「神戸」 ④ 銭湯の風景
我が家は毎日銭湯に行く習慣があった。両親の離婚後、母親代わりに育ててくれていた祖母が「寒い」と言う単純明快な理由で家風呂を嫌いだったからだ。だから毎日祖母、私、弟の3人は夕食後に銭湯に通っていた。
近所には徒歩圏内に4つの銭湯があった。うち1つは公営の銭湯で大人200円子供100円と格安ではあったが白湯のお風呂しかなく何とも味気なかったためあまり好きではなかった。
1番好きだったのはS温泉。源泉掛け流しの露天風呂やジェットバス、電気風呂、ミストサウナ(別料金なし)もあり館内も綺麗に清掃されていて居心地が良かった。
銭湯では時間帯によって大体客のメンツが固定される。夕方の早い時間帯は比較的ご高齢の方々がのんびりと湯を楽しむ。19時頃から21時頃は親子連れや夕食の片付けを終えた主婦たち、21時以降は仕事終わりであろう方々が疲れを癒す束の間のオアシスに身を委ねている。
その中で私が1番記憶に残っている人は背中に綺麗な彫り物を纏っている40代くらいの女性だ。一応館内には入れ墨禁止の文言が記載された注意書きはあったが誰も何も言わない。当たり前の風景として馴染んでいた。
髪は金髪でハイレイヤーのウルフカット、背筋の伸びた綺麗な姿勢の佇まいが印象的な人だった。大概銭湯では馴染みの客同士がたわいもない世間話をしていることが多かったが、その人は違った。
特に誰と話すこともなく、淡々と洗体し、サウナで汗を流し、水風呂で体を落ち着かせ、最後に湯船で締めて上がる。自分のルーティンを崩すことがなかった。そういえば笑顔も見たことがないし、声を聞いた記憶もないように思う。
子供ながらに「あっちの世界の人なんかな?」と想像をしていた。もしかしたらただただ趣味で彫られていた方かも知れず、大変失礼な子供の偏見だったかも知れない。
でも別に怖いと言う印象はなかった。私たち子供が騒いだり、遊んだりしていても怒られたこともない。むしろ何となく「かっこいいおばちゃんやな」と思っていた。
祖母にも「別に怖ない、あんたが悪いことせんかったら怒ってこやんわ。普通にしとき、あとジロジロ見たらあかん。あんたも知らん人に裸ジロジロ見られたら嫌やろ。失礼なことすんな」と言われていた。
「いや、背中の絵綺麗やなぁと思ってただけや。でもあんま見んようにするわ。確かに嫌やな、それ」
そんな会話をした記憶がある。
土地柄そう言う関係の人がいてもなんらおかしくはない。かと言って普段の生活で明らかに「そっち」の人だろうという人と直接的に接した記憶もない。と言うか、「こっち」の世界の人でもガラが悪い人や口の悪い人や乱暴な人は山ほどいた。よっぽど「あんたの方があっちの人やんか」と言いたくなる人が結構いたし、実際おっちゃんやおばちゃんの会話で冗談混じりにそう言う会話が飛び交うこともあった。そんな時代だった。
色んな人が雑多にごちゃ混ぜになって、でも互いに混じり合ってうまい具合、えぇ具合で生きあっていた。
けれど、時が流れ人々の意識や社会の常識の変化と共にごちゃ混ぜは許容されなくなった。綺麗に整理整頓されることが当たり前になった。
人もそう、街並みもそう。街を歩けば似たような外観の家が窮屈そうに立ち並び、似たようなコンクリートの無機質なマンションが茫然と突っ立っている。一見美しく整えられた街並みは、これは本当の意味で美しいのだろうか?と疑問に思う。
人も街も生きあうには少々美しすぎるのではないか、息苦しすぎるのではないかと。