アメリカ留学入国後 幸運のケサランパサラン
忘れもしない、私は2003年6月1日に渡米した。入国の検査を終え空港から出ると、白い大きな綿毛があたり一面飛んでいた。何の綿毛か分からないが、とにかく大きい。羽毛布団に入っているダウンボールともちょっと違う。調べてみると『ケサランパサラン』と出てきた。見た目も、似ている気がする。
私がそれまで通っていた日本の語学学校が、財政難で2003年3月で閉校となり、在籍していた生徒は強制的にアメリカに送られた。3月から9月まで何もせずに過ごすと、生徒の語学力が落ちるため、6月1日から8月中旬までの3か月弱、特別なカリキュラムを提供してもらった。
特別なカリキュラムを受けられるのは、閉校前に在籍していたESL(English as a Second Language)の生徒。私はその閉校する学校に3年間通い、やっとレベル6まで上がることができた。最後の最後に、お情け合格をさせてもらいESLを卒業した気がする。なんせ、20年も前なんで、詳細までは覚えていない。
ESLのクラスの生徒は、皆で一斉に2003年6月1日に渡米した。約60人くらいはいたかな?アメリカの中型スクールバス2台分くらいの生徒。生徒たちは3か月間、特別なカリキュラムを受けた後、4年大に進学するか、同じ場所で引き続き勉強するか、どちらかを選ぶことができた。
3か月間の時別なカリキュラムとは、とある短大に併設されているESLのクラスを受けられるというものだった。本来であれば、6月から8月は夏休みで学校がお休みのところ、その短大は授業があった。週末は、スクールバスで色々なところにfieldtrip(遠足)で行く予定が組まれていたり、泊りがけで遠出をすることもあった。他にも、体験学習が準備されており、普通の留学では経験できない特典がいっぱいあった。
閉校前の学校は、飛行機の手配や、学生ビザの取り方、進学する大学の手続きを分かりやすく事前に説明してくれた。生徒はお手本に従い、4月から5月の間に、各自自宅で渡米の準備をした。他にも、短大近くのアパートに、直ぐに入居できるよう手配されており、カトラリーや寝具もアパートに人数分準備されていた。空港まではバスが迎えに来てくれ、皆でそのバスに乗り込みアパートに向かった。
私はケサランパサランと採ることはしなかったが、今思うと本当に幸運を呼んでくれたと思う。だってTOEFL 500点以下で4年大卒業できたのだから。