今からでも聴くべし!コメティック2巡目センター曲
以前、コメティックの初期3曲について記事にしたことがあった。
曲ごとにセンターが変わっていくのが特徴のコメティックにおいて、それぞれどのような立ち位置なのか考えたのである。
あれから曲数も増えセンターが2巡したため、初期3曲と比較していきたい。
なお、本記事の表紙画像はいずれもシャニソンのスクショであり、該当する曲は左から『無垢』、『Heads or Tails?』、『無自覚アプリオリ』である。
本記事で扱う曲は『Heads or Tails?』以外シャニソンに実装されていないため、イメージに近い画像を選んだ形になる。
違和感があって申し訳ないがご了承いただきたい。
本記事でやること
初期曲の仮説と2巡目曲との比較
初期曲で立てた仮説と2巡目曲を照らし合わせ、共通点や相違点を探る。
なお、本記事では『Heads or Tails?』、『Clean.Clean up』、『泥濘鳴鳴』を考察の対象としている。
本来の羽那センター2巡目曲である『ハナムケのハナタバ』については色々と特殊な立ち位置だと捉え別枠とした。詳細は後述する。
純粋な感想
折角なので、仮説や初期曲との比較といった捉え方に囚われない純粋な感想も記載する。
各センター曲への感情
「各センター曲が人間だったら私はどう思うか?」ということを考えて書いてみた。
特徴を記号化し捉えやすくするための試みだったが、逆にわかりづらくなってしまった。
以前立てた仮説
コメティック初期曲全体
いずれも若者が抱えるモヤモヤや諦めといった内に秘めたものを共通テーマとして扱っており、それをセンターを務めるメンバーというフィルターを通して出力しているのではないか。
ただしセンターはあくまでフィルターであり、曲=アイドルの心情というわけではない(たとえば『くだらないや』は毒に満ちているが、はるきの性格は断じて毒々しくない)。
また、どの曲にも「右へ倣えをする人々」という共通モチーフが登場している。
それを表す言葉として「群れ成す有象無象」「量産体制一丁上がり」「乱れない隊列」のように、それぞれの曲で異なった表現が用いられている。
曲のカラー、引いてはセンターを務めるメンバーのカラーが、共通モチーフをどのように捉えているかに反映されているのではないか。
それぞれの初期曲
ルカ(無自覚アプリオリ):どうにもならないモヤモヤへの「怒り」。
ルカのアグレッシブさやカリスマ性が、開き直って扇動するような歌詞に現れているのではないか。
羽那(平行線の美学):高い視座から周囲に戸惑う「透明」。
羽那のパーソナリティを私が把握しきれていないこともあり3曲の中で最も解釈が難しいが、本曲の属性自体は羽那と共通する部分があるように見える。彼女のフラットな、ある種達観に近い視座から困惑や悲しさを歌っているのではないか。
はるき(くだらないや):周囲への諦めが嘲笑へと変わった「毒」。
はるきの優れた言語センスが「神経を逆なでし、あちこち飛び回ってはぐらかすような言い回し」に、豊かな感受性が「時に現れるストレートな叫びや諦観」に姿を変えているのではないか。
Heads or Tails?
別の記事で考察を行ったので、ここでは軽めの記載に留めて感想も省略する。
以前の考察記事はこちら
仮説との比較:「右へ倣えをする人々」
本曲はメッセージ性が強く、このモチーフもただの有象無象の木偶の坊ではなく「周囲に合わせてコロコロ意見を変える」というアクションを伴っている。また、それこそが厄介な点として扱われている。
仮説との比較:ルカと「怒り」
本曲は『無自覚アプリオリ』と同様に物事を皮肉った視線を持っている。
一方で、開き直ったような扇動を行っていたあちらとは異なり、自分をいましめるような内容や、希望を見出す姿勢が見受けられる。
ルカの変わりつつある心情の表れだろうか。この曲を「怒り」と表現するのは適切ではない気もする。
ルカセンター曲について
ルカセンター曲が魔法か何かで人間になったとして、私は友達にはなりたくない。
他者への影響力が強そうで、おっかないからだ。
仮に友達になったとしても私が周囲に勝手に遠慮して友人関係を解消するのがオチだろう。
無論、これはルカセンター曲に対する評価であり、ルカ自身への評価とは全く関係がない。
Clean.Clean up
はじめに:おそらく羽那センター曲
シャニソン未実装でライブでも披露されていないためセンターは不明だが、おそらく羽那であると思われる。理由はいくつかある。
まず、既存のコメティック楽曲では、歌い出しを全てセンターが務めている。本曲は羽那から歌う形になっているため、彼女がセンターだと考える根拠になる。
また、本曲を作詞したのは、羽那がセンターを務める曲および彼女のソロ曲の作詞をした方と同一人物である。
コメティックは(少なくとも羽那、はるきに関しては)センターごとに作詞家が分かれている傾向にあるため、これも根拠として挙げられる。
仮説との比較:「右へ倣えをする人々」
本曲でもこのモチーフは健在のようだが、少し印象が違う。
「誰もが同じことをしている」という点は共通しているのだが、本曲のそれは「自分のキャラの範疇で振る舞い、空気の読めない行動はしない」というものである。
これはいわば過程やスタンスであり、その結果としての行動はそれぞれの人間のキャラに合致したもの、つまり人によって異なるものとなるはずである。
仮説との比較:羽那と「透明」
羽那センター・ソロ曲には一貫して「透明」という言葉やそれに関するモチーフが登場するように思える。
『平行線の美学』、『無垢』には「透明」という言葉そのものが登場するし、特に『無垢』は全編に渡ってそういった内容である。
例外的な『ハナムケのハナタバ』にすら、(こじつけかもしれないが)透明を感じさせる「硝子」という表現が出てくる。
一方、本曲の歌詞にはそれらしきものが見当たらない。
強いて言えば「Clean up」だろうか。タイトルの一部であり、歌詞でも「痕跡までClean up」という使われ方をしている。
「綺麗に片付けること」という行為の結果もたらされるまっさらな光景は、「透明」というモチーフと繋がらなくもない。
だが、「綺麗に片付ける」という行為を見ると、どうしてもビフォーの状態、つまり綺麗ではない状態もセットで連想してしまう。
「何かに染まって綺麗ではない状態」というのは、ある意味「透明」というモチーフの真逆とも言える。
本曲は羽那を象徴する「透明」というモチーフへのアンチテーゼということだろうか。
そういった目で本曲を見てみると、高い視座からの目線ではあるが、周囲に染まってしまいそうな雰囲気すら感じる(単なる皮肉だとも解釈できるが)。
羽那センター・ソロ曲は、個人的にコメティック関係の楽曲の中で理解が難しい部類だと感じている。例外があるとすれば、コメティック全体の中でも異色な立ち位置の『ハナムケのハナタバ』くらいだろう。
本曲もご多分に漏れず難解である。
感想:安全地帯などない
私は初めてコメティック楽曲を聴いた時、「中高生に刺さりそう」と感じた。
コメティックが扱っているであろうモヤモヤや諦めというテーマは年代問わず共通して感じられるものだろうが、年をとるごとにそれらを誤魔化したり、なだめたりして生きていく術は自然と身についていく(身についてしまう)ものだと思う。
抱えるものを時にストレートに、時に毒を盛って、時に周囲への戸惑いと共にぶつけてくる彼女らの曲は、大人よりも若者からの共感を得やすいと感じたのだ。
したがってコメティック楽曲の歌詞を味わう際は私の心を中高生にチューニングするという工程が必要となり、共感やダメージはあくまで「私の中の当時の私」という部分が引き受けるものとなっていた。
私の「本体」は心の内側の安全地帯で、楽しみだけ享受していたと言える。
だが本曲では過去に視点が向けられている部分がある。
「現在の話はさほどでもないのに、昔話をする時はやたら饒舌で楽しそうになる」という人を私は何人も見たことがあるし、私自身そうなった記憶が何度もある。
これは中高生よりも、年を経てモヤモヤを誤魔化す術を身に着けた大人に刺さると感じた。「あなたみたいになりたくない」という年上に向けられそうなセリフもそれを加速させる。
母校の部室に入り浸り、過去の「栄光」を語って承認欲求を満たし、裏で後輩たちに陰口を叩かれている残念な卒業生の気分になる。
これには流石に私の「本体」もウッ…とダメージを受けた。
コメティックの曲に安全地帯はないということだろうか。
羽那センター曲について
羽那センター曲が人間になったとして、私は友達にはなりたくない。
傍から見れば恵まれているにもかかわらず、なお自分の在り方などについて悩む姿勢が眩しすぎるからだ。
仮に友達になったとしても、自分より高い視座からの視線に私が耐えられず、友人関係が自然消滅するのがオチだろう。
無論、これは羽那センター曲に対する評価であり、羽那自身への評価とは全く関係がない。
第一、私の眼力では「恵まれた存在が自分の在り方などについて悩んでいる」という点がそもそも見抜けず、「あの子キラキラして羨ましいな」と遠くから見る程度に留まるのがオチだろう。
泥濘鳴鳴
仮説との比較:「右へ倣えをする人々」
本曲でも該当しそうなものは登場する。
だが、周囲とのコミュニケーションの過程で生じたモヤモヤを扱っていそうな『くだらないや』と異なり、こちらは曲全体がなんかこうぶっ飛んでいるのでテーマを読み取るのが非常に難しい。
この曲は人間関係に関するものだよと言われても、何か特定のものを批判しているんだよと言われても、泥酔して寝落ちする直前のはるきの脳内のイメージですと言われても私は納得してしまうだろう。
『くだらないや』との共通点を見出すならば、冷めた視線だろうか。
あちらは「おんなじ表情を脊髄反射でする」だの「量産体制一丁上がりだが?」だの「ダイジョブそ?笑える」だのと嘲笑するようなスタンスが見えたが、上記に引用した箇所もまた嘲笑うような姿勢が窺える。
仮説との比較:はるきと「毒」
『くだらないや』でも「めでたい」という表現が明らかに煽っている使われ方をしていたが、本曲でもそれは同様のようだ。
[liminal;marginal;eternal](LME)で披露された振り付けを見ても、「気づいてる?」の部分で自分で頭を指さし、「めでたいね」の部分で拍手のようなジェスチャーをしていた。煽り発見である。
相手を思い切り見下して毒をドバドバ流し込んでいるようだ。
先ほど触れた「マエナラエが上手ね」も、どう考えても「前へ倣えのポーズがキレキレですごい!」という意味ではない。
「自主性や自分の考えを持たず周囲に迎合してるね!」といったことを言いたいのだろうし、かなりの攻撃力を持っている。
LMEでの振り付けもぎこちなく前倣えポーズをした後にロボットのような動きをするものであり、全力で煽っているようだ。
わざわざ「前倣え」をカタカナで表現するのは『くだらないや』に通じる言語感覚であり、エアクオート(両手でカニのようなポーズをし、ダブルクォーテーションマークを模したサイン)に通じる嫌らしさも備えている。
感想:泥濘メェメェ…?
曲全体を通して、何が何だか分からない。眠りに落ちる直前のとりとめのない思考のようだ。
フロイトやら羊やらが出てくるし、ジリリという目覚まし時計のような音やインスタント覚醒なんていう言葉も登場するので夢や睡眠がテーマの1つであることは何となく分かる。『泥濘鳴鳴』の「鳴鳴」は、羊の鳴き声である「メェメェ」をもじったのだろうか…?
歌詞に何度か登場する「真っ黒なシープ」という存在も気になる。
眠ろうとする際に数える羊の色は、通常(おそらく)白だろう。
周囲とは異なる真っ黒な羊について、本曲では「讃美」だの「推す」だのといった言葉を用いている。周囲と違う点だけ目を向けられて勝手に祀り上げられる、といったイメージだろうか。
はるきセンター曲について
はるきセンター曲が人間の形を取ったとして、私は友達にはなりたくない。
毒に満ち満ちているし、どう見てもエキセントリックでヤバい奴だからだ。
仮に友達になったとしても、はるきの優れた感性をつぎ込んだ結果生まれた鮮やかな毒の塊のごとき存在に私はついていけず、早々に絶縁に至るのがオチだろう。
無論、これははるきセンター曲への評価であり、はるき自身への評価では断じてない。
ハナムケのハナタバ
羽那センター曲だが、本曲は歌詞、曲調ともにコメティック全体で見ても異色である。
本曲で用いられている一人称および二人称も他の曲では見られない独特のもの(ワタシ、アナタ)になっている。
そもそもシャニソン初出の曲は、コメティック以外のユニットでもテンポや雰囲気が独特のものとなる傾向がある。
公式コメントからもそれが読み取れる。
具体例を挙げると、イルミネの『Shower of light』、アルストの『mellow mellow』、ストレイの『LINKs』、ノクチルの『グッバイ』、シーズの『Happier』あたりはまさにそうだろう(アンティーカの『時限式狂騒ワンダーランド』はテンポがトリッキーだが世界観をキープしているため、放クラは元々懐がとんでもなく深いため、個人的にはこの括りに入れて良いか判断できなかった)。
そういった考えから、本曲は羽那2つ目のセンター曲ではあるが別枠として扱っている。
『Heads or Tails?』もシャニソン初出の曲ではあるが、コメティックのテーマと重なる部分があると判断し、そちらは考察の対象としている。
今後シャニソン初出以外でルカセンター曲が実装されたら、また考え直してみたい。
終わりに
コメティックのセンターが2巡したことに気付いたのは、先日の[liminal;marginal;eternal]がきっかけだった。
『泥濘鳴鳴』の振り付けを見られるのは、現状このライブのアーカイブだけだろう。
そちらについての感想記事も投稿済みのため、ご興味があればご覧いただきたい。
今回、初期3曲で立てた仮説と共通モチーフという枠組みを用いて考えたが、そこに当てはまらない部分も多かった。私が勝手に立てた仮説なので当然であるが、予想を外したようで若干恥ずかしい。
今後のコメティックがどうなっていくか、曲がどのようなものになっていくかが楽しみである。
そして『Clean.Clean up』がライブで披露され、ラストで羽那がなんと言っているか分かる日も楽しみである(「バン」と言いながらこちらを撃っているように聞こえたのだが、まるで自信がない)。
読んでいただき、ありがとうございました。