見出し画像

ちょっと休憩して、私の後悔したガンの手術の話


父の女好き続きはちょっと休憩して私のガンの話を書いていこうとと思います

私のガンは良性の形らしくずっと経過観察だった

13年前、私の健康診断は基本最低限の項目のみでした。でも、親戚のおばさんが、甲状腺に腫瘍が見つかって手術して取った(良性)ということを聞いたので健康診断のオプションで甲状腺のエコーをお願いしました。そしたらエコー見ながら沈黙が続いたので「何かありますか?」と聞いたら「結果が後で郵送でいきます」と言われモヤモヤして帰りました。数週間後、通知が紹介状と共に封筒が届くと腫瘍と嚢胞があることが判明。
紹介状を持って大きな病院に行くと、再びエコーをして血液検査をしたら、「良性の形ですね」と言われ
定期的に診察してみていくことになりました。
1年後も2年後も同様に良性の形と言われ経過観察に。
経過観察3年目に入る年末のとき、「ガンじゃないか心配」と私が伝えると「じゃあ白か黒かはっきりさせるために細胞診しましょう」と言われ
細胞とって
年明けにに結果を聞いたらガンでした。
「甲状腺ガンは手術で取るしかない。
今手術できるのは2月下旬だけどどうする?」
と言われて
「子供をみてもらわないと入院できないので主人に休めるか聞かないといけない。次回主人にもついてきてもらい手術日を決めたい」と伝えて帰る。
そこから甲状腺ガンについてネットで検索して
副甲状腺というのがあるということがわかりました。
いろんな人の体験記を読んで質問することを書いたり入院準備していました。

甲状腺専門医に手術して貰えばよかったと後悔

私が行った病院は、総合病院の中の外科でした。
そして私よりずいぶん若い経験年数少ない女医さん(病院ホームページのお医者さんのプロフィールによる)がしっかりと質問に答えてくれました。
私の一番の希望は声帯を傷つけないでほしい、声が出せないと仕事できない、
さらに副甲状腺は残してほしいとも希望を伝えると
そしたら出来るだけ副甲状腺残せるように努力しますと言ってくださったので安心して手術の日程を決めました。

そして手術日前日に入院、担当の女医さんは相当忙しいらしく、夜になってやっと私の入院部屋にやってきた。「いよいよ明日ですね、体調どうですか?」と言われ「体調はいいです。副甲状腺は残してもらえますよね?」と聞いたら「副甲状腺は顕微鏡で見ないとわからないから残せないと思います。」と答え「明日頑張りましょう」と去っていきました。
え〜副甲状腺残す努力するって言ったじゃん、話が違う。でも主人にも休みとって子供見てもらってるし、今から中止出来ないし。
納得いかないまま手術して、痛みどめ切れて痛くて泣いて、悔しくて泣いて、
あーあーあー!!!もう!甲状腺の専門医に手術して貰えば良かったと後悔した手術でした。

お医者さんにはそれぞれ得意分野や経験による技があると知った

術後その病院で1ヶ月後と半年後に診察がありました。私は診察の際、副甲状腺を残してもらいたかったと伝えました。そしたら「ガンを手術で取り切ったのでそれだけでも十分心が軽くなると思う」ということを言われるのみでした。

私は次に手術をするときは絶対に甲状腺専門医に手術してもらおうと思い、セカンドオピニオンで甲状腺専門医を受診しました。
そしたら「私が手術にするなら副甲状腺は残せる。だって3000件くらい手術してるからわかる」
との答えでした。
さらに術後にテープを貼っていたのですが、手術後の傷が固定されるテープを勧められて売店で購入しました。このテープのおかげで私の手術後の傷はわりとキレイになりました。
診察も触診とエコーでわかるようでした。触診は専門医の病院が初めてでした。

専門医だと対応も知識も違う、あー転院しよう!
と思い、
手術した病院から専門医がいる病院に転院しました。

今の甲状腺ガンの手術の考え方

今は女性の高齢者の3人に1人は甲状腺ガンを持っているし、手術しない選択もあるということを知りました。
時代と共に医学は進歩して手術だけが選択肢みたいなことはないんですね。
副甲状腺を取った影響が今の私に出てきています。

私は甲状腺ガン手術の4年後に、さらに腫瘍が見つかるのですが、それも悪性の形ではないと言われて経過観察数年後、手術しました。もちろん専門医のいる病院で手術していただきました。

いいなと思ったら応援しよう!