父の涙
しばらくぶりに父に会いに行った
そしたら女好きで何もかも失った話の続きを
書くのをためらっている
帰り際、ボロボロになって敗れた服を着た父は、泣いていた
続きを書くのは、私が弱ってる父の悪口を書く極悪人のように思えた
父の女好きで何もかも失った話は個別に書かずに
これから書く話に少しずつ散りばめていこうと思う
弟に全て任せていた
私は入退院を繰り返していたけど、入退院の合間の元気な時は父の入退院の手伝いに2回だけ行ったことがある。でも弟は、父の家を売却から老人ホーム入所、お金の工面、老人ホームからのクレーム対処や警察の対処等をすべてをやってくれていた。
今もやってくれている。自営業だから会社員より融通がきくにしても、高速で2時間かけて行ってくれている。本当に優しい弟である。
私はというと、しょっちゅう弟にお金の工面をお願いしている父にLINEで「年金内で生活して」
と文句ばかり言っていた。
すると父は「もう連絡せん!」と言い出して、私も「うちも連絡せん!」と言い
疎遠になっていた。
今回、弟がまた父のところに行きいろいな手続きをしてくれていて、あとは父自身がする手続きだけ残っていたので、それを確認するのを手伝ってみようと思い父の老人ホームに行ってみた。
相変わらずお金を渡そうとする父
父と久しぶりに会って、しばらく沈黙が続いた。
父はずいぶんと痩せてベルトをしないとズボンがずり下がるほどだった。
私に会うため着替えたのか、透ける素材のブラウスを羽織っていたが、脇のところは破れてぼろぼろになっていた。
私が手続きのことを聞くと、すべて自分で手続き終わったとのことだった。足が不自由なのと指先の細かな動きが不自由で、服の着替えや杖で歩くことに時間がかかる。しかし、頭はしっかりしていた。頭と口はしっかりしているから周りを傷つけ周りが離れて行ったのだと思う。
私も父の遺伝子を受け継いでると思った。
老人ホームは駅から交通の便が悪く、新幹線を降りたら予約していたレンタカーでここまで来た。
父にせっかくだから墓参りに行こうと準備をしてもらう。
レンタカーだったので、お漏らしは困るから
紙パンツを変えてと私がお願いすると、
ズボンを下ろすのもすごく時間がかかる。
私が手伝うと「恥ずかしかけん、せんでよか」といわれた。子供の紙パンツを変えるときのように
新しいパンツを2重で履いて中のパンツの両脇を破って引っ張れば良いよと、やってみせる。
紙パンツは濡れておらず、トイレに行くと言って
トイレで時間かけて用を足していた。
そして墓参りに行く途中、コンビニに寄って欲しいというので寄ると、ATMでお金を下ろして
私に私に交通費と子供にお年玉の先払いと言って
私に渡そうとするので、断固拒否した。
父のお金ではない、弟から工面してもらったお金である。車の中でも、数回「受け取って」「いらん」の繰り返しした。老人ホームに帰ってもずっと同じやりとりの繰り返し。20回くらい繰り返ししたあと、
父の気持ちが収まらないというので、最後に私が折れてお金をもらった。そのお金で、またずっとお金をあげたこと何度も言われることが嫌だってので、その場でちょっと待っててと、ズボンに入れて落としそうな財布だったので、父の財布とバックを買いに行って渡した。
そして帰るねと言ったら父はポロポロと涙を流して泣き始めた。
私の気持ち
家もなくなり、親戚にも嫌われて、再婚した妻にも出ていかれ、最後に残ったのは子供2人のみの父。そのうちの1人の私もしばらく疎遠になっていて、父はずっと弟しかいなかった。
それは、すべて父がした言動が起因することなので自業自得だと思っていた。
私は自分のことと自分の家族のことで精一杯で
「連絡せん」と言われて、正直言って父と縁が切れるとホッとしていた。冷たい娘である。
ただ私が反抗期に入る前までは本当に可愛がってくれた父だった。結婚してからも入院してしんどいとき「景気が良くなるようにケーキ買ってきた」とオヤジダジャレを言ってお見舞いに何度も来てくれたりした。
父の悪いとこばかりが目について責めて責めたくっていたけど、父自身も後で後悔ばかりしていたのだと思う。
私は「また老人ホーム来るけん」と何度も言って涙でぐちゃぐちゃになった父にさよならしてきた。新幹線じゃないと行けない距離なので頻繁には行けないけど、2ヶ月に1回くらいは日々の生活を節約してお金を貯めて行こうと思った。