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【006:六箱 紫苑】2章『コッペリアの葛藤』3話

~~~雑記~~~
お知らせを書かせていただいたのですが、今作より更新方法が変更されております。
簡単に言うと、不定期に超長文をどーん!から短文をちょこちょこ更新に変更となりました。
より読みやすくなればと思っています。
章の完結ごとに、ひとつの記事にまとめて、今まで通りの形式での掲載もしますので、そっちがいいという方は、しばしお待ちいただきたく・・・。
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2章3話

マグカップに注いだかなり優しい色合いのカフェオレを紫苑くんの前に置く。その隣に、もう少し濃い色合いのカフェオレを入れたマグを置き、私も腰かけた。

「佐々木さん、よく来るね?」

紫紺色のマグカップを手にした紫苑くんが、ひと口カフェオレを舐める様に飲んで、疑問を口にする。

「んー、そうかも?」

私も私で熱いマグカップを両手で包むように持ち、ふーふーと息を吹きかけながら、彼の問いかけに首を傾げた。言われてみればそれなりの頻度かもしれない。でも特にしつこいとか、鬱陶しいなんて感じていないものだから、あまり気にしていなかった。

「そうだよ。一昨日もお茶しに行ってたでしょ?」
「うん。カモミールティー出来上がったから持って行ったの」

紫苑くんの口調は、別に怒っている訳でも、詰問してくるようなキツさがある訳でもなかった。いつも通り穏やかで優しいものだ。でも何となく含んでいるものを感じて、私はマグカップをテーブルに置いて、体ごと彼の方へと視線を向けた。

「ごめん、もしかしてよくなかった?」

私の問に、紫苑くんは一瞬固まり、思案するように少し視線を迷わせ、珍しく視線を逸らしたまま「佐々木さんの事が好き?」と尋ねてきた。

彼の質問に謎が深まってしまう。

私としては、何かしら家事に不具合が出ていて、もっとちゃんとやって欲しいとか、そういう要望なのかなと思っていたのだ。だというのに「好き?」というよく分からない質問がきて、ちょっと面食らっていた。

「ん・・・っと、うん、まあ、好きか嫌いかで言うなら好き、かな・・・?穏やかな人だし」

彼の質問の意図をイマイチ汲み取る事ができず、私は少し首を傾げながら素直に答える。好きか嫌いか、などという事を考えたことはなかったけれど、これだけ頻繁に会っておいて、嫌いというのも嘘でしかない。
実際、彼女とおしゃべりするのはとても楽しいし、1か月足らずの短い付き合いだけれど、それなり以上の好感を持っている。

「そう・・・好きなんだ」

光を吸い込んでしまいそうな黒い目が、私をまっすぐに見ながら、噛んで含める様にそう言った。

「っ・・・」

何かを間違えたという強い感覚に襲われる。

でもそれが何なのか、まるで分らない。だからどう取り繕ったらいいのか、何を謝ったらいいのかもわからず、私は言葉を詰まらせることしかできなかった。

ごとっ

彼がマグカップがテーブルに置く音は、中身がまだなみなみと入っているせいか、妙に重々しい。

彼から目を逸らすことができない。まるで蛇に睨まれた蛙だ。紫苑くんは殊更怒っているようには見えないというのに、空気だけがいきなり重力を変更したみたいに重たい。

「好きなんだ」
「っ・・・ぁ、」

囁くような声。

伸ばされた手が、私の首筋をそっと撫でおろす。

思っていた以上に冷たかった彼の指先にぞくりと背筋が粟立ち、絞められた訳でもないのに、くっと息が詰まる。私を見つめる視線は優しいままだ。彼から怒りの感情は、微塵も感じないまま、でも何を思っているのかも全く読めない。ただ、そこにあるのがポジティブな感情でない事だけを、空気の重さだけでひしひしと感じていた。

焦燥感がみぞおちに溜まっていく感覚が、酷く不快だった。

何か言わなければと焦るのに、何も言葉が出てこない。意味をなさない、母音になりかけのような不明瞭な音が、途切れ途切れの呼吸に乗って、僅かに唇の隙間から漏れるのみだ。

「ねえ、ボクとあの人、どっちが好き?」
「紫苑くんに決まってる」

即答だった。

それはそうだ。

紫苑くんを誰かと比べるなんて、もうそれ自体が間違っている。自分が少しおかしいくなっているだろうなという自覚を差し引いても、同棲している彼氏と、1か月未満の付き合いのご近所さんなら、同棲している彼氏を取るのではないだろうか。

「まあ、それはそうだよね」
「うん」

紫苑くんもそこを疑ってはいないようで、やっぱり穏やかな視線のまま、私の言葉を肯定してくれた。その肯定に、予想以上にホッとしている自分がいる。彼に疑われるのは、想像するだけでしんどいのだ。

「好きってさ、時間だと思うんだ」
「・・・えっと・・・?」

女性のそれと見間違えそうなほどに綺麗な手が、そっと私の頬を包み込む。ひんやりと冷たい細い指が、頬の柔らかい肉に少しだけ沈み、私の体温を奪っていく。

「好きな事には時間をかけたいでしょう?好きな人には会いたいし、好きな事には熱中していたい。逆に嫌な事は早く終わらせたくて、嫌な人にもあまり会いたくはない。つまり、時間を使いたくない」
「う、うん。そう、だと思う」

穏やかな口調と、耳心地のいい低めの声。決してそんな場面ではないのに、眠気を誘うような、どうしようもない心地よさに、思考が鈍っていくような感覚がする。

言われた通りなので、私は戸惑いつつも頷いて返す。出来の悪い生徒の必死の回答に満足した教師のように、紫苑くんはにっこりと笑った。

「あなたは最近、彼女にどのくらいの時間をかけてるかな」
「あ・・・」

小さく、笛を吹いたように喉が鳴る。

紫苑くんより彼女に時間をかけているなんてことはもちろんない。私はこの家の家政婦でもあるし、きちんと仕事を・・・あれ?でも仕事だから、もしかしてそれって紫苑くんの為にしている時間にはならないの?でも、でも仕事だけど、その時もちゃんと紫苑くんのこと考えてて、それで、だから――――・・・!

「大丈夫だよ、ちゃんと息をして?ほら、ゆーっくり吐いて」
「はっ、っ!、っぁ、はッ!」

震える体を、紫苑くんが抱き寄せてくれる。冬服越しでは僅かしか体温は共有されないけれど、それでもそのわずかな温かさに、乱れていた呼吸が落ち着いていく。

心地いい声が、耳元で優しく優しく呼吸を促してくれる。

お互い椅子に腰かけたまま、それでも私は、彼のシャツの背中側をぎゅっと握りしめ、骨ばった鎖骨に顔を埋めた。

「好き、好きなの、紫苑くんが好き」
「うん、知ってるよ」

よく分からない涙が溢れていく。

怖くて、混乱していて、どうしていいか分からなくて、とにかく紫苑くんから離れるなんていやで。

あまり力を籠めて抱きしめてはくれない、彼の長い腕がもどかしくて。

「ねえ、だからさ?ボクの為に、たくさん時間を使ってくれるでしょう?」

耳元で囁く声に、間髪入れずに頷いていた。
言葉がうまく出ない。ぼたぼたと溢れた涙が頬を、彼のシャツを濡らしていく。

「うふふっありがとう。ボクもあなたの事、すごく愛してるよ」

その言葉に、どうしようもなく歓喜して・・・私は、情けなく嗚咽を漏らしながら、紫苑くんに縋りついて泣いていた。

さっきよりも強く抱きしめてくれた腕の力に、その拘束される感触に、言葉じゃ言い表せないくらいに安心していた。

「ああ、目が溶けちゃいそう・・・可愛い」

少し体が離れ、顔を包み込むように両頬を彼の手が覆う。真正面、至近距離で紫苑くんが私の目を覗き込み、うっとりと目を細めて笑う。いつもは少し血色の悪い頬に赤みが差すその様は、妖艶というほかなかった。

「っ、しおん――――っ」

きっとこのままキスしたら、お夕飯を作る事ができなくなってしまう。空気を察してそう思い、慌てて彼の名前を呼ぼうとしたその唇を、彼の柔らかい唇に塞がれた。

キスしたいでしょう?と言わんばかりに、いつも待つことの多い彼が、気まぐれに与えてくれるキス。それは解ける様に甘くて優しいものだから、そんなの抗える訳もなくて、躾けられた犬みたいに、気付けば口を開いて彼の舌を迎え入れていた。

「おいで」

カフェオレと涙の味が混じったキスのあと、紫苑くんに優しく誘われ、私はふらふらと彼に手を引かれるまま、まだ外は明るいというのに、二階の寝室へ向かったのだった。

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極楽ちどり
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