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【006:六箱 紫苑】2章『コッペリアの葛藤』15話

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2章15話


子どもの頃思っていたより、大人はそんなに大人じゃない。

その事に気付くのは、自分も大人になってからの事だ。

それでも、もっと前の自分を思い返して、あの頃はこんなことで感情を揺さぶられていたけれど、今は随分穏やかに対応できるようになったモノだな、なんて。そんな変化に大人になった様な実感を得る。

今の私はどうだろうか。

いっそ子供に後退したみたいじゃないだろうか。いやでも、きっと高校生の頃なら、それこそ友だちに沢山愚痴を言って、もっと訳の分からない事も考えて、それからもっと頭の悪い解決方法とかも模索したかもしれない。そしてきっと、自分の彼に我慢しきれなくて全部全部ぶちまけて大喧嘩をしていたに違いないのだ。

今は・・・今の私に、その勇気はないな・・・。

そう思うとちょっと嗤えて来る。

日々は淡々と過ぎていく。

冬の寒さは時間の流れも緩やかにするのだろうか。変化なく、滔々と流れていくいつもと同じ日常が、妙に冗長に感じる。いっそ人間も冬眠できればいいんじゃないかなんて思う。そうしたら、春が来て目が覚めるまで、きっと何にも考えなくて済むのだ。

何かが芽吹いて、動くしかなくなるまで、考えなくて済むのなら、それほど楽な事もないだろう。

洗濯物を干しながら、嫌味な位に青い空を見上げる。まさに、抜けるような青空だ。冬特有の遠く薄い青色は、どこまでも澄んでいて、薄い雲ひとつなく、太陽だけを胸に抱いて、実に清々しい。

まったく、私の心の中とは正反対と言っていいだろう。

あの日から、SNSに動きはない。

ただ、スモアを食べた日だけ、紫苑くんが少し、スマホを触っている時間が長かった。

それだけで少しもやっとした。

でも、そこからは何も変わらない。彼はやっぱりスマホより本が好きだし、今までと変わらず、私といる時間の長さは変わらないし、ひとりで出かける事もない。

私に向ける優しい目も、気遣いも、言葉遣いも変わらない。

でもだから、何にも解決しないのだ。

意味もないのに、何の情報もないだろうって思いながら、それでもあのひとのSNSを覗き見て、そして私ができない事をしている現実と、そして変化したくないと思う事実を目の当たりにして、ぐちゃぐちゃに腹の底で捻じれる嫉妬に思考がかき乱される。

嫉妬が七つの大罪に数え上げられるだけの事はあるなと思った。これに狂う気持ちが今の私にはよく分かる。もしかしたらもう狂ってるのかもしれない。

だっていつも「それでも紫苑くんは私と暮らしてる」「今の紫苑くんは私の物だから」ってどこかで安心してる。今の彼の健康も、生活も、日常も、全部、全部全部全部、私がキレイに整えているのだもの。
放っておいたらカロリーメイトだけで生きてしまう彼を、真人間にしているのは、私なんだから。

だから。

だから、大丈夫。

だから紫苑くんは私のもの――――。

紫苑くんの事を、それなりにイカれた人だと思っていたし、ちょっと怖いと思っていたけれど、なんてことはない。私もそう変わらないような同類なんだろう。

だって恋してる人に「もの」だなんて、所有欲を持ってるんだから。

正解が分からない。

これでいいとは思えない。

でも、誰も不幸にしてないからいいでしょう?

でも私、これで幸せなの?

幸せに決まってる。だって紫苑くんと一緒にいるのに――――。

考えはずっと堂々巡りしている。そりゃそうだ。何の変化もないうえに、何の行動も起こしていないのだから、状況が動かなければ考えることだって代わり映えするはずがない。

雲がなく、風の動きも分からない空をじとりと睨み上げ、私は部屋の中へと戻る事にした。

...

..

.

「紫苑くん、ご飯だよー」

そうして、嫉妬でぐちゃぐちゃなメンタルのまま、それでも家事をこなし、それなりに美味しいと思える食事を提供できる辺りは、やっぱり私って大人だなと思ったりする。

今日の夕飯は鶏と舞茸の炊き込みご飯と、豚汁、海藻サラダと明太ポテトだ。お味噌汁も炊き込みご飯も脂質を抑えやすくて重宝する。

すぐに足音がして、紫苑くんがダイニングテーブルについた。そのいそいそと少し落ち着かない様子に、お腹が空いていたらしい、と少しうれしくなる。炊き込みご飯は彼も好きだし、実際ご飯をお茶碗によそってテーブルに置いたら、少し目が開いた。やっぱり好きなのだろう。

手早く食卓の準備を整えて、ふたりで食事をして。

この瞬間がやっぱり堪らなく幸せで、愛おしくて、そしてだからこそ、胸の中でぐちゃぐちゃと渦巻くどす黒い感情がまるで消えてくれない。

あの女は誰なの。

なんで何も言ってくれないの。

関係ないの、あるの?あってたまるか。

もういっそはっきりと――――・・・・

「ねえ、そういえばさ」
「ん?」

ご飯を食べ終えた後、思考をぐちゃぐちゃになった残飯みたいにしながら洗い物をしていた私に、珍しくソファへ移動せずダイニングで寛いでいた紫苑くんが声をかけた。

水の音で少し声が聞こえづらいので、ちょっと水量を落として返事をすると、彼はもう一度「そう言えばね」と枕詞を置いてから、言葉を続けた。

「この前、大学のころちょっと遊んだ子から連絡がきたんだ」
「――――え?」

平坦な、今日の天気を話すような口調で落とされた話題に、私は一瞬、意識が白むくらいの衝撃を受けていた。


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極楽ちどり
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