叱られる大切さ。叱る大切さ。
今回は、ちょいと真面目な文かも。
「欅って、書けない?」にて
乃木坂、欅坂、日向坂の46グループを応援しています。(←知らんがな)
先週の日曜の「欅って、書けない?」という、欅坂46の番組が、Twitterで少し問題になってました。
メンバーがパン屋へパン作りをさせてもらうのですが、「返事が小さい」などで、メンバーが店主に叱られていた。
という内容。
私はその回を見ておらず、Twitterで内容を知りました。
出回っていた番組の画像や動画を見た感想としては、「大人を叱れる大人ってかっこいいし、尊敬する」です。
社会人になると、叱られる機会が圧倒的に少なくなり、自分で気づくしかない、と感じています。
私が社会人になりたての頃は、業務内容の指導はされますが、「挨拶をしなさい」「返事をしなさい」といった指導はありませんでした。
そういった挨拶や返事を身に付けるのは、基本的には学校生活であり、社会人はそれが当たり前なのかもしれません。
そう思うと、社会人になる前に完璧にしておかないと、知らぬ間に恥をかくことになるので、こわいですね。
そうやって、キチッと叱ってくれる方って、年配の方が多いイメージです。
けやかけに出演していたパン屋さんの店主も、貫禄のある方でした。
特に、パンなどの職人は一定期間修行をしているわけで、その間に師匠にみっちり指導されるんでしょうね。
私がもしも何かしら修行を受けていたら、メンタルやられると思います。汗
ただ、メンタル凹みながらも、技術的スキルや社会的スキルが上がると考えると、してみたいという好奇心はあります。
身を削る修行を受けてきた職人だからこそ、言葉に重みを感じるのでしょう。
先輩が叱られている姿を見て
久しぶりに、「大人が大人に叱られている」場面に出会いました。
生活面で少し怠惰な先輩がいらっしゃるのですが、その方が寮母さんに叱られる姿をみました。
私以外にも、同期や先輩数人がおり、その中で寮母さんの説教が始まりました。
設定の内容を聞くと、ところどころ理不尽でしたが、大方寮母さんが正しかったです。
その叱る“声”は、迫力がありました。
その場には緊張感が走り、叱られてない私も萎縮してしまうくらいでした。
それだけ“声”に気持ちが入っていました。
その気持ちは、先輩に対する怒りだけではなく、きちんと誠実に生きてほしい、という“願い”も込められているように思いました。
その先輩には申し訳ないですが、厳しく叱ってくれるのを少し羨ましく思ってしまいました。
先にも書きましたが、私は大人になってから、叱られる機会がありません。
記憶の中で、最後に叱られたのは、3年前。
大学院の実習で隣のクラスの先生に、「あなたは遊びに来てるのではないでしょう!もっと担任をサポートしなさい!」と言われました。
お局様のような、女性の先生に、ピシッと指導されました。
指導された瞬間は、を自分なりにやっていたのに…」とモヤモヤしていました。こんな歳で叱られるのかぁと凹んでいました。
ただ、その日の帰りには、「やっぱり自分が悪かった」と気持ちを切り替えることができ、指導してくれた先生に、「指導していただき、ありがとうございました」と伝えられました。
先生から「あなたはできると思うから。期待してるよ。」と応援されて、励みになったのを今でも覚えています。
最後がその3年前です。
それからは、何が正しく、何が間違っているかを指導されていません。
何もかも自分で判断せねばならず、間違っていたとしても知らぬ間に恥をかくのです。
たまに叱られたい、
というか、フィードバックを受けたい。
自分の言動が正しいのか、生活が正しいのか、仕事ぶりが正しいのか。
評価されたい病ですね。
他者からの評価で、自分の位置を客観視でき(たような気がして)安堵する。
他人の評価軸の中で生きてしまう。
それだから、他人の目を気にして生きてしまうんですね。
すみません、話がブレブレですね。
とりあえず、自分が間違っていたら正してほしい!ってことです。
子どもを“叱ってきた”私
学童の先生をしている私。
当然、子どもを叱らなければならない場面があります。
昨年は、ピシッと叱る先生がいない施設だったため、新卒一年目ながらも、ビシバシ指導していました。
そのため、子どもたちからは「一番怖い先生」と言われていました。笑
もちろん、入ったばかりの4月から怖かったわけではありません。
7月頃までは、子どもたちと楽しむことをモットーに過ごしていました。
しかし、夏休みに差し掛かる頃、子どもたちが職員のいうことを聞かない場面が多く見られました。
しかも、それを指摘する職員がいない…。
「これは、まずいのでは?」と疑問を持ち、そこから率先して注意し、指導するようになりました。
子どもたちから「先生、怖い」と言われるのは、近寄り難く、嫌われているみたい、と感じる方もいるかもしれません。
しかし、私はそうは感じませんでした。
叱っていないときは、子どもたちは寄ってきます。
むしろ、“きちんと叱る先生”と思われてるので、何かトラブルがあったときに、「先生、怒って!」と言ってきてくれます。
(これは私自身、予想できませんでした。)
叱るメリットを収穫できたので、新卒一年目後期の目標を「いつもは優しく、怒ると怖い先生」とし、3月まで励んできました。
その結果、異動の際に受け取った子どもたちの手紙の中には、「怒ると怖いけど、怒ってない先生は大好きだよ!」と書かれていました。笑
二年目の異動先の施設は、全体的にやんちゃな子が多いので、やりがいがある施設です。
すでに数人叱っています。
(子どもたちとの関係性ができるまで、叱るのを封印しようと思っていましたが、初日に封印解かれました。笑)
子どもを“叱れる”立場として
叱る基準って、むずかしいです。
一般的に間違っている(と思われる)ことを子どもがしていたら、叱って戒めます。
決して、指導者の思い通りにさせるような、エゴで叱ってはいけません。
ここで、むずかしいと思ってしまうのは、「何が間違っていて、何が正しいか」の線引きです。
例えば、学童にて勉強の時間を設けていたとしましょう。
そのとき、勉強時間にもかかわらず、友達とおしゃべりをしている子がいたとします。
こういう状況にあったら、「おしゃべりしてはいけないよ」と声をかけます。
それでもなお、話すのを止めない場合は、「話をしてはいけません!」と注意します。
“私は”勉強の時間は、静かに勉強すべきと考えているので、「勉強の時間に、友達と話をする」は叱る対象に入ります。
しかし、このような状況でも叱らない人はいるでしょう。
「話をしてても勉強が進んでいればいい」とか、「友達と教え合うのがいい」とか。
様々な線引きができます。
どれが間違っていて、どれが正しいか。
指導者の考え方や生き方で変わってきます。
施設の方向性があったとしても、自分の考えと異なっていたら腑に落ちません。
むずかしい…
“私は”叱るべきと思っていても、周りの職員はそう思わない場合もある。
かといって、叱る判断に迷っていたら、子どもの誤ちをスルーしてしまう。
こんなことを思いながら、今日もまた子どもをバンバン叱ってます。笑
もちろん、私の思う通りに従わせたいからではなく、その子の成長を思って叱っています。
永遠の課題ですね。
最近は、日向坂46を推しています。
欅坂46の新2期生、増本綺良さん(どろかつ)にも注目してます。
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