日記4.8.20
自分は、何も知らない一般人から見ればオタクなのだろう。アニメやゲームを好み、美少女プラモデルを積み、アニソンやボカロを聞き、服や髪は適当、休日は一歩も家から出ず寝て過ごす、二次創作小説を漁り、合成音声を買う、家はカードで埋もれている。
しかし、自分はオタクではない。彼ら彼女らのように好きなものに全力でのめり込みことができない。進められたから見て、ランキングにあったから聞いて、というのがほとんど。「このキャラクターのここが好き」「このシーンの意味は~」「この音楽に込められた思いは~」、そういうことを感じられたことは一度も無かった。友人と話す時は、まとめサイトとかに書いてあったことをあたかも自分の意見のように言っていた。否定的な意見さえも、Twitterやまとめサイトから借りた言葉だった。自分はそれらに興味を持っていなかったのだろう。
そんな自分だったが、令和4年8月20日早朝、二次創作小説を読んでいた時に衝撃的が走る。「それは違う!!!!!!!」と。
自分は見た/聞いたものは見た/聞いたままにしていた。考察も深読みもしなかった。キャラクターの心情も曲の歌詞もどうでもよかった。また、作者の考えた展開にケチは付けなかった、嫌なら見なきゃいい。だが、今回はそうはいかなかった。その事実にとても驚いた。
「正義星帝」はそうじゃないだろ!!
読んでいたのは某ss小説投稿サイトにあるデュエマの二次小説。未来から来た正義のts擬人化クリーチャーが、裏切られたが闇に堕ちなかった主人公のパートナーになる展開はまぁいい。全然いい。だが、「自分たちの正義が絶対、正義のために拉致監禁・薬を使い、助けに来たやつを正義に誘い、断られたら力尽く、勝負に負けたら物理攻撃で奇襲する」そんなやつのパートナーが《「正義星帝」<鬼羅.Star>》なのはおかしいだろ!!!確かに【ラッカ鬼羅.Star】は強いデッキだろう。主人公もラッカカラーのデッキを使っていて、序盤同じカードを使用していたのも良かった。けれど、《「正義星帝」<鬼羅.Star>》にその「正義()」は解釈違いというか、何というか…。
十王を駆け抜け、王来に至った《「正義帝」》。敵であっても本当の気持ちを汲み取ろうとする「誰が為の正義」、「†正義†」とも手を取り合えた彼の「正義」に対する冒涜/侮辱に感じる。
とういか、その思想に似合うのはジョニーに負ける前である初期サッヴァークなのではないか。まぁ、まだ途中までしか読んでないからわからないだけの、なんかの理由があるのだろう。
どうやら自分は厄介オタクだったようだ。本人にオタクという気はないとしても、客観的に見れば厄介オタクそのものではないか。
以上。
※個人の感想です。作者様または作品に対して悪意がある訳ではないです。