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こども落語教室⑩ 小泉八雲資料室にて

松江市立図書館

 2024年5月11日、松江市立図書館の主催で寄席をした。そもそも落語教室でやっていることは、図書館と縁が深いことばかりなので、こういうお声がけはとてもありがたい。教室に通ってくる子どもたちも、稽古中の噺と関連した本を持ってきて見せてくれることがある。それがとてもうれしそうなのだ。落語が仲介して、子どもたちが本に親しんでいるのを見ると、こちらもとてもうれしい。

小泉八雲とセツ

 打合せに呼ばれて訪ねたら、通された部屋が「八雲資料室」だった。小泉八雲と松江の結びつきは、松江で知らぬ人はないだろうが、ご存じない方のために記しておくと、八雲ことラフカディオ・ハーンは、ニューオリンズで新聞記者をしていた30代の頃、文献や博覧会を通して日本に強い関心を抱くようになる。雑誌社の特派員として、念願の日本行きが叶ったのが1890年、八雲40歳の時である。来日後、雑誌社とは契約破棄になったものの、博覧会で交友のあった文部官僚の服部一三らの世話で、島根県尋常中学校と高等師範学校の英語教師となり、8月末に松江に赴く。ところが、冬の寒さが身体にこたえて翌年11月には、熊本に異動している。松江で暮らしたのは1年あまりに過ぎない。だが、ここで小泉セツという生涯の伴侶を得、その後の著作にも大きな影響を受ける。

 八雲が一年しか松江にいなかったと知ったのは、ずいぶん前のことだが、その時は、たったそれだけなのに松江が八雲の本拠地みたいに言っていいのか、と思ったものだが、小泉セツの存在の大きさを知るにつけ、堂々とゆかりの地として売り出していいと思うようになった。

こどもの語る小泉八雲

 さて、八雲の関係資料(4000点を誇る)に囲まれていると、その引力に導かれるは必然で、子どもたちに八雲の作品を語ってもらいたいと、ついポロリと言ってしまった。これは、その場の思いつきではなく、ずっと願っていたことではあったのだ。寄席を企画してくれた司書さんたちも「それはおもしろい」とまんざらでもなさそうだった。これは、この時からさほど時を置かず実現したのでそれはまた改めて書く。

こどもが語るべき噺

 子どもたちと落語をするようになってから、ずっと心に引っかかっていることがある。子どもたちが語るべき物語とは何だろう。もちろん古典落語は、それ抜きで考えられない基本中の基本である。でも、それとは別に、子どもが語るべき噺、子どもにしか語れない噺、そして、松江に暮らしている者が語るべき噺、があるように思うのだ。それらを追わずして何の教室ぞ、そう我が身を奮い立たせて台本づくりに向かうのだが、これがまた、楽しくもあり、苦しくもあり。

終演後松江市長と

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