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【006:六箱 紫苑】2章『コッペリアの葛藤』9話
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2章9話
刻んだ玉ねぎを硝子ボウルへと移してラップをし、電子レンジに放り込んだ。
涙にある自浄作用のお陰か、ほんの少し涙をこぼしただけだけれど、その流した分くらいは、気持ちが軽くなった気がする。そう思い込みたかった。
何も解決はしていない。いや、解決はしているのか。だってさっきから何度も考えているように、答えは決まっている。方法論はまた別として、私は紫苑くんが嫌がる事をしたいとは思っていないのだ。その結論ありきで考えれば、私は佐々木さんとは距離を開ける以外に選択肢などありはしない。
冷蔵庫を開け、人参としめじと、保存用バッグに入れた鶏ハムを取り出す。紫苑くんはキノコ類があまり好きではないけれど、細かいみじん切りにしてしまえば食べてくれる。最近はお野菜もお肉もおさかなも高いので、キノコは救世主なのだ。特段家計に余裕がないわけではないのだけれど、やはりこう、節約癖というのはなかなか抜けない。
取り出したしめじを適当に刻んでブンブンチョッパーに放り込み、チェーンソーのエンジンをかける紐みたいな部分を引っ張ってみじん切りにする。人参も、適当に切ってブンブンチョッパー行きだ。
フードプロセッサーももちろんとても便利なのだけれど、取り出したり締まったりの手軽さからこちらを使いがちだ。
玉ねぎもこちらでやればよかったのだけれど、ちょっと頭が回ってなかったので仕方がない。それに、玉ねぎは少し荒いみじん切りの方がなんとなく美味しい気がする。
フライパンに火を入れ、バターもひとかけ放り込み、溶けてからチンした玉ねぎを入れる。チンしてから炒めると飴色になるのが早いのだ。
シリコン製のヘラで焦げないように玉ねぎを混ぜながら、思考は回り続けている。
特段、彼に反逆しようとか、反抗しようという気持ちがある訳ではないのだ、私は。疲労困憊で潰れかけていた私を掬い上げて、癒して、新しい生き方を教えてくれた紫苑くんには、恋愛感情もだけれど、単純に人間として深く感謝している。
なんとなく、彼がしっかりと計画して私をこの家に誘い込んだことも察してはいるものの、それを踏まえても、多分私は、あのまま前の会社に勤めていたら潰れていただろうと思うのだ。
そうなる前に掬い上げてくれた、居場所をくれた紫苑くんは、やっぱり恩人で間違いない。
その上更には恋人で、一年経って尚、胸が焦げるような恋慕を抱いてしまっている。
そんなもの、離れられるはずもない。
どうせオムライスだし、もう紫苑くんもこちらに来てしまっているのでちゃっちゃと人参としめじもフライパンに合流させた。後で夕飯用に作るオニオンスープの時は、しっかりと飴色になるまで炒めよう。その後ルクルーゼに移し替えて、ストーブでゆっくりコトコトさせたい。
鶏ハムもサイコロ状に切って、フライパンに放り込み、ケチャップと調味料を加えて混ぜ合わせる。
こちらからお茶に誘わないのは勿論として・・・どうするのがいいだろう。今後も佐々木さん夫婦はあの別荘を使うだろうし、ご近所関係を悪くしたいわけでもない。夫、という事になっている紫苑くんを、悪く言いたくもない。まさかここに来て、人間関係に悩む羽目になるとは思っていなかった。
まあ・・・これはもう、出たとこ勝負というか、ちょっと忙しいって感じで庭先で話す程度のやり取りに納めていくのが無難なのかな。
ケチャップに少し焦げ色のが付いたところで、炊飯器からボウルへご飯をよそい、そのままフライパンへどさっと落とした。米粒を潰さないよう着る様に混ぜ合わせて、ちょっと赤色が足りなかったのでケチャップを少し足す。少し炒めて水気を飛ばしつつ、卵をふたつ、ボウルへ割り入れた。
ちらりと視線を上げ、ソファに座る紫苑くんを盗み見る。本を読んでいるらしく、時たまページをめくる紙の音が僅かに聞こえてくる。こちら側から見える後頭部は身じろぎもしない。
嗚呼もう本当に。考える事すら馬鹿々々しくなってくる。
どうしたらこんなに好きになれるんだろう。
どうしたら、こんなに好きなのに、不満を抱けるのだろう。
気持ちなんてもっと、白黒はっきりしたものなら楽なのに。
チキンライスの入ったフライパンの火を止めて、隣で別のフライパンを温める。バターが溶け、じゅわじゅわといい音のするフライパンの上に溶き卵を流しいれた。
紫苑くんは昔ながらの、きちんと巻かれているタイプのオムライスが好きだ。でも、卵も好きだから、卵は半熟の厚めの方が食べるスピードが速くなる。少し掻き混ぜてすぐにチキンライスを入れ、卵の端をご飯に巻き付けるように形を整え、逆手でフライパンを持ち上げ、少し勢いをつけてお更にひっくり返した。
なかなか上手にできたオムライスにひとり満足して、流石にオムライスだけじゃ寂しいか、と今更気づき、お湯を沸かして粉タイプのコーンスープを作る。盛り付けたオムライスの横に、冷蔵庫にあったレタスを千切って、ミニトマトも添えてドレッシングをちょこっとかければ、なんとなくランチプレートっぽくなる。手抜きだけれど、まあいいだろう。
「できたよー」
「はぁい」
私が声をかけると、紫苑くんがのっそりと立ち上がり、ダイニングテーブルに腰かけた。その彼の前にオムライスのプレートと、コーンスープの入ったマグを置いた。
「私の分も作って来るから、先に食べてて」
私が彼の前にカトラリーも並べながら言うと、紫苑くんはちょっとだけ笑って首を傾げて見せた。
「待ってるよ。すぐでしょう?」
「っ、」
ほんの、ほんの一瞬。つん、と鼻の奥が疼いた。
「うん。ありがと。すぐ作っちゃうね」
きっとまだ、さっき泣いたのを引きずっていたのだ。彼のいつも通りの優しさに涙腺が刺激される。こんなしょうもない事で泣くなんてどう考えたっておかしいので、すぐに頷いてキッチンへ戻った。
少しだけ彼のモノより小ぶりなオムライスをちゃちゃっと仕上げ、彼の前、いつもの席へと腰かけた。
「いただきます」
「召し上がれ」
ちゃんと手を合わせていただきますと言うあたりに、彼の育ちの良さを感じる。当たり前の事だけど、その当たり前を共有できることがどれほど難しいか、私はもう嫌というほど知っていた。
スプーンで大きく掬ったオムライスを、ぱくりと小気味よく食べてくれる。お気に召したみたいで、スプーンの進みが早い。よかったと、心の底から思う。
「おいし?」
「うん。美味しい」
淡い笑顔と共に即答されたその返答に心から満足する。
嗚呼、幸せだな・・・。
何故だろう。ちょっとだけ、また泣きそうになった。
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