43歳の遺書(1)
死にたいと思うことが、たびたびあります。
15歳の頃から、何のために生きているのかわからないという気持ちがありました。
でも、そんなに悪い日々ではなかったし、まだ若く未経験に溢れていたので、将来に希望があったというか、当時私は新潟県の田舎に住んでいたので、東京で暮らすことを楽しみにしていたと思います。
私は毒親育ちではありません。
自分で言うのもあれですが、私の両親はとても良い人たちです。
YouTubeで毒親に育てられた人のインタビューをよく見かけるようになりました。世の中には、親の愛情を受けずに育って、大人になっても鬱病などの精神疾患で苦しんでいる人たちがたくさんいることを知りました。
彼らの壮絶な日々に比べれば、私がいかにまともな両親に育てられ、そのおかげで自立した今も幸せな生活を送っていることがわかります。
ですから両親の不満を言うのは大変恥ずかしいことで、親孝行に励んでいます。
でも、情けないことに死にたいと思うことがたびたびあります。
人には言えないのですが、正直、43歳になっても生きがいを見つけられない自分を両親のせいにしてしまうのです。
私はくだらない苦しみや悲しみを抱えた、くだらない人間だと思います。
頭ではそのように自覚し反省しているつもりなのに、心では人のせいにして生きているのです。
つまらない、意味もない、退屈な遺書になりますが、書きたいと思います。
(つづく)