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【006:六箱 紫苑】2章『コッペリアの葛藤』21話

前の話

2章21話

紫苑くんに手を引かれて部屋を出た。

彼の部屋へ向かう為に廊下を歩く。彼が前で、私が後ろで。手を引かれたまま、彼は振り返る事もなく、でも早すぎない歩調でゆったりと歩を進める。

私はと言えば、どうしようもない羞恥に襲われて、俯いたり、彼の後頭部を凝視したり、顔面に熱が滲むのを発散したくて首を振ったり、どうにも怪しい挙動をしていた。
だって、よくよく考えなくても、私今逆プロポーズしてしまったのだ。あの瞬間、そんな事を考えてはいなかったけれど、完全にやらかしている。

しかもあっさりと「書類準備しようか」とか言われてしまった。

どうしよう。

どうしたらいいんだろうこれ。

何か全然ロマンチックじゃないし、そもそも紫苑くんは私が言わなければ結婚なんて考えもしなかったに違いないのだけれど、でもこうしてあっさり了承されてしまうと、夢なんじゃないかと思ってしまう。

え、これは普通に書類を書いて、提出して、夫婦になるのだろうか・・・?

「わぶっ!」

不意に顔面が硬い身体に激突し、思わず変な声が出た。足元ばかりを見ていた結果、立ち止まった彼の背中に激突したらしい。

鼻を押さえながら顔を上げると、ばっちりと振り返った紫苑くんと目が合った。

「・・・どうしたのさ、そんな顔真っ赤にして」
「あ・・・いや・・・なんでもない、です」

目が合ってますます顔が熱くなる。自分の情緒が心配になる。ついさっきまでヒステリックに泣き叫んでいたというのに、今じゃ照れているのだ。感情の上下が凄すぎて自分で自分に呆れてしまう。

「そう?・・・どうぞ。散らかってるけど」
「お、邪魔します・・・」

私の感情の乱昇降を気にした素振りもなく、紫苑くんは彼の部屋のドアを開き、電気を点けた。

彼の言う通り、部屋は散らかっていた。お世辞にも「片付いているね」とは言えないものの散乱具合だ。部屋の大きさ自体は恐らく私の部屋より広い気がするが、物が散らばっているからか、かなり狭く感じる。
ぴっちりと閉じられた黒くてぶ厚い遮光カーテンの圧迫感のせいもあるかもしれない。

照明は特徴のないドーム状の蛍光灯だ。蛍光灯の白い光が、寒々しく部屋を照らしている。

ビジネス書から心理関連、人形制作に纏わるもの、それから山のような文庫本が、あちらこちらで雑多に積み重なっていた。他にも作りかけの人形の服らしきものであったりとか、洗濯に出すのを忘れていそうな服であったりがあちこちに散乱している。ベッドはシングルの、前の彼の部屋にあったもので、見覚えがあった。

でも何よりも目を引いたのは、作業用に置かれた散らかったデスクの上に鎮座する人形だ。彼が作る人形の中でも殊更大きい部類に入るだろう。

見覚えがある。

あの日、付き合う事になった日に見た、私そっくりの人形だ。

あまり感情の読み取れない表情をして、硝子玉でできた瞳が虚空を見つめている。

前私にくれた木綿のワンピースとお揃いの物を着て、そうして黒い縄で縛られてそこにいた。私がされたことのない、結構複雑な縛り方だ。

デスクの上には他にも、私の写真が何枚も出されている。どう見ても隠し撮りと言った雰囲気のものばかりだ。しかも会社に勤めている頃の私である。

でもあまり、驚きはなかった。

なんというか、「やっぱりな」という感じだ。でも本当に、こんなのどうやって撮ったんだろう。普通に犯罪な気がする。

「・・・この写真どうしたの?」

きっと、ついさっきまでの私ならただ受け入れて聞かなかったであろう質問を口にする。勝手に自己完結して、でも実は疑問や不満が積もり積もって爆発したのが今回だ。同じ轍は踏みたくない。
それに、そもそも、彼は多少明け透けな質問をしたくらいじゃ、私を手放したりしないというのもよく分かった。だから案外、躊躇いもなく、私はその問いを口にできた。

「普通に自分で撮ったよ?」

予想通りというべきか、彼の回答はあっけらかんとした物だった。当然でしょう?という副音声が聞こえてきそうな口調だ。さすがに呆れる。なんで会社にいる私の姿を自分で撮ってるんだ。

「・・・会社にいた?」
「いたよ。清掃員として入り込んでた」
「それってストーカーしてたって事だよね」
「うーん、そう言うつもりじゃなかったけど、一般的に言えばそうかもしれないね」

そうかもしれないね、ではない。

ただの犯罪である。

流石に開いた口が塞がらない。

「え、紫苑くんっていつから私の事知ってたの・・・?」
「んー・・・あなたにベランダで話しかけたよりも、ちょっと前かな。ゴミ捨て場ですれ違って、見たことない位綺麗な目だったからさ。それで欲しくなったんだよね」

嗚呼、もう本当に、馬鹿々々しい。

私の方がずっとずっと、彼を好きだと思っていたのだと、今更気づく。

紫苑くんはいつも淡々として感情の浮き沈みがあまりないから、だから絶対、私の方が彼を好きでたまらないのだと、そう思っていたのだ。

でも違う。

私ももちろん、彼に依存して、彼の事を愛しているけれど、きっと彼もそれと同じか、もしかしたらそれ以上に、彼は私を欲しているのだ。

私が悩んできたすべての事が馬鹿らしい。

この光景を見て、ひと摘みの恐怖と、それをずっと大きく上回る安心感と悦びを得ている自分に呆れた。

犯罪がなんだ。

それが私以外に向けられるのなら問題だけど、でも私に向けられた物ならいっそのこと安心材料でしかない。

「じゃあ、変な悪戯しないで、ちゃんと捕まえててよ」

一歩、彼に近づく。

背の高い彼を、仰ぎ見るように見上げた。少し驚いたように目を見開いた彼は、するりと私の腰に手を回し、視線を外さないままゆっくりと首を傾げた。

「今すごく人形を作りたいな」
「私の?」
「そう。今の表情最高だった」

改めて考えなくても、紫苑くんって本当に変態だよな・・・。なんで好きなんだろう。もう何で好きよく分からないくらい好きだから今更か。もう少し、どうやって私を好きになったのかとか、好きになってから何をしたのかとか、全部聞いてしまいたいけれど、それより何より、私は今、どうしようもなく彼にめちゃくちゃにされたかった。

大好きな、彼の綺麗で大きな手を取って、その掌に自分の乳房を押し付ける。

「じゃあもっと観察した方がいいんじゃない?」
「・・・うん、そうしようかな」

彼の返答に満足して、私はにんまりと笑って見せた。


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極楽ちどり
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