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テッド・シモンズ殿堂入りの衝撃

マービン・ミラーの陰に隠れてしまうが、1970年代にセントルイス・カージナルスで強打の捕手として活躍したテッド・シモンズ選手の殿堂入りのニュースは、米国の記者たちに喜びと驚きをもって受け止められた。

ジェイソン・スターク記者によると、シモンズ選手は全米野球記者協会の投票では1年目から得票率が5%未満のため足切りをされたにも関わらず、時代委員会で殿堂入りすることができた初めての選手であるという。

旧制度のベテランズ委員会ではこのようなことは過去に無く、今回の投票者の英断を高く評価したい。

シモンズ選手の評価がこれまで低かった理由は、主要タイトルや表彰とは殆ど無縁であったことが大きいと考えられる。

主要表彰は1980年のシルバースラッガー賞だけで、オールスターの出場こそ8度あるものの、スタメン出場は僅か2回(78年と83年)と寂しい限り。

カージナルス時代には同じナ・リーグにジョニー・ベンチ選手(シンシナティ・レッズ)が、ミルウォーキー・ブリュワーズに移籍後も同じア・リーグにカールトン・フィスク選手(シカゴ・ホワイトソックス)がいたため、捕手としてリーグNo.1になることができなかった。

しかし捕手として十分に殿堂入りに値する選手であったことを各種STATSは証明している。

歴代16位となる捕手通算1771試合の出場記録

シモンズ選手は強打の捕手として知られているが、捕手としてのキャリアは短くない。

通算2226試合出場(歴代2位)のフィスク選手は別格としても、同時代のスター捕手であるベンチ選手は1742試合に留まる。(歴代17位)

また盗塁阻止は通算611回で、記録が残る1950年以降では歴代8位を誇り、盗塁阻止率でも33.96%と決して悪くはない。(フィスク選手は33.81%)

捕手として極めて高い通算出塁率.348

20世紀以降の記録で捕手としての出場が70%以上かつ7000打席以上に限定すると、シモンズ選手の通算出塁率.348は歴代7位の記録である。

これは同時代のスター捕手であるベンチ選手、フィスク選手、ゲイリー・カーター選手らを上回る。

また主に4番を打った1976年と77年にはリーグトップの敬遠四球を記録している。(それぞれ19個と25個)

通算で855四球は先の基準で歴代4位、188敬遠四球は同じく歴代1位である。

長打率こそ通算.437と目立った数字ではないが、高い出塁率のおかげで通算OPS+は歴代7位の118をマークしている。

さらに三振数も非常に少なく通算で僅か694であった。

四球数を三振数で割ったBB/Kでは1.23であり、同時代のベンチ選手、フィスク選手、カーター選手らが軒並み1未満であるのと対照的である。

そして何より通算2472本の安打数は捕手として歴代2位の記録であり、通算2塁打数も歴代2位の483本である。(1位はどちらもイバン・ロドリゲス)

安打も四球も両方において優れたバッターであったと評価できるだろう。

同時代のスター捕手と比べると若干見劣りする点が響き、殿堂投票の1年目で僅か3.7%の得票率で足切りを食らってしまった。

シモンズ選手は通算21年プレーし、1988年限りで引退したため、初年度の選考は94年であった。

この年は同じFirst Ballot組にフィリーズの大エースであるスティーブ・カールトン投手がいたが、実に95.6%の圧倒的な得票率で一発殿堂入りを果たした。

同じFirst Ballot組には打者でグレイグ・ネトルズ(ニューヨーク・ヤンキースなど)やデーブ・コンセプシオン(シンシナティ・レッズ)がおり、彼らは足切りを免れたが、シモンズはこの年限りで選考リストから消えてしまった。

シモンズは2011年に時代委員会による投票で復活するが、11年は50%未満、14年も低得票率で選に漏れていた。

風向きが変わってきたのは18年で、この年は68.8%(11/16票)と、あと僅か1票で殿堂入りと惜しいところまで急浮上したのだ。

ここ数年で再評価された理由の一つには、総合指標であるWARが市民権を得たことを挙げてもよいだろう。

ジェイ・ジャッフェ記者はJAWSという独自の指標を作り、ポジションごとに殿堂入りの妥当性を分析した。

JAWSとは通算WARと7年間ピーク時のWARの平均値である。

これにより長く現役を続けた選手だけではなく、キャリアは短くとも圧倒的な成績を記録した選手にも脚光が浴びることになった。

シモンズ選手はこのJAWSの捕手ランキングで歴代10位に位置するのだ。

当時まだ現役であったジョー・マウアーを除いた上位10位で唯一殿堂入りできていないのがシモンズ選手であった。

ゆえにJAWSを発明したジャッフェ記者もシモンズ選手の殿堂入りを手放しで褒めているかと思いきや、彼はルー・ウィテカー選手が同様に選ばれなかったことを嘆いている。

80年代にデトロイト・タイガース一筋で活躍したルー・ウィテカー選手は今回37.5%の得票率で選に漏れてるが、二塁手のJAWSランキングで13位に位置している。

これは既に殿堂入りしているロベルト・アロマー選手やクレイグ・ビジオ選手よりも高い値だ。

もちろんWARの数字だけで殿堂入りが決められるものではないが、選考の材料とされて然るべきではないだろうか。

時代委員会は同時代の記者たちが正当に評価できなかった選手たちを再評価するシステムである。

当時の記者たちと同じ指標でしか評価できないのであれば不要であり、その点で今年の選考は極めて画期的なものであったと言える。

なお来年は黄金時代(1950~69年)とそれ以前(~1949年)が選考対象である。

60年代にフィリーズで活躍した三塁手のディック・アレン選手や、50年代にホワイトソックスで活躍した左翼手のミニー・ミノーソ選手、60年代にツインズ一筋で活躍した右翼手のトニー・オリバ選手、同じく60年代のツインズのエースであるジム・カート投手らの殿堂入りが期待されている。

シモンズ選手と同時に選ばれた故マービン・ミラー氏に関しては、こちらの記事を併せて読んで欲しい。


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