即応予備自衛官の青春と挫折
ノファンは自衛隊を2任期で退官後予備自を通して即応予備自衛官に入った。
入って2〜3年はノファンがまだ若かったのもあり体力がありめに思ったのもあったし自分自身を過信していた時期であり、楽しいと感じた時期だった。
しかしこの後は暗雲に包まれていく。
ノファンは過ごしているうちに段々自分がちっぽけな人間である事に気づき、楽しく無くなっていく。
実家暮らし、無職である事を罵られる事が多かった。また車も持ってなかった。
自分はプライドだけは高くて、背伸びしようとした。
車を購入(大型自動車の免許を自衛隊で取得したが車を持つのは怖かった)
働きだし、一人暮らしも始めた。
しかし周囲の目はそれ程変わらず、逆に自分は次第にやる気を失っていった。
ノファンは実家の仕事が苦痛に感じ始め先輩の紹介してくれた派遣会社の派遣社員になって仕事を色々する事になった。
その先輩には何かと煽られてお金も貸す事になったり色々と利用される事が多かった
発達障害の特性なのか、体幹が弱くて引越しの仕事はまるで戦力にならなかった。
背伸びをするのは発達障害には駄目な事とは知らなかった。または発達障害がある事を自分は知らなかった。
段々と趣味にも仕事にも無気力になる。
一人暮らしを始める。初めは楽しかったが2週間、3週間と経つと家事が億劫になっていき部屋も散らかる。
即応の同期達にいじめられる。それから段々と即応に行き続ける意味を失っていった。
2011年、東日本大震災が勃発。
ノファンはその時即応とワークのバイトをしていた。
そんな時お声がかかり、ノファンは少しやる気になっていた。
しかしノファンは使えないし人とよく揉める事から取り消しにされた。
ノファンは即応に行っても辛いだけだったので辞めたくなり、辞める決意をする。
即応は人員不足なのか、辞めると伝えると結構止められた。
その前は「即応辞めろ!」とヤジられたのだが。
辞めるのに悪戦苦闘したがなんとか辞める事が出来た。
その事を家族に伝えるが「もったいない!」と言われた。
こちらから言わせてもらえば辞めずに続ける方が時が勿体無いと感じた。
それから色々やってみたが結局自分は大人になれないままだった。
鬱も酷くなりフラッシュバックをよく起こすようになった。
自分の頭に発達障害の4文字が浮かんだのはそこからだった。
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