすらゆっくりとペダルを回していった。歩きよりペースが上がる上に楽ちん。ライトは何とか電池式で粘る。

 だらだらと進んでいた時、ついにパッと辺りが暗くなった。そう、ライトの電池がさようならしたのだ。ただし、充電式のライトは持っても4時間だったから、朝の暗さを考えたら、早くても1時にならないと点けられない。まだ日付を越えてすらない。また歩き始めた。しかし、やはりもうメンタルが持たない。苦しい。結局超スローペースで漕ぎ直す。左手に決して強くはない懐中電灯を括り付けてライト代わりにし、何とか1時までの時間を稼ぐ。事故には絶対ならないペースで。ばれたら注意受けちゃうだろうけど、警察は通らないと信じる。

 熊谷市まで戻ってこれたころ、時刻は1時30分頃だったかな、おそらくここで休憩をした。軽くパンを買って食べる。お腹はいつだって空腹状態に思えるから、少ない量での我慢が重要。立つのもしんどいから、駐車場の端っこにお尻を下ろす。それだけで解放感を感じられる今はなんて幸せなんだろう。パンを食べ終わって少しは元気を出し、嫌がる気持ちを抑えて立ち上がる。ずっと使いたかったライトはもう充電が完了しているらしい。装着。やっと準備が整ったわけだ。お世話になったな、モバイルバッテリー。

 午前3時ごろ。警察官が乗った巡回中であろうパトカーが横を通った。肝が冷える。こんな夜中にエナメルバッグを肩にかけ帽子をかぶって自転車を漕ぐ奴なんているわけがない。これは職質をされるかも。別にされたところで問題があるわけでは無いけど、足止めを食らっていい気持ちにはならない。来るなよと念じていたら、なんとか通じたのかそのまま走り去ってくれた。逆に職質された方が経験談としてもよかったかもしれんけどね。

 その後もじわりじわりと進んでいき、決して速くはないが確実にさいたま市へと近づいていった。急いで明け方に終わってしまったらそれはそれで味気ないし、とにかくだらだら。上尾市のコンビニで朝を迎えた。それは4時から5時の間だったと思う。まだ陽は昇っていなかった。結局熊谷市からの3時間ほどは、全く休憩もせずに進んでいた。眠気は取れないけど、コーヒーとパンを補給して体をたたき起こす。ここまではゆっくりでも良かったけど、ここからは残り時間のことも考えてペースを上げていくぞ。夜モードは終わりだ。

 まずはさいたま市の大宮駅へ。大宮自体は120㎞ウォーキングの時に通ったので懐かしい気持ちで越えていった。まだ半年ちょいしか経っていないから、通った道や交差点も思い出せた。あの時の苦しさに比べれば今は楽な気がする。県庁のある浦和区まで進んでいく。6時30分には到着して写真を撮れた。朝早いと出勤してくる人もいないから周りの目を気にしなくて済む。見方を変えると、結局2か月ぐらい自撮りをし続けても恥ずかしさは拭えないという研究結果が出たということだ。

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 その後もずっと同じ国道を走り続け、戸田市での軽い渋滞を抜けたら東京都へと入った。板橋区の途中まで進んでいくと、そこからは国道17号線ではない道を進まなければならなくなった。これまでは国道や県道の数字を頭に入れ、道路案内板を見ながらその数字の方へ進んでいくことで迷うことなく進んでこれた。しかし、何号線を通るべきかもよくわからなければ、道路案内板には数字はない。地名は書かれているが、この土地自体に詳しくないから地名だけでは方向が分からない。とにかく手探りに、困ってはマップを開いて助けを乞うた。都合よく久しぶりに信頼が回復。

 ゆっくりながらに新宿・渋谷・目黒と抜けていき、品川駅のところまで南下することが出来た。いつも以上に時間はかかったけど、完全に迷うこともなければ初日ほどは時間を無駄にもしなかったから成長としよう。そして、ここからは神奈川県に入っていく。東京の中心部に比べ、道は複雑ではなさそうだった。品川からは第三京浜道に沿って進む。沿っていればいいだけだった。

 大田区を越えたらもう神奈川県。まずは川崎市へ。治安が悪いイメージしかないが、時間帯の関係もあって普通のいい街って感じだった。まあ街中がガラの悪い人で溢れかえっているわけないしな。川崎市からは横浜市にすぐ入った。ついに、最後の市だ。もうここからは横浜市内で完結する。気持ちもはやってくる。だけど、そこからが意外に長い。まずはみなとみらいへ。そこで休憩することを目標に漕いでいく。

 みなとみらいで休憩をし、恐ろしいほどの眠気を瞼にしがみつかせながら、45個目、最後の県庁である神奈川県庁へ。ごつい!締めが歴史のありそうな庁舎でよかった。最後の記念撮影はこれまでで一番良い表情で。いざ終わるとなるとやはりこみあげてくる思いはある。泣きはしないけど。空がどんよりとして今にも雨が降り出しそうだったが、山下公園にもいくことにした。

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 ここまでの約2か月間お世話になった、バッグ、帽子、靴、途中参加の二代目自転車。初代自転車も決して忘れない。最後はこいつらを写真に残しておく。からう部分が剥がれ落ち、チャックも思うように動かなくなったバッグ。真っ黒だった帽子は日焼けと雨でいつしか灰色に。雨の日も風の日もひたすらにペダルを押し、臭く、そして色もくすんだ靴。そして、何度もパンクし、何度も事故になりかけ、チェーンは延び、ブレーキは擦り切れて交換し、小さな部品はどこかへ飛んでいき、それでも最後まで旅の「足」となってくれた自転車。もう売ったって一円にもなりはしない。だけど、この思い出を通した時、お金では表せない価値を携え始める。自分だけが評価できる、唯一無二の価値。

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 山下公園で休憩を終えると、寒かったから上下長袖長ズボンで防寒をし、最初は半袖半ズボンでも暑くて耐えられなかったのにと思いながら、始まりの地して終わりを待っている江田駅を目指す。正真正銘のラストスパート。まずは新横浜駅まで行く。ニッパツ三ツ沢球場はj1の試合を見に行った時の記憶が残っているからまだわかるが、それ以外はちんぷんかんぷん。さらに、ここら辺はほんとに坂道が多い。三ツ沢のところに行くまでにも急坂を2,3度越えさせられた。新横浜駅まで近づくと、今度は日産スタジアムを左に見るように進んでいく。仲町台の「新栄高校南側」という丁字路まで行けばあとは一本道。坂道や森のような道を懸命に進んでいく。

 最後の最後になって降り始めた雨は、決して強くはないものの、風に乗って服や顔を執拗にたたいてくる。長袖長ズボンで風雨をしのぎ、かき分けるように登り坂を飛ばしていく。思えば、予定外の雨に前半戦は幾度も苦しめられていた。中盤戦以降は雨とはおさらばできたのに、結局最後は雨で締めることになるのか。なんともこの旅らしい。これまで天気をはじめとしてさんざん自らではコントロールできない事象に悩まされてきたのに、ここにきてまさか居合わせたかのように雨に打たれるとは。だけど、もう空は見上げない。

 そして、その坂を登り切り、下り始めると見覚えのある景色が少しづつ増えていった。そして下り切るとそこには…

 いつも通りの駅に、特別な感情を持った男が自転車を引き連れて入ってくる。何も変わらない景色に、ほかの誰とも一見変わらない男。いつも通りの景色をほかのいつも通りの人間と一緒に作り上げている男。だが、この男は噛み締めていた。ついにここまで戻ってくることが出来たのだ、と。その味はその男しか知らない。

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ルート

 前橋市から県道13号線、国道17号線と南下してさいたま市を通過し、東京都板橋区で県道317号線をさらに南下して品川駅付近まで行った後、国道15号線を走って横浜市へ。横浜市からは県道13号線を通って新横浜駅に行った後、最後は県道45号線を北上して江田駅へ。旅の終了!!!

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