【連載小説】 ふたり。(2) - side K
前話
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4月12日 13:02
今日も、体が重い。
昨夜からほとんどずっとベッドに横たわっているが、相変わらず眠れないのでスマホの動画を眺めている。
Maddyという歌い手の動画をヘビロテしている。
奇抜な格好で色物扱いされているが、人気と実力は数字として現れている。何より、その歌声は不思議と落ち着くのだ。
動画を眺めていると、通知が動画の上に覆い被さった。
じゅん:突然すみません!
2年3組の大空です!野木さんから…
大空…
大空じゅん。
親以外からのLINEの連絡なんていつぶりだっただろうか。
2年3組ということは、1年の時からのクラスメイト。
わからない。顔が出てこない。
私が不登校になって11ヶ月になる。
1年生の時、1ヶ月だけ同じ教室にいた人達のことなんて、もうわかりようがない。
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学校は、今の私にとって、進級のために親の車で保健室に定期テストを受けに行くところ。そして、課題作品の送り先。
勉強はできるだけやっている。
教科書もプリントも、担任の忍足先生が毎週持ってきてくれる。この前、2年生の教科書を受け取った。
厄介なのは実技科目。
レポートと作品の提出が必要なので、近くの裏山でスケッチや撮影をして、現物とデータ入りのメモリを郵送して単位をもらった。
まるで通信制高校みたいだと思うが、そもそも私は特例らしい。精神科の病気で通学できなくなった私だが、忍足先生のはからいで、生徒としての延命措置がとられている。
ありがたい話なんだと思う。でもよく考えれば、私が中学生の時にとった「賞」に対しての措置なんじゃないかと思ってしまう。
本当の私は、何もできないダメ人間なんだから。
私は通知をタップすることなく、動画に意識を集中させた。
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同日 17:28
スマホを見ながら眠っていたみたいだ。充電器に繋ぐのを忘れていたので、画面が真っ暗で触っても反応がない。
ゆっくり時間をかけて体を起こし、スマホの充電を始める。
4時間半くらい、眠れた。
夜はいまだにほとんど眠れず、昼間は短い睡眠を繰り返しながら生き延びているのだが、めずらしく比較的まとまった睡眠がとれた。
「かおちゃん、開けていい?」
母の声だ。
「 は い、」
掠れた声で返事をする。
部屋のドアが開き、母がペットボトルのミネラルウォーターを手渡してくれた。喉が渇いていたので、一気に半分ほど飲み干した。
「さっき、大空さんって子が来てくれてね」
「え…?大空さん?うちまで、来たの?」
「かおちゃんの友達です、だって。
プリント、置いとくね。
また来ます、って言ってたよ。」
そう言って母は部屋を後にした。
忘れてた。昨日、いや何日か前だったか、母が言っていた。かおちゃんのお友達がうちに来たいんだって。
その時は具合も悪く、低く唸るように返事をするのがやっとだった。人に会うと発作が出そうになるから、なるべく二階で過ごすようにしていた。
友達というから、小中の友達かと思っていた。まさか、高校のクラスメイトがここまで来るなんて。どっちにしても、薬のせいで太ってしまった姿は見られたくない。会わないでよかった。
こんな私のこと、友達だなんて… そんなこと言われる資格が私にあるのだろうか。
スマホの画面が白く光った。
そういえば、大空さんからLINEが来てたんだった。
勇気がなくて、10分ぐらいウダウダした後、思い切って「じゅん」とのトーク履歴を開いた。
そこには、長いメッセージがひとつだけ表示されていた。
突然すみません!
2年3組の大空です!野木さんからLINEのIDを教えてもらって、送ります!
今日、そちらのお宅にお邪魔したいと思ってます。プリントを届けたいので。先生から住所教えてもらいました!
それと、写真が得意だって言ってたのを思い出して、わたし野木さんから写真部に誘われつるので、もしよかったら、写真のこと教えてほしいなっておもってます!
でわ失礼します!
急いで入力したのだろうか、特に絵文字もなく、ところどころ誤字脱字があるのがおかしくて、つい笑ってしまった。
そうか、このプリントを届けてくれたのは、忍足先生じゃなくて、大空さん。
それに、写真のことを教えてほしいって。こんな学校にも行けない私に。
嬉しかった。誰かの役に立てるなんて、もう思ってなかったから。
でも、顔を合わせるのは怖い。急に発作が出たらどうしよう。家の中なら大丈夫かな。いや、やっぱり怖い。
そう思うと、LINEには返信できなかった。
既読無視になるけど、どう返したらいいのかわからなかった。
試しにメモアプリに書いた、メッセージの下書きだけが残った。
大空さんへ
プリントありがとうございます。また来てください。写真の話できるのが楽しみです。待ってます。
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4月19日 17:20
今日も、体が重い。
朝から食欲もなく、水ばかり口にしている。
大空さんとのLINEは、先週私が既読無視をしたままだ。
もう、来てくれないかもしれない。
私の唯一のとりえだった写真の知識が役に立つかもしれなかったのに。
だけど、それは自業自得だ。
そんな思いを巡らせていた時、遠くで呼び鈴の音がした。
はーい、と母の声がする。
私は横になったまま、耳をそばだてる。
ー あらあら、大空さん!
ー えへへ、お邪魔します…
ー よかった、上がって上がって
ー いえ、おおおおかまいなく
ー 若いうちは遠慮しなくていいのよ、お菓子も買っといたから
ー あっ…じゃあ、すいません、ちょっとだけ
心臓が跳ね上がった。
大空さんが、うちに?
いやいや、一階のリビングまでだ。
それに、対応するのは母だ。私の部屋まで来るはずがない。
来るはずが、ない。
私は何なんだろう。
大空さんに会いたいのか、会いたくないのか。それとも、自分の作品や知識を披露できさえすれば、誰でもいいのか。彼女はせっかくこんな辺鄙なところまで来てくれてるのに。
誰でもいいだなんて最低だ。
視界がぐるぐるする。めまいの発作だ。この状態になると、しばらくベッドに身を委ねておくしかない。
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ー おいひいです、これ!
ー ふふふ、よかった。山の上のケーキ屋さんで買ったのよ
ー え〜、素敵ですね!
山の上のケーキ屋さん。あそこの自家製プリンとショートケーキが、幼い頃から私の大好物だった。今は薬のせいなのかあまり受け付けないけど、大空さんがあそこのケーキを食べてると思うと、なんだか仲間意識のようなものが芽生えて、少しだけ安心した。
ー じゃあ、今日はこれで…
ー あら、もう帰るの?薫子に会っていかない?
ー あっ、その、薫子さんは大丈夫なんですかね
ー んー、ちょっと見てきましょうか
ー あ、いえ、いいんです、そんな無理矢理無理をさせては…
ー ふふふ
ー では、わたしはこれで、ごちそうさまでした。ありがとうございました。
ー はあい。プリントありがとうね。
ガチャン。
大空さんが帰っていく。
いやだ。まだ帰らないで。
重くて動かせない体で願う。
今会っても、どうせ何もできないのに。
LINEの返事だって、まだ出来ないのに。
そうだ、LINE!
ぐらんぐらんする頭を起こし、スマホを掴み取る。
メモアプリを開いて、先週書いたメッセージの下書きをコピーしようとする。
指が思うように動いてくれない。呼吸が乱れる。涙が出てくる。
何なんだ私は。
大空さんは、こんな私のこと友達だって言ってくれた。
指先がますます震える。目はどんどん回る。
でも、せめて今だけは、負けたくない。
今伝えなかったら、今度はいつ伝えられる?
下書きのメモを閉じる。
LINEを開き、震える指で文字を打つ。
涙とめまいで、画面がよく見えない。
こんなにもしんどいのに、こんなにも伝えたい。
それは、たった5つの文字。
またきてね
…やった。なんとか打てた。
最後に狙いを定めて、ゆっくり送信ボタンを押し込むと、両腕は力なくうなだれ、スマホはベッドの上を転がる。
息は絶え絶え、視界はぼやけ、鼓動は早く、全身に汗をかいている。這う這うの体とはこのことだ。
たとえこんな状態でも、これが今の私の精一杯だ。
最悪の体調とは裏腹に、気持ちは晴れやかだった。
「じゅんちゃん」が読んでくれますように。
私には、そう祈ることしかできなかった。
(つづく)