言語と文化〜日本語を話さないことのススメ〜
以下は2019年に書いた記事です。
非日本人に対して、僕は最近よく「そこそこ話せる程度だったら日本語はあまり話さない方が無難」とアドバイスする。
ここでいう「そこそこ」とは、会話はできるけど敬語と常語の使い分けや日本人的コミュニケーション方法に自信がないくらいのレベル。
具体的には、
・「いいですよ」といわれても「本当はダメだけど」のときを見分けられるか
・褒められても得意にならず「いえいえ全然です!」といえるか
・20日間の有給休暇をすべて消化するときは「申し訳ない。。」と思えるか
といったあたりが境目でしょうか。
なぜなら、僕も含め多くの日本人は、日本語で会話をする相手に対して、(礼儀も含め)日本文化に倣うことをごく自然に期待してしまうので、
日本語で会話をしているのにそうなっていないと、「ちょっと空気読めない」「傲慢」と思われてしまう可能性が高いからです。
「帰国子女ってKY多いよね」とつい感じてしまうのはこの典型だと思います。
でも逆に、日本語で会話しないガイジンさんが「コニチワ」「ワタシハ〇〇デス」と片言の日本語を披露するとすごく喜ぶ。
今のところ日本人にとって日本語とはそういうものなんだと思います。
ここでいう日本語のような言語を僕は”Monocultural language”と呼んで、単一の文化を共有することを前提とした言語という意味で使っています。
当然、日本の外に住む人々とは文化を共有しないので、日本語は異文化間では極めて伝わりにくい言語ということになります。
反対に、文化を共有しなくても伝わる(むしろ、広まるうちに文化を共有しなくなった?)言語の典型は英語だと思います。
もちろん英語にも、土地・世代ごとのスラング、アメリカ英語・イギリス英語の使い回し、アメリカン(イングリッシュ)ジョークなど、文化を共有しないと理解できないこともあるけど、
それでも意図が通じず困ってしまうことはあまりないし、イギリス式の言い回しを相手が理解しなかったらすぐにアメリカ式に切り替えてくれたりもする。敬語もほとんどないし。
この背景には、英語圏の国々がLow contextな(文脈を共有しない)文化というのも大きいと思っています。(すでにHigh contextな皆さんは皆まで言わずともお察しのとおり、Super high contextな文化を持つのが日本ですね。)
では、中国語はどうか?
ちなみに、僕が大学生だった10年以上前から実しやかに「中国語は今に英語を超える」といわれているのですが、いまのところその気配はないと思うのが正直なところでして、中国語が文化圏を超えて広まるにはまだまだ時間がかかるのではないかと推測しています。
なぜなら、中国文化はHigh contextだし、中国語は相手の身分や距離感に応じて表現が変わるなど単一文化を背景にしたMonocultural languageだからです。
実際に中国内でさえ、標準語の北京語(英語ではマンダリンと呼ぶ)以外にも、互いに意思疎通がほぼ困難といわれる広東語や上海語などの方言があり、また、簡体字(簡略化した漢字)と繁体字があり・・・1つの言語が文化圏を超えてそれほど広まってはいないのです。
ま、僕は言語学者でも文化人類学者でもないので全然的外れな議論かもしれません(笑)