【連載小説】 ふたり。(1) - side J
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3月8日 放課後
なんか…
違うんだよなぁ…。
わたしはそうつぶやいて、天を仰いだ。
今のわたしにお似合いの曇天模様。
晴れてたら夕焼けがキレイなんだろうな。
そのまましばらくぼーっと空を眺めていた。
勉強は好きじゃなかった。
だから、芸術コースのあるこの恵比寿一高を選んだ。
受かったのは運がよかったんだと思う。
クラスメイトはみんな、何かに秀でていた。
でも、わたしには誇れるものが何もない。無芸の人間だ。
大量の課題に追われるうちに、そつなくこなすやり方を身に付けてしまった。期限は守るし、居残りはしない。でも、提出するのはいつも駄作だ。
みんなは必死に自分のこだわりを貫こうと、放課後まで作品づくりに悪戦苦闘している。わたしにはその熱意がうらやましかった。
勉強は好きじゃなかったけど、それよりも、一生懸命になれない自分自身が嫌だったんだと、ある時気が付いた。芸術コースは学科の勉強より芸術系の授業が多い。入学したての時はあんなにもワクワクしていたというのに、今は灰色の気分だ。
そんな気持ちを抱えたまま、もうすぐ高校2年になる。
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1ヶ月後・4月8日 放課後
「写真部…?」
私はあっけにとられて聞いた。
「そう。大空さん、帰宅部じゃない?ウチ弱小だから、部員1人でも多く欲しくって」
「えっと…。2年からでも入れるものなのかな?」
「是非是非!未経験者も歓迎!部室3階だからね!よろしくね!」
彼女はそうまくし立てると、踵を返して行った。まだ入るとも、見学するとも言ってないのに。
あれはクラスメイトの、誰さんだったかな。
いくら引け目を感じてみんなを敬遠してるからって、1年間も一緒のクラスで名前も思い出せないなんて…。
ああ、つらい。
わたしは表面上の付き合いだけは得意だ。上っ面がいいとも言う。だから今みたいに、断りたくてもうまく断れず、周りに流されながら生きてきた。
「写真部かぁ…」
1年生の時、写真撮影の実習があった。初回は夏休み前だったかな。
その時からもう、適当にこなしてただけだもんなぁ。
逡巡していると、ふと窓際の一番後ろの空席が目に入った。
不登校の子の席。
たしか、去年の5月頃からずっと来ていない。
名前、なんて言ったっけ?たしか、ええと、
澤井さんだ。
あれ?なんで今思い出せた?
澤井さん…
写真部…
1年前・4月10日 HR
「澤井です…。特技は写真撮影です、宜しくお願いします…」
「声が小さいぞ~。自信を持て。なんたって澤井は写真コンテストの中学MVP、最優秀選手なんだからな」
「えー卍?」「すごーい」「中学MVPとか三井じゃん三井!」「みっちゃーん!」「いや名前にみー入ってないからwww」「www」
「はいはい静かに。次の人ー。澤井、座っていいぞー」
「はい…すいませ…」
だんだん思い出してきた。
入学直後の自己紹介。あの時のわたしは変に舞い上がってて意識高くて、今とは違う意味で周りが見えてなかったけど、MVPなのにえらく控えめな子がいたのは、なんだか印象的だった。
学校に来てない澤井さんは、写真コンテストの中学MVP…
だんだんと彼女のことが気になってきた。
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翌・4月9日 始業前
「おはよ大空さん、昨日は急にごめんね~勝手なお願いしちゃって」
「おはょ、えっ…いや、こっちこそごめんなさい、部室行かなくて」
昨日の人だ。
名前は…たしか…、の、の、野木さん。野木 睦美さん。思い出した、あぶねーあぶねー。
「野、木さん、ちょっと聞きたいことが」
「なになに?珍しいね」
確かに、わたしからクラスの誰かに話しかけることなんて、下手したら一年ぶりくらいだ。
「澤井さん…っているじゃん」
「うん、ああ、うちのクラスの、学校来てない子ね。あの子元写真部だよ。」
「」「ああー、うん、そうそう」
一番気になってたことをサラッと言われてしまったので、何かを取り繕うように元々知っていたかのようなフリをしてしまった。こういうのがダメなのに。
「あの子中学の時すごかったらしいけど、急に来なくなってさ。詳しくは分からないんだけど、たぶん、去年の3年生にけっこう厳しめの先輩がいたから、何か怒られて病んじゃったんじゃないかって話だよ」
「あっ…そうだったんだ~」
へえ~、と何度もうなずいてみせる。野木さんは聞かれてないことまでどんどん喋っちゃう人みたいだ。何か口を滑らせてトラブルにならないか心配になってくる。
「なになに、つまり大空さんは」
「えっ?」
「それを聞くってことは…、写真部に興味持ってもらえたと思っていいのかい?」
「あっ…。う、うん…!まだ、検討中です…けど…」
「あはは、大丈夫だよ、もう怖い先輩とかいないし。気が向いたら放課後遊び来てよ、期待してるぜっ」
「うん、ありがと…」
野木さん、強引だけどちょっと面白い人だ。
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少し頭を整理しようと思う。
わたしは写真部に誘われた。でも特に写真の経験がないし、2年生から部活を始めるのは気後れする。
すると、うちのクラスの不登校生が写真の中学MVP、そして元写真部だとわかった。話を聞いた限り、たぶん人間関係が原因で退部、そして不登校に…。
わたしがしたいことは、野木さんの期待を裏切るのも後味悪いから、とりあえず写真部の部室に行く。でも、丸腰で行くのは気がひける。もう2年生なんだし、先輩なんだし、少しはできる人として入部したい。
それに、なんでも話せるような、本当に仲のいい友達だっていないし…。
だから、そう、私は「写真友達」が欲しいんだ。
野木さん…には悪いけど、もう一人くらい友達を。そうなると、不登校の、澤井さん…?
MVPってことは、写真のことは詳しいはずだから、どのカメラがいいとか、色々教えてもらえるかもしれない。
でも、澤井さんに…どうやって会えばいいんだろう。
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同日 放課後
「澤井の家の…住所か…」
「はい、あのう…先生?」
「いや、去年から担任だけどさ、大空が初めてなんだよ、それを聞いてきたのはな」
「あ、そうなんですね…」
担任の忍足(おしたり)先生がもったいぶっている。結構年配だし、こういう人なんだとは思ってるけど… 私が澤井さんの家を訪ねると、何かまずいことになったりするのだろうか。
「大空よ。俺はなあ、生徒の自主性が大事だと思ってるんだ。わかる?つまり君がこうして登校拒否の生徒を思いやって、住所を聞きに来た。つまりこれは素晴らしいことだ。わかる?」
「えっと… ハイワカリマス」
「教育ってなあ、なんでも教えればいいってもんじゃないの、わかる?つまり育てるんじゃない、育つのを見守る仕事ってこと、つまり…」
何回つまりって言うんだろ。
よく分からない教育論?みたいな話を20分ぐらい聞かされて、ようやく住所を聞き出すことができた。ちなみに、メモをさっと書いて渡されただけだった。そっちは20秒で終わった。
どっと疲れた…
今日はもう帰ってもいいかな…
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3日後・4月12日 昼休み
今日こそは、行く。
澤井さんと写真友達になって、写真のことを教えてもらって、ある程度レベルを上げてから写真部に入るんだ。
でもいきなりガツガツしちゃダメだよね。きっと澤井さんはとっても繊細だから、学校に来れなくなっちゃったんだ。
3日前、スマホで住所を検索してびっくりした。
まさかあんな遠い山間だなんて。
隣町だし、今まで行ったことないよ。
ていうか… わたし、そもそも行っていいのかな?
あっ、そうだ。
なんでコレを思いつかなかったんだろう。
「あの、野木さん」
「おっ、いらっしゃい、未来の写真部エース。いつも一人で食べてるよね、まーあたしもだけど。ぼっち仲間だねw 」
「あはは、えっと…その、野木さん、澤井さんのLINE知らないかな」
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同日・放課後
忍足先生から澤井さんに渡すためのプリントを預かった。各教科の先生たちから、日々の課題や資料などが回ってくるらしかった。
「澤井のことは大空に託す!」と親指を立てながら言われたけど、適当に流した。
これで行く理由が整った。
あとは、昼休みに澤井さんに送ったLINEだけど…
返信どころか既読にもならない。
そうだよね、突然送られても見ないよね。多分私でもそうするよ。
各駅停車の電車に揺られ、初めて降りる駅。
スマホの地図を見ながら、初めて歩く道。
途中、大きな神社があった。鳥居の近くにある大きな桜の木には、まだ少し花びらが残っていた。木々に囲まれひっそりとした境内は斜陽に照らされて、ちょっと神秘的だな、と思いながら通り過ぎた。
「ここだ」
坂道を登った先に、今風の大きな一軒家が佇んでいた。表札にはちゃんと澤井と刻まれている。
スマホをチェックする。
LINEは、まだ既読になってなかった。
なんだか心臓が高鳴っているのは、坂道を歩き疲れたせいだけじゃない。緊張してるんだ。
ゆっくり深呼吸をして、ゆっくり手を伸ばして、インターホンを押した。
しばらくの間があって、上品な女性の声が聞こえた。
「どうぞー、お入りください」
わたしは門扉を開け、敷地に足を踏み入れる。
よそんち。庭広い。
緊張のあまり視線が定まらない。
落ち着け、わたしは今日プリントを届けに来たんだ。同じクラスの大空といいます。澤井さんにプリントを届けに…あれ、澤井さん、下の名前なんだっけ?あれ?どうしよう?
玄関口で軽くパニクっていると、ガチャリと扉が開いた。
「あらあら、いらっしゃい、どうぞ入って」
キレイな人。澤井さんの、お母さん。
「おじゃま、します。」
促されるまま、中に入る。
「薫子の同級生の、大空さんですよね。忍足先生から伺ってます、どうぞ上がってください、なんにもないけど」
澤井さんの下の名前は、かおるこ。絶対に忘れないでおこう。
「いっ、いえっ、おかまいなく。あの、わたしは今日、プリントを」
「あらあ、わざわざすいません。いつもは先生がまとめて持って来られるのよ」
そうだったのか、忍足先生。
じゃあ、わたしはほんとに役目を託されたんだ。
やばい、なんかいろいろあってすでに泣きそうだ。
わたしは俯いてプリントを差し出す。
「これ、これです。かおるこっさんに、宜しくお伝えくださいっ」
「ありがとう、せっかくだからあの子の顔でも…
かおちゃーん?
かおー?」
お母さんが、二階に呼びかける。
返事は、梨の礫。
「…ごめんなさい。お友達が来るって話をしたんです。そしたら部屋にこもっちゃってね」
「い、いいえ…その…わたしは…」
友達じゃないんです、と言いかかったが、すんでのところで言い直す。
「友達、ですから…。」
正確には、わたしがこれから友達になりたいと思っているのだ。それもなかなかに身勝手な理由で。
少し後悔したが、言ってしまったらもう後には引けない。
「あの、今日は、帰ります。また、来てもいいですか…?」
「はい。もちろんです。友達に遠慮しないでいいのよ」
お母さんが明るく笑った。
友達に遠慮しないでいい。そうだったんだ。自分でもよくわからないけど、生まれて初めてその言葉の意味がスッと理解でしたような気がした。
ドアノブに手をかける。
「あの、お邪魔しました。」
「またおいでね。お菓子でも準備しときますから」
わたしはお菓子と聞いて、ニヤけながらぎこちない会釈を返した。
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外に出たわたしは、ふうー、と長いため息を吐き、空を見上げた。
空が、広い。
空ってこんなに広かった?と思うくらいだ。
わたし、苗字は大空なのに。ってやかましいわ。
澤井さん…いや、かおるこさんの家の庭。遠くに見える山と街並み。
風に揺れる葉っぱ。遠くで鳴く鳥の声。澄んだ空気。土の匂い。
「いいところ…」
気づいたら、小さな声が出ていた。
あれ?うそ、そんなこと今まであったっけ。
初めて来たのはずなのに、なんとなく懐かしいような気持ちだ。坂を降りないとスーパーもコンビニもないけど、不思議と気持ちが落ち着く。
たぶん、普通の郊外の田舎なんだろうけど、わたしは一種のショックを受けていた。ここは学校やうちの近所と全然違う世界だ。人が少なくて、緑が多くて、坂道が急で、不便そうだけど、全部ひっくるめて、キレイな、いや美しいところだと思う。
帰り道、また神社を通りかかった。
自分の影が長く伸びて、境内の中に入っていった。
そのままふらりと鳥居をくぐってみると、空気がしんとしていた。森の中みたいだ。遠くにお社が見える。なんとなく、遠くから手を合わせてみた。
鳥居の近くに桜の木があって、根元には散った花びらがじゅうたんのように折り重なっていた。
見上げると、何枚かの花びらがはらはらと散っていった。
きっともうすぐ全部散って、葉桜になる。そう思うと、今の桜の木の姿を残しておきたくなり、あまり使ったことのないスマホのカメラを起動した。
桜の根元。枝。幹。満開でも葉桜でもない、その間の桜を切り取った写真でスマホの中がいっぱいになった。
下手なのかもしれない。きっとそうだ。でも撮りたくて撮ったんだし、これでいいよね。そう自分に言い聞かせた。
あっ、そうだLINE。
「澤井」というネーミングのトーク履歴を開く。かおるこさん、LINEのネームが苗字だけなんて真面目なんだろうなと改めて思う。
わたしがお昼に慌てて送ったメッセージの横には、相変わらず13:02という送信時刻だけが鎮座していた。まだ、見てないか…
そう思ったのも束の間。待ち望んだ2文字が現れた。
既読
13:02
涙で視界がにじんだ。
え?意味わかんない。なんで泣いてんの。トシのせい?いやいや、わたしまだ16だから。
口元を手で覆う。泣くなんていつ以来かな。泣ける映画とか、いつ見たっけ。頭の中は不思議なくらい冷静なのに、すすり泣きが止まらない。
ひとしきり泣いた後、また遠くのお社の方を向いて、手を合わせた。
そうしとかないといけないような気がしたから。
この神社の神様、こんな遠くから、お賽銭もあげずにごめんなさい。
電車賃、意外と高くて、お金ないんです。
でも、今日は来て良かったです。
ありがとうございました。
「…さて、帰るか!」
向こうの空の夕焼けが、眩しかった。
(つづく)
第1話あとがき
純と薫子については、きちんと語っておかないといけないと思って書き始めました。長くなりそうですが、週1くらいのペースで投稿していければと思っております。