【小説】謳歌 (終) - 15歳、再生
「それでは、治療を始めていきましょう」
電車で1時間ほどかかるジェンダークリニックで、定期的な健診や問診を受け続けて2年。15歳の誕生日から、二次性徴抑制ホルモンの治療がはじまった。
すでに男の声になっていた。
肩幅も広がり、随分とゴツゴツした体つきになってしまった。
もっともそれは3年前の自分と比べればという話で、同級生から見れば、声は高めで体も華奢な方らしかった。160cmに満たない、男子としては小柄な身長もあいまってそう見えるのだろう。それでも、私自身が強い違和感に苛まれるには十分なレベルだった。相変わらず恋心を向ける対象は女性ではなく、いつも男性だった。
これからは、今以上の男性化を防ぐために、18歳まで治療を続けていく。3年間の経過を見て、なりたい性別を選ぶ決まりだ。本当は今すぐにでも全身整形して戸籍上の性別を変えてしまいたいくらいだが、健康・法律・お金という現実問題はどうすることもできない。
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中3になった私は、人付き合いをできるだけ避けていた。
クラス替えで顔見知りがいなくなったこともある。だが、低く変わってしまった声が自分のものではないような気がして、できるだけ声を発したくなかったのだ。かと言って男子の制服を着ている以上、女性のように発声するには結構な覚悟が必要だった。
去年の秋から、校則を破って髪を伸ばし始めた。肩にまでかかるようになり、ヘアピンやヘアゴムで縛ったりしていた。注意してくる先生はいたが、正直どうでも良かった。
家では両親の理解のもと、レディースの服を着て、女性の声で会話するように努めた。
程なく、声を自在に操る「声優」という仕事に興味を持つようになっていた。中でも、男性でありながら女性の声を出し、女性の心を表現できる人の存在に憧れた。
進学と同時に人間関係をリセットしたくて、できるだけ遠くの高校に進みたかった。だが、意外な学校に巡り合うことができた。
恵比寿第一高校。
何年か前までは女子高だった私立高校だ。
学校の経営陣が先進的で、私のようなトランスジェンダーへの配慮から、申請が通れば異性の制服を着て通学できるらしい。つまり「男装」から解放されるかもしれないということだ。
受験の決め手になったのは、演劇を学べる学科、芸術コースの存在だ。声優という仕事への憧れも手伝って、自分ではない誰かになれる道があるということが、私の心を掴んで離さなかった。
ここなら、やりたいことができると思った。
進路調査票には、迷わず恵比寿一高の名を書いて提出した。
ホルモン注射を始めてから、なんとなく心身に余裕が出てきた。目立った副作用もなかった。入試の結果は合格。制服の件の申請(三者面談のような面接が行われた)も通った。
採寸された制服——ブレザーとスカートを着たとき、涙が溢れてきた。
私はこれでいいんだと、ずいぶん久しぶりに認めてもらえた気分だった。
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胸の辺りまで伸びた髪を梳かし、カチューシャでまとめる。
喉の調子を確認する。
あー、あー。よし。
この声で、この姿でいいんだと、確かめる。
私は、今を謳歌する術を取り戻したんだ。
(了)
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こちらの”U”の子が主人公です。
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