【006:六箱 紫苑】2章『コッペリアの葛藤』10話
前の話
――雑記――
紫苑くん視点です。
あの、紫苑くんをご存じの方ならば恐らく把握してくださっていると思うのですが、彼はサイコパスのクソ野郎です。いえあの、好きなんですよ?紫苑くん。書いてて楽しいキャラクターだし、とても大事にしておりますが、しかしクソ野郎です。まごう事なきクソ野郎です。つまりあの、クソサイコパス野郎に愛されるのって大変だよね、ってお話です。
―――――
2章10話
六箱紫苑は、自分の中で生まれた感情が、恐らくは「嫉妬」なんだろうな、と早々に結論付けていた。
それは実に不快かつ興味深い感情だった。
自分の所有物であるはずの彼女が、自分とは違う人間と良好な関係を築こうとしているのが、どうにもこうにも気に入らない。何というかしっくりこないのだ。
彼女は己の用意した平穏な箱庭の中、夢を見る様に、ただ優しい世界で生きていたらいい。
そう考えたから、彼は丁寧に、時間をかけ、信頼を勝ち取り、己の異様さを完全に隠し通して、彼女をこの箱庭の中へと大事に大事にしまい込んだのだ。
何故か漠然と幸せになれると妄信されている「結婚」という行為を強要してくる親とも、家庭を持ち考え方や価値観が変わってしまった元友人とも、彼女を自分の時間を確保するための労働力として搾取する上司とも、適度に、適切に関係を切断させて。
彼女の、感情を黒く塗りつぶし、ガラス玉のようになっていた目が、今は自身に対して様々な感情を移ろわせている。それを毎日見ていられるという事実は、六箱にとって大変満足感を得られることだった。
だが、最近はその目を喜色に染め、あまつさえそれを他の人間へと向けている。
己に向けるものとは種別の違う感情だという事は勿論理解しているのだが、そうと理解していて尚、どうにも納得がいかない。
彼女は自分の物であり、他者との共有はできる限り最低限にしたいのだ。それは言葉も、表情も、動作も、すべてにおいてである。
恐らくこの考え方が、世間一般的でないことを理解している六箱は、それをそのまま口にはしなかった。理解されない事をわざわざ口にする意味もない。
その代わり、いくつか現状の解決方法は考えた。
手っ取り早いのは、あのふくよかな夫人を殺してしまう事だ。一番最初に考え付いた。
この辺りは、ちょっと歩けば深い山である。死体を隠すには事欠かない。が、夫もいるし、広い人間関係を構築している佐々木夫人である。彼女を殺した場合、疑いの目が此方にも向く可能性は十二分にある。後々面倒になりそうだし、早々に却下した。
次に思い浮かんだのは、佐々木家の夫に圧をかけて、あの別荘を手放させるというものだ。
六箱は子どもの頃からこの別荘に来ていたこともあり、昔からあの別荘を所有している佐々木家の夫の事は性格、人となり含めて把握している。
喧嘩こそ良くするものの、あの男は愛妻家である。少々デリカシーに掛ける言葉が出やすい為、時たま佐々木夫人が怒りを爆発させるが、まあ数年に一回はある事だ。
なので夫人を材料に脅迫することは簡単である。
が、これも佐々木家が手放した後、あの別荘を購入する人間の良し悪しが分からないという懸念点が残る。もし今よりもフレンドリーで遠慮のないタイプの、しかも若い世代が購入したりしたら、それこそ場合によっては殺すしかなくなる。
この界隈を騒がしくするのはごめんなのだ。
あとは夫人が可愛がっている犬を殺したり、悪質ないたずらを仕掛けて鬱になるよう仕向けるとか、夫のでっちあげの不倫情報を投函してみるかとか、まあ色々と考えた。
考えた結果、このむしゃくしゃする気持ちを彼女ともちゃんと共有したくなったのである。この嫉妬という感情を生み出したのは彼女であり、であるならば、その感情を消し去るのも又彼女でなければならない。
だから、彼女の罪悪感を煽って、彼女自身にけじめをつけてもらう事にしたのだ。
目の前でオムライスを食べる彼女は、今日も綺麗だ。
ほんの少し孤独で、多少疑いを持ち、それでも尚、それらの感情を上回るほどの恋慕を乗せた目で自身を見る彼女を見ているのは、とても心地いい。
今は特に、葛藤があるようで感情の移ろいが激しく、表情がころころとよく変わる。
彼女の部屋に置いてあるテディベアの目玉に設置したカメラは現在も作動しているし、なんならこの1年間で盗聴器も増えた。だから六箱は、彼女が隠れて泣いている事も、孤独感に苛まれている事もきちんと把握している。
把握していて、その上であまり手を出さず、彼女がどう動くのかをつぶさに観察しているのだ。
普通に考えて趣味が悪いのだが――というか犯罪なのだが――、六箱からしてみれば愛故の当然の行為でしかなかった。
彼女がどう考えるのかが知りたいのだ。
そしてどういう行動に出るのか。
どういう感情を六箱へと向けるのか。
それを一番近くで観察して、理解して、絡めとって、傍に置いておきたい。それが六箱紫苑の愛なのだから。
「おいし?」
彼女の作る料理は大概美味しい。それは勿論、彼の好みに寄せた味付けにしてくれているからだ。それをよくよく理解している彼は、聞かれたときはきちんと正直に答える様にしている。
彼女の学習を妨げるつもりなんて毛頭ない。
「うん、美味しい」
答えながら、彼女の目元が少し赤いのを見て、もしかしたら少し泣いていたのかもな、と察する。
人形というのは脆いものだ。
美しく、儚いものだ。
球体関節人形は、特に顔面部分が内部が空洞になっているため、素材によってはどうしても脆くなる。その脆い美しさを丁寧に世話するのもまた、人形と暮らす素晴らしさのひとつだと、六箱は考える。
箱庭に囲われた彼女も、己を取り戻した半面、外的な刺激に弱くなっているのは間違いないだろう。なんせこの場所は平穏で、感情の浮き沈みといえば、六箱紫苑と自身の間での事ばかり。
時たま外部からの連絡があるとしても、それは見るか見ないかを選択できるメッセージでのやり取りばかりだし、そういった人間関係の悩みについて、六箱は常に彼女に寄り添ってきた。寄り添いつつ、しっかりと囲い込みはしているが、決して彼女の意見をないがしろにしたことはない。
その絶対的味方と、意見が反してしまっている現状は、ぬるま湯に浸かっていた彼女の精神を大きく揺るがしているのだろう。
彼女が料理を作るようなタイミングで泣いていたという事実を察し、そこでようやく、彼は少しばかり反省した。
追い詰めて、壊れてしまうところも本当に、ものすごく、心底見て見たいのだけれど、でも人形も人間も、壊れたら完全に元通りにはならないものだ。例えどう精巧に修理した所で、壊れた部分は脆いままだし、傷は隠せても、完全に消えることはない。
やりすぎて彼女が壊れるのは本意ではないのだ。
自分好みの味付けのオムライスに舌鼓を打ちながら、彼は決意した。
本当は、彼女が悩みぬいて、自身以外を全部捨て去るまでゆっくり待とうと思っていたのだけれど。
でも思いのほか彼女が重く悩んでいそうだから。
だから少しだけ、彼女が選択しやすいように、手を貸すことにしたのだった。