お母さんにあげたかったの
今日も延長だ。
三女3歳が通う保育園は、19:30まで延長保育をしてくれる。
私の仕事の繁忙期はどうしても延長保育の日が続く。
今日も延長になってしまった。
ギリギリか。やばい。間に合うだろうか。
帰り道の運転が自然と荒くなる。
娘たちには、車に気をつけろとあれだけ言っているのに。
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なんとか間に合ったがやはりギリギリ。
一番最後のお迎えだった。
笑顔で出迎えてくれた娘の顔に安堵する。
慌てて荷物をまとめて、帰ろうとしたとき、
三女が言った。
「お母さんのために、お花あるよ」
嬉しそうに教えてくれる。
そうなの?嬉しいな、どこにあるの?
「あっち」扉の閉まった園庭を指差す。
延長の時間は園庭へ続く扉がもう鍵をかけてしまっているんだった。
明日の朝、見せてね。
「やだよ、やだよ、お花ー!!!!」
涙声になり、瞬く間に号泣。
少し離れた部屋にいた先生も近寄ってきて不思議そうな顔。どうしましたか?
もう19:30を過ぎていた。
つい私はまた明日ねと強引に三女を外に連れ出す。
車に乗せようとするが泣いて泣いて乗ってくれない。
やっぱりか。。
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無理やり乗せることもできたが、
私も心身ともに疲れ過ぎてて、
これ以上、いろんな事態を引き受けられそうにない。
今の状況で最善の選択は…
脳内コンピュータが計算を始める。
いや、無理やり連れて帰ろうときめた時には別の計算を叩き出していたはず。
でも軌道修正するしかない。
これは戻るしかないな。
先生方に迷惑かけちゃうかもしれない。
けど背に腹は変えられない。
園のピンポンをぐっと押す。
先生に鍵を開けてもらい、
出会えた。
園庭の靴だなに入っていた小さな紫色のお花。
娘の嬉しそうなかお。
「これ、お母さんにあげたかったの。」
そう、お母さんにくれるのね。
紫陽花のきれいないろ。
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何が正解か、正しい選択なのかはわからない。
でも私は、私たちは、
時間と共に生き、
自分の時間を預けてはたらき、
愛する人たちを想って
支え合い、癒し合い、
ぶつかり合い、そしてまたはたらいている。
私はなぜこの愛しい子たちとの時間を削ってまではたらくのか。
この答えをまだ私は言語化しきれていない。
でも。
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