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【エッセイ】ボヘミアン
300グラムのリブロースが焼き上がるまで少し時間があった。
窓ガラスに残る夕立のあとが、車のヘッドライトを反射してキラキラしている。
誰もが気軽に塊の肉を食べられることで今や全国的に人気のあるステーキ店の店内には
白熱灯の暖かな光と肉の表面からじゅうじゅうと立ちのぼる重厚な油の匂いが立ち込めていた。
目の前の男性が肉を頬張る。
一見すると無表情にみえるが、
じっと見ていれば、
わずかに表情がやわらかくなっていくのがわかった。
うまそうに肉を食う男に女は弱い。
年は45~6といったところか。
黒髪は耳にかからない程度に切り揃えられ、
清潔感のある水色の細縞のチェックシャツに身を包み、
どこにでもいそうな休日のサラリーマンという感じ。
なんとなく端々に泳がせていた視線が、男の胸元で止まった。
男はボヘミアンと書いた白い前掛けをしていた。
こちらの視線には気づかぬまま、
男はまた肉を口に運んだ。
ボヘミア~ン
男が微笑んだ。
気づけば店中の客がボヘミアンと書いた前掛けをしている。
ビーボーイ風の黒いキャップを被った三十半ばの男も、
上下をWilsonの紺ジャージで揃えた男子高校生も、
店の奥の壁に向かって一つ結びでお一人様を決めている女も、
声を揃えて
ボヘミア~ン
ボヘミア~ン
ボヘミア~ン
といっている。ようにしかみえない。
すっかり空気にのまれている私の元に
リブロースを持った店員がやってきた。
目の前の机の上には折り畳まれて「ボヘ」まで見えた前掛けが置いてある。
店員が熱々のプレートを手に私を見て
早く前掛けをつけてくれと目で訴えている。
どうしよう。
強烈に、はずかしい。
私もボヘミア~ンの一員に。
躊躇していると店員がしびれを切らして
前掛けを取り上げ私の鼻の先に差し出した。
「こちらをお付けください」
もう逃げられない。
渋々ボヘミアンを手に取り首に結わえた。
本来ならいよいよ極上のリブロースに取り掛かろうというところだが
頭はもうボヘミアンのことでいっぱいだった。
ところで、
ボヘミアンってどういう意味なんだろう。