父の夢は縄文人
父は、お金を請求することが大嫌い。
仕事で利益を出すということを、罪悪のように考えている。
もちろんそれでは生活できないので、しぶしぶこれまでも仕事をしてお金を稼いできたのだが、とにかく自分で自分の仕事に金額をつけることが嫌なのだ。
個人事業主なので自分で仕事をとってきて、自分で働き、自分で請求するしかないのだが、その請求がとにかく苦手。
そのくせ自分の仕事には誇りがあるもんだから、あとで請求額よりもっとくれてもいいのに!などと怒る。
本来、請求金額というのはその中に正当な利益が含まれてるのだから、払う側が上乗せする義理はないのだが、父にすると利益なんてギリギリまで下げているので、請求金額ではワリに合わないらしい。
お金に換算するのは嫌い、でも評価はしてほしい。
自分の中で矛盾していて、とても大変そうである。
お金より大切なものがある、というのはわかるけれども、それを仕事という分野に持ち込むとおかしくなるのではないか。
まあその結果が、今の我が家な訳だ。証明してしまった。
父の場合は、事業に失敗したというよりも、仕事に対する理解が頑なで偏っていた、ということだなと思う。
人間に生まれた以上、結局はこの社会の仕組みの中で生きていくしかないのである。どんなに理不尽だと思っても、社会が急には変わることもない。
もちろん、おかしなことに声を上げ続けることで、少しずつ変わっていくし、そういう先人達の恩恵を私たちは存分に享受している。
そう言えば最近は言わなくなったが、父の口癖は「縄文人になりたい!」であった。
1人で山の中に引っ込んで、自給自足で街にも行かずに暮らしたいという。ちなみに彼の中で縄文人と弥生人は全く別の人々で、縄文人こそをリスペクトしている。
父がそうしなかったのは、家族を持ってしまった責任感からだそうだ。家族のために苦手な請求にも耐えてきたのである。破天荒なようで、結局は優等生タイプなのだ。
ともあれ、あれほどのおしゃべりが、山の中でひとりぽっちでずっといられるなど、とても思えない。
山に入っても数日で「お母さん!あれはどこだ!あれ!」とか何とか言って降りてきて、そのまま結局は家にいて「やっぱり、家はいいなぁ」なんてケロッと言うんだろうなぁ。