思い出の 「宇宙からのメッセージ・銀河大戦」 (平成2年 BAKUDAN PUNCH!3号掲載)

※原文は当時のままです。


 先日、知人の好意で「宇宙からのメッセージ・銀河大戦」を全話見ることができました。
 「銀河大戦」のリアルタイム放送は、昭和53年7月からで、わたしは高校1年生でした。その年のゴールデンウィークに、東映が頑張って作った「宇宙からのメッセージ」の100年後の世界、という設定だったように思いますが、テレビになると宇宙忍者戦、という感じです。メインライターが伊上勝だったので、得意なジャンルではあったわけですね。 わたしは、高校時代は部活に燃えていて(この時代のこともいつかどこかでお話ししたいと思ってます)、「銀河大戦」を始め当時の特撮・アニメ番組は、部活がテストで休みになる二週間(テスト前の一週間とテスト期間中)くらいしか見ることができませんでした。ですから、中間・期末・実力・模擬のこの4つのテスト期間は勉強などせず、ここぞとばかりにTVばっかり見ていました。「銀河大戦」もそんな風にしてハマった作品のひとつです。
 だいたいわたしという女は、まず主役がイイ男がどうかという、ミーハーな視点でまず見るという、正統派特撮ファンの方々からは石を投げられそうなファンなのですが、「銀河大戦」に関しては、わたしは年齢的に近いハヤト(わたしは真田広之と2歳しか違わないのです。わたしは高校1年でしたけど、真田広之はまだ高校3年生でした)よりも大人のリュウの方が好きでした。当時の日記にもそんなこと書いてあるし……。でも、今、改めて見ると、てゆーか、オバサンになると(あたしもう35だもーん)、ハヤトの若々しさ、無鉄砲さ、そして成長していく姿もいいかなあ、などと思います。
 で、当時はあまりに好きで、放送が終了しても何かその自分の想いを形として残したいと思っていました。そんなおりに、「銀河大戦」の後番「あばれはっちゃく」でも島田歌穂ちゃんが引き続きレギュラー出演され、ファンレターを差し上げたのがきっかけで、しばらく連絡を取り合っていたのですが(詳細は拙著「とぜんなか帳」をご覧下さい)その中で、少しでも台本をお借りできないか、と図々しいことをお願いして、ラスト3話分の台本をお借りすることができました。それと、当時伊上先生が書かれたノベライズ本も参考に、無謀にも、私論にとりかかることにしました。コピーで製本して、友人知人に配ったことも憶えています。
 その原稿が、つい最近出てきました。改めて読むと、表現も未熟(オーバーだったり文法的に変だったり)ですし、書いてることも当時はまだまだ勉強不足(この時点で見たことない作品と比較してないので思い込みが激しいし、あと福本清三さんがヒビトをやってらしたことも知らなかったのでそんなことには全く言及していないし……)で、何とも幼稚だなーと、と赤面してしまいますが、当時の女子高生が精一杯背伸びして書いたものを埋もれさせたくなくて──だってそれも確かなわたしの足跡の一つですから──ここに再録することにしました。どうぞおつきあい下さい……。


暗黒の宇宙の中、蒼い地球をバックに、ほのかに光る帆船が漂っている。そして、ナレーション

 ──この宇宙に、人類が生き続ける限り、決して忘れてはならないものがある。

 金管楽器群によるファンファーレ風の重厚なフレーズ、ホルンのポルタメントが入り、パーカッションの軽快なリズムが刻まれ、主題歌が流れる……。
 これが、テレビ映画「宇宙からのメッセージ 銀河大戦」のオープニングである。

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 「宇宙からのメッセージ 銀河大戦(以下、「銀河大戦」と称す)」は石森章太郎原作、東映・テレビ朝日制作により、昭和五十三年七月八日から、同五十四年一月二十七日までテレビ朝日系で放映されたテレビ特撮番組である。
 「仮面ライダー」以来、東映の子供向けアクション番組──いわゆる「変身番組」「怪人番組」は、そのアクションの激しさ故に、東映やくざ映画、任侠もののミニサイズ、と軽視されがちであるのだが、それはあまりに東映の子供向作品路線を知らない過ぎる向きの声ではあるまいか。以前に、石森章太郎は「大人は勧善懲悪なんて存在しないと知ったかぶりで話すけど、せめて子供には正義とは強いものであり、悪を滅ぼす強いものであることを夢みてほしいと思います。何が悪で何が正義かを教えるのは大人の責任だと思う」と語ったが(週間テレビガイド昭和五十四年十一月二日号)、事実、それが東映子供蹴れ作品の基本的姿勢ではないだろうか(最近の、ライダー、ウルトラマンのキャラクターのみのリバイバルブーム、ハイティーンによるアニメブームにはこのいちばん基本的なスピリットが伴っていないのではないか)そしてこの「銀河大戦」も、このパターンを踏まえたうえで、放映クールこそ短かったが、東映アクションものの中でも異色作となることができたのである。
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 では、「銀河大戦」をして東映作品の異色作とならしめた要素を挙げてみよう。
 設定としては、家族を殺され、その怒りに燃え、憎い敵を倒す、等は東映作品として「仮面ライダーV3」「大鉄人17」などでよく知られるパターンであるが、「銀河大戦」はそのプロローグに加える後々のプロットが、従来の東映作品と趣を異にするのである。
 まず、その一つとして、主人公二人の弱さがある。何もかよわいと言っているのではない。大抵の変身番組は、サイボーグ改造を施されるか、あるいは能力を高める戦闘服を身につけた主人公が「変身」するのであり、その変身ポーズも大見得をきって「変身!」とか「チェンジ!」とかの声を伴い、派手なアクションを加えることで、幼い視聴者の目を引いたものだった。しかし、「銀河大戦」にはそのような変身ポーズはない。それどころか、ハヤト・リュウの二人は、仮面ライダーのような改造人間でもなければ、デンジマンのよような強化服もないのである。ハヤト・リュウはおのれが必要とあらば戦闘服を着た姿で登場する。しかも、銀色のマスクの下には、生身の人間、ハヤト・リュウの顔がのぞいているのだ。そこに、戦士としての弱さがある。武器は二本の伸縮剣、自分の体技、そして二人のチームワークしかないのである。さらに付け加えるデメリットがあるとするならば、ガバナスの侵略に対するハヤトの意志の問題がある。もし、ゲン・シンが殺されていなければどうなるか。殺されていなくてもハヤトのとるべき行動は変わらないのではないか。ゲン・シンはたとえ生きていてもガバナスは活動を継続するし、そのガバナスの企みをハヤトには伝わるわけで、そうなると、「父の仇」という理由でハヤトがガバナスと戦うことにはならないのではないか。これが、風見志郎や南三郎だったら、少し違う。彼らに関しては、もし家族が殺されていなければ、一大学生・一中学生に過ぎない。彼らはデストロンやブレイン党に家族を殺されたからこそ自分の執念で戦えるのであって、それは「17」の最終回の南三郎の台詞にも表れている。「ブレインは僕の両親や姉さんを殺した。僕はブレインを許せないんだ!」。が、後にも触れるように、「銀河大戦」では、ハヤトはガバナスに対して「父の仇」としてではなく、「銀河の侵略者」としてしか見ていないようなのである。だから「執念」がないのだから、もしハヤトが意志の弱い人間だったらとうにガバナスに降伏しているだろうし、たとえギリギリまで粘っていても、自分の命惜しさにエメラリーダを渡す、ということも考えられるわけで、そういう点も考えてみると、物質的・精神的にもいかに主人公が弱い立場にいるかが把握できる。
 さて、その「主人公の弱さ」の上に、さらに「銀河大戦」が他作品より稀な存在である要素がある。それは「怪人」の少なさである。「銀河大戦」は、全二十七話すべてが怪人のオンパレードだったわけではない。特に、クライマックス三話には全く登場しないのである。第二十四話「大彗星ザタン出現!」の怪人=オトビトを最後として、以後最終回までガバナス帝国の滅亡を展開させている。これは、東映子供向作品にとっては一種の冒険ではないか。怪人なしで──と言ってもいいくらいの怪人の少なさで──如何に作品をおもしろく語れるか。それはラスト三話で見事証明された。東映子供向作品は怪人番組のみにあらず、という印象を与えた。「銀河大戦」においては、怪人の存在はウルトラマンの怪獣のそれとは異なる。ヒーローと同等で、いつまでも永遠の人気者となりうる怪獣(もちろん、それは印象に残るストーリーや、デザインの素晴らしさがベースなのだが、ここまでくるとそういったものから離れてしまう。ディズニーの映画も見ずにただ「かわいい」という理由だけでミッキーマウスやドナルドダックを愛でるようなものだ)とは違い、あくまでストーリーを語るための材料である。が、材料であるからこそおろそかにできない。「銀河大戦」では怪人の存在こそ地味だったが、その怪人の在り方を追求してみせてくれた感じである。「ヒーロー番組」における「怪人」は、おのれの能力をフルに発揮し、ヒーローと互角の実力を持った上で、両者ともども戦い抜き、それでもやはり正義は勝つのだということを示すために存在しなけれぱならない。

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 さて、「銀河大戦」では、クライマックスにおいても、他のアクション番組とは一味違った趣があった。
 東映に限らず、円谷第二期、ピープロ等もそうだが、子供向け番組のラストは、敵の組織とヒーローたちの一騎討ちとなり、ヒーローたちが勝利をおさめて「完」となるのが常である。しかし、「銀河大戦」ではそのラストが、趣が異なるというのである。というのは、「銀河大戦」ではまず悪人である、コーガー、イーガー、クノーイらが、最終回以前で倒れており、皇帝ロクセイアを滅ぼしたのはヒーローのハヤト・リュウらではないからである。確かに、究極の最終兵器エメラリーダ三つの星を手に入れたのはハヤト・リュウであるが、エメラリーダの存在をハヤトらに知らせ、ロクセイアを崩壊に至らしめたのはソフィアなのだ。
 ソフィアとて、実の妹であるロクセイアを滅ぼすことには悩んだに違いない。以下は、テレビ放映されなかったが、シナリオには掲載されていた、ソフィアのロクセイアのやりとりである。

*****

ソフィア 「ロクセイア、私の最後の頼みです。野望を捨て、私たちの世界に戻って……」
ロクセイア「ソフィア、解っているはずだ。私には、この銀河宇宙を滅ぼすことが使命であることを……」
ソフィア 「そして、私は救うのが使命……」
ロクセイア「これ以上、邪魔すれば、姉だとて許さぬ……」
ソフィア 「(悲しく)ロクセイア……」

*****

 さらにハヤトは、シナリオではソフィアの様子のおかしいのに気づいていた。

ハヤト  「ソフィアの顔色が優れなかった……。何処か、悪いのだろうか……」

*****

 この2シーンがカットになったのは残念だった。ソフィアは悩んだに違いないだろうが、このシーンの削除によって、ソフィアの悩んだ心の裏面は見せずに、単にソフィアの潔さだけが出ていたように思える。しかし、それでもソフィアの作品におけるイメージ付けは成功したと思う。ロクセイアの「ソフィア!そんなことをすればお前も死ぬぞ!」という忠告や(あれはやはり脅しというよりは忠告だととったほうが妥当だろう。秋谷陽子の演技もそれを意図しているようである)や、ハヤトやバルーが「死ぬ気か!」「やめてくれ!」と止めてもソフィアはひとりロクセイアに立ち向かっていった。ソフィアは、自分の命もかえりみず、ロクセイアとともに銀河宇宙から消え去ったのだ。ソフィアはハヤト達の仲間だった。ベルダのヒミメ王女はソフィアを「お姉様」と呼び慕っていた。アナリスの娘・ハナはガバナスに追われていたソフィアをかくまい守った。そのソフィアが消えてしまった。ロクセイアを倒すために──敵を討つために、大切な仲間を失ってしまったハヤトたち。しかし、ハヤトたちの胸には新しい希望の光がさしこむ。

*****

──ソフィアのエネルギーを浴び、ハヤトたちも気を失う。ヒミメ王女、ケン王子、ハナの遠くからの呼び声で気が付くと、そこはシータの大地だった。

リュウ  「終わったんだな……」
バルー  「なんたるこった……」
ヒミメ  「ハヤト、お姉様は?」
ハヤト  「ソフィアは、僕たちの平和を願って、消えた。」
ハナ   「ソフィア様が消えた……」
リュウ  「ハナ、そんな悲しい顔するな。」
ハヤト  「そうとも、ソフィアは消えた。だが、僕たちの思い出となって、 永遠に生き続けるんだ。」
     と、空を見上げる。

N    「ガバナス帝国は今、滅んだ。第十五太陽系は平和を取り戻すことができた。ハヤト・リュウ・バルーの三人の勇気と、ソフィアの愛は、次元を越えて、いつまでも宇宙に残る……。いつまでも……」

*****

 ここで、私はラストシーンナレーションに注目したい。「銀河大戦」のラストで讃えられているもの、それは主人公・ヒーローの活躍だけでなく、「ソフィアの愛」も含まれている。私はソフィアの口元に浮かぶ微笑は、救世観音像を見るのである。難行苦行の末に、口元にうっすらと浮かぶ微笑は、ソフィアの潔癖さと一致する。ソフィアの微笑は、まさに仏の慈悲心(押し付けの、ではない)象徴なのである。
 さらに、このラストのナレーションですべてがオープニングに帰結する。今ここでもう一度、オープニングのナレーションに目を向けてみたい。

 ──この宇宙に、人類が生き続ける限り、決して忘れてはならないものがある

 果たして、「決して忘れてはならないもの」とは? それがまさしく「愛」なのではないだろうか。そしてその意図は原作者石森章太郎作詞による主題歌にもあらわれている。特に、3番のサビ部は象徴的だ。

 あの星は父  あれは母
 赤い命 誓いを固め
 闇の宇宙に散ろうとも
 自由の道を切り拓く

 この「切り拓く」手段が、先程も述べた「慈悲心をそなえた愛」そして「勇気」なのだ。ソフィアは確かに消えた。しかし、銀河を守って逝ったソフィアは、これから銀河を守っていくであろうハヤト・リュウらを見守り、その微笑で銀河を包んでいる。そのことが、ラストシーンの、シータ地上にいるハヤト達をソフィアが見守っているかのようなカメラワーク、ひいてはシータ全体、第十五太陽系へ引いていくというロングカットで表現されている。
 ソフィアの逝った今、ハヤト達は自らの手で銀河を守らねばならないと決意したに違いない。ソフィアの逝った宇宙を見上げて……

                   ○

 「銀河大戦」は、何度も言うようだが、子供向けアクション作品として、趣を異にしていた。本放送当時は、裏に日本テレビの「新・エースをねらえ!」TBSの「クイズダービー」等とかちあっており、視聴率の方は今一つ、という所だった。もう少し高く評価されてもいいと思うのだが、最近は、主演・ハヤト役の真田広之が「百地三大夫」のヒットで脚光を浴びているので、この作品が見直される機会があるかもしれない。私は、その日の来るのを待って、ここにこの作品について述べた。まだまだ「銀河大戦」について語るには紙数に尽きないのだが、私の力が及ばず、ここで筆を置くことにする。いずれ機会があればストーリー等研究したいと思っている。
 では、最後に、エンディングナレーションを記して、この拙文の結びとしたい。

 ──人間は、誰でも、明日に向かって希望を抱く。はるかなる宇宙のかなたに、明るい明日を信じるとき、夢は、愛になる……

(了)

 
あとがき
 今のおちゃらけた文体とはえらい違いの文章ですね。何か気合というか、力入ってるし……。「そんなに好きだったのかー」って言われそう……。
 実は、高校時代は、富沢雅彦さん・池田憲章さん・酒井敏夫さんの文章にものすごく影響を受けていました。とくにこういった文章で初めて触れたのは富沢さんのものでした。「OUT」の昭和52年11月号、東京12チャンネル特集号で、ズバットに関する文章を初めて拝見して、そのあと「ランデヴー」でも連載エッセイを書かれていて、こんなモノを書いてみたい、と思うようになっていました。わたしが、今、こうやって特撮作品に関してファン活動をしていることも富沢さんがルーツなのだと思いますし、そしてわたしたちが……いい年した大人が一生懸命活動して、オタクといわれても、社会的にはそういう趣味の人はいる、と認識されてくるようになったのも、富沢さんたちのご努力があればこそだと思います。そんな富沢さんが、お若くして亡くなってしまったことは、とても残念に思います。わたし自身はまだまだ未熟ですが、こうして力を尽くして下さった先輩方の後を、一生懸命ついていきたいと思っています。
 で、本文でかき切れなかったことですが……
 わたしはリュウも好きだったけど、悪役としてはイーガーが好きでした。何か役回りがチーフキッドと似てるでしょ? 組織のナンバーツーみたいな……。だからさ、これは山口暁さん(真田広之は呼び捨てなのになぜ暁さんはさん付けなのだろー)でもよかったような……。東映のプロデューサーがワンセブンと同じ七條敬三さん(島田歌穂をロボコンの時にスカウトしたのも七條プロデューサーなんだそうです)なので、もしかしたら始めのキャスティングは暁さんだったのかもしれない、と邪推(?)してしまいます。で、「銀河大戦」はずっと京都の撮影だったから、暁さんのスケジュールが合わなかったんじゃないか、とかね。でも、白井滋郎さんもイーガー役はノリノリって思います。この役があまりによくて、結構応援するようになったんだけど、東映時代劇にチョコチョコと出てる感じだったから寂しかったの……今は「暴れん坊将軍」でずっとレギュラーで入ってるからいいんだけど、イーガーのときの面影はなくて、これもまたちょっと寂しいです。もしかしたら、白井さんも、このイーガーの役が一番ハマッてたのでは……とこれまた邪推しちゃう。まっ、今の「暴将」には一緒に安藤一人くんも出てるので、昔の敵味方が今は同じ「め組」の仲間ってことね(それをいったら、山口暁さんと神谷政浩くんだって、ザボーガーでは家族もどーぜんだけど、「17」では敵同士だもんね)。
 そーいえば、「銀河大戦」と「暴将」は確かスタート時期が同じだったよね? ここ、地の果て鹿児島では両方ともリアルタイムでなかったので、よくわかんないんだけど、菊地俊輔が両方とも音楽やったのよね。BGMの感じが似てるでしょ? 「銀河大戦」を見てるときにたまたまダーリンが一緒にいて、「暴れん坊将軍とBGMそっくりだなあ……」って言ってました。だからしっかりレクチャーしときました。「だって両方とも菊地俊輔だもーん。このころ、男性コーラスをよく使ってたみたいよ」って……
 で、当時は勿論シングルレコードも買ったし、朝日ソノラマのソノシート付き絵本も買ったし、伊上先生の小説も買ったし、知人のつてで「宇宙からのメッセーじ」のサントラも手にいれたし、頑張って買った方なんですよ……。ポピニカ関係を持ってないのは悔やまれますが……。
 自分としては、大作「メッセージ」のゴールデンウィークの映画の方も「銀河大戦」も両方見てて、「これで一つの世界なのね」って納得できたのは幸せなことかなーと思っています。片方しか見ていない方は、ぜひ両方ご覧になることをおすすめします。
                 

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