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ジョージアについて第2弾(7回目)


なぜ2回目?

 第4回のジョージアについての記事を挙げましたが、まだまだジョージアについて語ることが出来るので今回の記事は、4回目の記事の続きを書いていこうと思います。

前回のジョージア記事(見なくてもいいです)

 皆さんはジョージアと聞くと何を思い浮かべますか?大体の方はアメリカ合衆国のジョージア州を思い浮かべると思いますが、トルコの北東、ウクライナの南東の場所にもジョージアという国があります

 ジョージアの首都はトビリシであり、東ヨーロッパまたは西アジアに分けられます。国の西には黒海があり写真で見るとあまり黒く見えませんが、実際見るとかなり黒いです。使われている言語は、主にジョージア語であり、英語も使われます。宗教では8割をイスラム教で占めています。最高気温では35度ほどで、最低気温は−2度ぐらいです。通貨はラリ、で1ラリ54.78円です(2024年10月現在)日本とは5時間遅れており(例:日本15時→ジョージア10時)飛行機では16時間ほどかかります。基本的にチップはありませんが、外国人向けのホテルやレストランなどでチップを要求されることがあります。治安はそれほど問題はないですがスリや置き引き、飲食店やタクシーでのぼったくりなどがあります挨拶では初めて会う人には握手。親しい人には握手、ハグ、キスをします。キスは相手の右頬に1度します。性格は温厚で親しみやすい関係です。

 皆さんも一度ジョージアに来てみると自然や美味しい食べ物を感じることができるのでぜひ来てみてください。

続き

 ロシア内戦中の1921年にグルジア民主共和国が赤軍に占領され、ソビエト連邦を構成するグルジア共和国とされたが、ソビエト連邦の崩壊に伴い1991年4月に共和国として独立を果たした。2008年、ロシア連邦が軍事侵攻し、ジョージア北部の南オセチアとアブハジアの「独立」を一方的に承認。日本は、侵攻を受けてロシアと国交断絶したジョージアの要請を受け、2015年4月までの国名呼称グルジアからジョージアへと変えた。

歴史

 ここから長い長い歴史になります

 前6世紀、西ジョージアにコルキス王国成立。前4世紀~3世紀東、ジョージアにイベリア(カルトリ)王国成立。4世紀、イベリア(カルトリ)王国がキリスト教を国教化。ジョージア文字の考案562年西ジョージア、ビザンツ帝国により併合。6世紀、東ジョージア、サーサーン朝ペルシアにより征服。7世紀後半、東ジョージア、アラブにより征服975年バグラト朝成立。タマラ女王(在位1184年~1213年)のもとバグラト朝最盛期、南コーカサス全域を領有。13世紀以降、数次にわたる外敵の侵入、国土の疲弊。16世紀以降、オスマン朝とサファヴィー朝により東西に分割1783年ロシア帝国、東ジョージアのカルトリ・カヘティア王国を保護国化1801年東ジョージア、ロシアに併合。19世紀前半、西ジョージアの諸地方、漸次ロシアに併合1844年ロシア帝国、チフリスにカフカース総督府設置1878年アジャリア併合によりジョージア制圧完了1918年5月ジョージア・メンシェヴィキによりジョージア共和国独立宣言1921年2月赤軍チフリス入城、ジョージア・ソビエト社会主義共和国成立1922年アルメニア、アゼルバイジャンと共にザカフカス社会主義連邦ソビエト共和国を形成、ソ連邦結成に参加。1956年トビリシ事件(民衆集会・運動が軍により流血の弾圧)1989年4月トビリシ事件(独立回復要求集会へのソ連軍の弾圧)1991年4月9日独立宣言1991年5月ガムサフルディア、初代大統領に当選1992年1月6日反ガムサフルディア派、大統領官邸占拠。ガムサフルディア大統領、ジョージアから脱出1992年2月国家評議会創設。シェヴァルナゼ元ソ連外相が帰国し、国家評議会議長に就任1995年11月シェヴァルナゼ大統領就任(2000年再選)2003年11月野党勢力が議会を占拠、シェヴァルナゼ大統領辞任(バラ革命)2004年1月サーカシヴィリ大統領就任2007年11月反政府デモ隊と治安当局の衝突により多数の負傷者が出たことを受け、非常事態令発令。2008年1月に大統領選挙を繰り上げることで事態は収拾2008年1月サーカシヴィリ大統領再選2008年8月ジョージア軍と南オセチア軍の軍事衝突にロシアが介入。ロシアは南オセチア及びアブハジアの独立を一方的に承認2012年10月議会選挙にて野党「ジョージアの夢」が勝利。イヴァニシヴィリ首相率いる新政府が発足2013年10月大統領選挙が行われ、与党連合「ジョージアの夢」が立てたマルグヴェラシヴィリ候補が当選2013年11月首相と議会の権限を強化する憲法改正が発効(実権が大統領から首相に移行)。マルグヴェラシヴィリ大統領就任。ガリバシヴィリ内務大臣が首相に就任2015年12月ガリバシヴィリ首相が辞任し、クヴィリカシヴィリ首相が就任2016年10月議会選挙で与党「ジョージアの夢・民主ジョージア」が圧勝し、4分の3以上の議席獲得2018年6月クヴィリカシヴィリ首相が辞任し、バフタゼ首相就任2018年11月大統領選挙が行われ、独立候補(与党「ジョージアの夢」が支持)のズラビシヴィリ候補が当選。12月に就任。2019年9月バフタゼ首相が辞任し、ガハリア首相が就任2020年10月議会選挙で与党「ジョージアの夢・民主ジョージア」が全議席の6割を獲得2021年2月ガハリア首相が辞任し、ガリバシヴィリ首相が就任2024年2月ガリバシヴィリ首相が辞任し、コバヒゼ首相が就任


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