ほんとうは。
自分にとっての
ほんとうは、を人前で出さないようにしてきた。
自分の中の当たり前が人には通じない。
共感されない。
人にとっての当たり前がわからない。
共感できない。
このギャップを埋めるために
自分の「ほんとうは」を出すのをやめた。
いつの間にか自分の「ほんとう」が
よくわからなくなった。
ほんとうは、を出さないように努めたことは
悪いことではないと思う。
ただ自分の「ほんとうは」を野放しにしたら
どうなるのだろう。
何が出てくるのだろう。
そんな好奇心が出てきた。
人生で2度、死にかけた。
それがなかったとしても、
ある程度人生を重ねれば「死」はさほど
遠くないとわかる。
どんな嫌な人生であっても、
終わることを自覚させられる。
いつまで遊べるかわからない。
いつまで楽しめるかわからない。
だからやってみたいと思ったら
やってみた方がいい。
私はそう思っている。
さて、激動といいたくなる3年が
過ぎた。
想定外すぎる3年をなんとか
やってきた。
本来ならここで安定を望みたい。
けれど、世界情勢を見ても
置かれている状況を見ても
安定は見込めない。
今の仕事を漫然と続けたら
先細り、そう遠からずなくなりそうだ。
会社も人生も一緒。
いずれはなくなったり、
形を大きく変える。
これからをどうするか、
これからをどうしたいか、
今、ちょうど、見渡せる位置に
きているのかもしれない。
ここまで来たから、
次に行ってもいいよ、と
示されているような。
せっかくなので
自分にとっての「ほんとうは」を
可能な限り採用をしてみようかな。
ま、やってみたら、
案外、珍しくも特異でもなかったりして。
まだ見ぬものは
すごく良きものに見えたり、
ひどく悪きものに見えたり、
勝手に思い込んでいることが多い
気もするので。