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【006:六箱 紫苑】2章『コッペリアの葛藤』19話

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2章19話


その静かな、光を吸い込んでしまったみたいに黒い目が、やっぱり好きだと今状況ですら思ってしまう。その事に心底腹が立った。

ぐしゃりと顔が歪む。もう何も繕えていないし、繕う気にもなれなかった。だってどう考えたって今更だ。きっと私のしょうもない姿を、彼はテディベアの目を通してずっと見て来ていたのだ。何を繕えと言うのだろう。

彼の胸ぐらをつかむ。

紫苑くんは欠片も抵抗しなかった。それどころか、ちょっと嬉しそうに私を見下ろしている。私は思い切り睨み上げているというのに、全く理解ができない表情だった。

「やっぱり馬鹿にしてるでしょ」
「してないよ。そんな訳ない。こんなに愛してるのに」

地を這うような声で詰めても、返ってくるのは本当に困っているような、そんな声だけだ。こんな時ですら、彼が「愛してる」なんて軽々しく口にしたその言葉に心臓が跳ねるのだから、やはり私は病気なのだと思う。

まだ不規則に涙が零れ落ちていて、紫苑くんは胸ぐらをつかまれたまま、私の頬をこれ以上ない位優しく、そっと拭う。

「全部言ってしまいなよ。ちゃんと聞くからさ。ちゃんと話してくれたら、ボクもあなたの限界とか、嫌な事とか、ちゃんとわかるから」
「っ・・・」

穏やかな、耳に心地のいい低い声。否応なしに怒りが鎮火されていく。こんなに簡単に絆される自分がいやだ。あまりにチョロ過ぎる。これでいい訳がない。私は怒っているのだ。

彼の黒い厚手のロンTを掴む手が緩みかけたが、気合を入れなおすように掴みなおす。行儀もガラも悪い事をしている自信があるが、でも今はこれくらいのことしておかないと気が済まない。

「・・・紫苑くんが浮気するの無理」
「してないよ。まあ、昔とっかえひっかえしてたことはあるけど、それは女体を良く知りたかったからなんだよね」
「・・・その話も聞きたくない」
「うん、わかった。ならもうこの話はしない」

ぽつ、ぽつ、と言葉を吐きだす。

端的で、感情的なそれは、実に幼稚でつたない。

「私、いつも・・・怖いの。紫苑くんに嫌われないように、しなくちゃって、すごく思ってて、それが、たまにものすごくしんどくて・・・相談できる人がいないし、ここには、紫苑くんと私しかいないから・・・」
「うん」
「帰りたい場所も、ここしかない。他に何もないから・・・それで紫苑くんに依存、してる、と、思う。その状態って良くないなって、なんか、違うよなって思ってて」
「うん」

毬栗いがぐりでも吐き出しているような心地で、ようやく向き合った感情を吐き出す。隠しておきたかった本音を話すというのは、やはり言葉にしづらい。ただ苦しい作業であるにもかかわらず、こうして吐き出してしまうと、なんだか心のモヤモヤが晴れるような、そんな気がした。

彼の目を見ている事もできなくて、私は視線を下へ向け、胡坐をかいた彼の脚の間にある、自分の膝の丸みをただ見ていた。それでも、紫苑くんの視線は感じていて、それに少しだけ安心もしていた。

「でも、紫苑くんは、例えば佐々木さんと仲良くしたら、それは違うって言うし・・・それに、実際私、紫苑くんとの時間を大事にしたいって思っちゃったし・・・、ッ゛・・・、でもやっぱり゛、なんかずっと寂しいし、紫苑くんに嫌われないようにって、考えてる自分が、あ゛んまり、好きじゃない」
「うん」

やっぱり優しい手つきのまま、彼の手が私の両頬を包み込み、そうしてゆっくりと上へ向けられる。霞んでは明瞭になる視界に映る紫苑くんは、やっぱりどうしようもないくらい綺麗で、病的で、穏やかだった。

「嫌われないように、って思うのは、人を好きになったら当然なんじゃないかな」
「・・・でも、思いすぎるとしんどい」
「それはそうだよね。んー・・・そうだな。そもそもなんだけど。一般論的にもさ、嫌いになるなら何かしら理由があるでしょう?嫌がらせをされるだとか、嫌な事を言い続けられるとか・・・。ボクたちの間には雇用関係があるけど、でも、恋人でもあるよね?その関係って、当然だけど「好き」なのが前提にあるじゃない?」
「・・・うん」
「いきなり、ちょっとした一言だけで、今嫌いになりましたもう無理です!・・・っていうのは、まあ、普通に生活してたらなかなかない事態じゃないかな、ってボクは思うけどね」
「・・・・・」

確かに言われてみればその通りだ。

「それにボクはね?あなたと、ボクと、あとは人形だけで完結する世界が欲しいし、そのために動いてる。あなたの全部が知りたいし、その目に浮かぶたくさんの感情を間近で見ていたい。あなたの感情を他の人間と共有したくない。嫉妬するあなたがすごく可愛かったから、もうちょっと見て見たいって思ったけど、逆に言えばそれだけの事なんだよ。あなたが苦しんでいるのも、嫌がっているのもすごく素敵でかわいいけれど、でもそれで嫌われるくらいならもうしない」
「・・・・・」

彼の言っている事はめちゃくちゃで、もしこれを言っているのが紫苑くんじゃなかったら、きっと私は「頭イカれてんのか」って面と向かって罵っていたに違いなかった。
でも残念ながら、言葉を発しているのは紫苑くんで、そして彼は、いたって真剣に、これ以上なく真面目に、私の目をまっすぐ見つめてこの言葉を吐きだしているのだ。

「ね。だから、ボクがあなたを嫌うなんて、まずあり得ないんだよ」

そうして、イカれた事を言われているのに、私は、心底その言葉に安心してしまっているのだ。

ぽろ、とまたひと粒涙が落ちて頬に伝い落ちた。

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極楽ちどり
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