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あの世とこの世を行ったり来たり
先日、父の入院している病院から着信があり、少し胸騒ぎがしたものの大したことはない事務手続きの連絡だったので、そのまま入院病棟に繋いでもらい担当看護師さんと話すことになった。
私「その後、父の様子どうでしょうか?」
看「あの、実は、不思議なことがありまして。」
私「え?」
看「9月14日の木曜日にですね、突然意識が戻ったと言いますか、たくさんお話しになられたんです。気分も良さそうでした。私達もビックリしまして、Tさん(父)、今まで一体どうされたんですか?なんで何もお話しされなくなったんですか?って聞いたんです。そしたら、いやぁ何を言ってもおかしな発言になるし人を傷つけてしまうから黙るしか方法が無い。って仰って、大丈夫ですよとは声かけたんですけど、翌日からまた一切お話しされなくなって心閉ざされてます。」
私「そうですか。。。分かりました。ありがとうございます。また何か状況が変わりましたらご連絡お願いします。」
電話を切った後、スマホのメモアプリを開き思い出した。9/14、父の夢を見た。母に謝っている夢を。母は無言で俯いていた。その件を母に伝えると「恨み、恐怖、後悔、、、色んな感情が混ざって整理ができない。」と返信が来た。
そりゃそうだ。赦すことは生まれ変わるようなもんだ。
死後の世界に移動してから体験するであろうプロセスを父は肉体がある状態で辿っているように思う。
おかげで、穏やかな気持ちであれこれと準備を進めることができ助かる。
少しずつ少しずつ父の旅立ちの支度を整える中で、遺影を選ぶことになり「これはどう?」「これは?」と母から写真がLINEで送られてくる度その写真を撮影した日の思い出が蘇る。
どれもこれもヒドイものばかり。
重い鬱は瞼を正常な位置まで開けることさえ簡単ではないということを改めて思い知らされた。
インドの数学者ラマヌジャンを崇拝し、「俺は歴史に名を残す人間や!」と豪語していた男の面影はどこにもない。あったとしてもそれもどうかと思うけど。
ようやく10年以上前に出席した親戚の結婚式の写真が出てきた。父らしい朗らかな表情でほどよい緊張感、私が旅立つまで定期的に見ることになる父の顔にそれがとてもしっくりきた。
しっくり。
あの世とこの世を行ったり来たりしてる人は、新生児、お迎えが近い人、植物状態の患者、重症患者、意思伝達不使用者、とみんな言語コミュニケーションを一切使わない人ばかりのように思う。
父は、償いなのかなんなのかとにかく死後の世界を私に表現する為に、人間界に降りてきたり精神世界へ移ったりそんな面倒なことを繰り返してるとしか思えなくなってきた。ちなみに父は徹底した唯物主義者で「死んだら灰。」が口癖の人間。
しっくり。