ディスオーダーと生きる

今日は幸せだったと思う。
午前中は軽く筋トレをし、予定通り車を洗った。

LINEでのりちゃんに昼食べに行くか聞いたら、行こうって言ってくれた。なに食べるか決まってなかったけど久しぶりに空腹を感じていた。

出発前にパンちゃんの散歩をしようと連れ出したら、家の周りではなくグランドの方へ行きたがった。距離が長い散歩コースだ。
出発時間がズレても特に問題は無かったが、決めた時間に出発したかったので、耳元で帰ったら散歩しようと約束した。
パンちゃんの耳はほとんど聞こえていない。

何回もグランドのほうへ行きたがる素振りを見せていたので帰ってからの散歩が楽しみだ。
絶対約束を守ると決めた。

昼ごはんを食べてコーナンへ電動ドリルを買いに行く予定だ。

パンちゃんが階段を登ることも降りることも出来なくなったのでスロープを自作したのだが、それも嫌がったので、もっと緩やかにするために電動ドリルが必要なのだ。

いつも通りのりちゃんが運転する車の中で何を食べるか話した。
コーナン行くならびっくりドンキーかなぁ
コーナンにびっくりドンキーが併設されているからだ。

でも、この前もびっくりドンキー食べたよなぁ
コーナンまでにある他の食べもん屋って、かっぱ寿司かCoCo壱かすき家かジョリーパスタぐらいちゃう?
んー、ラーメンはどう?
いいやん、どこにする?
横綱いかへん?
いいなぁ、ラーメンめっちゃ久しぶりやわ。

いつもは何食べたいか聞いても、なんでもいいよぉ、という返事が多いのでラーメンに決まったとき嬉しかった。

ラーメンは美味しかったし、唐揚げと餃子も頼んでお腹が満たされた。
満腹感を感じたのも久しぶりだ。

コーナンで電動ドリルを見て、結局Amazonの方が安いねってなって帰りにびっくりドンキーでお茶をした。
のりちゃんはリンゴか何かのフルーツジュースにアイスが乗ってるやつを、おれはアイスコーヒーにソフトクリームが乗ってるやつを頼んだ。
甘くて美味しかった。

何もかも予定通りだ。

フリーランスとして独立したい、みたいな話をした。
40歳になり、このままどこかの企業で働き続ける人生が全く想像出来なくなっている。

働けるまで働いて消えたいと思う。
そのためには定年が邪魔なのだ。

帰ったらパンちゃんが出迎えてくれた。
そのまま散歩へ連れ出した。
グランドの方へ行きたがった。気持ちが変わってなくて良かったと思った。

奇跡のような一日だと感じた。

あやはの事が頭をよぎる。
もうバイト先へ行ったようだ。話をしなくなって3、4ヶ月経った。

はっきり時期を覚えていない。
時系列で何かを記憶することが出来ない。
この症状は年々強まっているように感じる。

その物事が大切であるかとかは関係なく忘れていく。
断片的な記憶が一枚の写真のようにバラバラに記憶されてる。

そのときどんな感情を抱いたか、何を思ったか。
そういう情報は写真からは読み取れない。
ただの風景画のようだ。

これを書き始めたのは三連休の最終日。
途中で書けなくなって、今日の話しじゃなくなってしまった。

楽しかった日があったことを記憶しておきたいと思って書き始めたが、途中でいろいろな感情が混ざり合ってしまった。

最後まで言いたいことをブレずに書ききることが難しいと感じるのは私だけなのだろうか。
この考えがあちこちに飛ぶ感覚は少なからず自閉スペクトラム症が関係していると思う。

診断を受けたいと思うが、本やインターネットで調べた限り過去の経歴について親族からの証言も必要だという記載があるのを見て無理だと思った。
育った家庭環境が複雑すぎてとても頼む気になれない。

そもそも父親は失踪して行方不明だし母親も病気だ。

いま読んでる本に診断されるかどうかは問題の本質ではない。という事が書いてあった。
真に問題なのは、自身の抱える症状によって生きにくさを感じるかどうかであると。

例え自閉スペクトラム症と診断されていたとしても、本人が辛くなければそれは障害ではなく、逆にグレーゾーンや定型発達だとしても本人に生きづらさがあり現状が苦しければそれは障害を抱えているといえる。

この本では自閉スペクトラム症を特性とdisorderに区別して考えることを主張している。
つまり障害特性を持っているという身体的な状態と、それによって社会的な営みに不具合が生じるかを分けて考えようということだ。

自身の抱える症状を理解しひとつずつ改善していくことで、障害として、つまり生きづらさの部分を減らす。
ASDやADHDからDが切り離され、
自閉スペクトラムや多動性は障害ではなく個性へと姿を変える。

そうなればASDやADHDは障害ではない。
その人にしか持ち得ない圧倒的な個性だ。

カミュは自身の小説の中で、すべては太陽のせいだと言った。私もそれに倣ってすべてはDのせいだと言おう。

Dは生まれ持ったものであり、消すことは出来ない。しかし、抑えることは可能なのだ。特性を知り己を理解し対策を講じることでDは抑えられるという。

障害を個性へと昇華させ磨き上げる。そして必死に生きることでその生涯は光を放つと信じたい。

強く生きるしかない。
自閉スペクトラム症は100人に1人とか54人に1人とかの割合で存在しているらしい。

決して珍しい病気ではないというような事がネット上には書かれていた。

数の問題ではないように思う。
これまで読んだ自閉スペクトラム症に関する書籍は多くないが、症例名にスペクトラムとあるように症状とそれに伴う個人が抱える課題に幅があり、症例の数だけ生きづらさがあり地獄がある。

統計的な数値でまとめられてしまう事が本人や関わる人の辛さを助長するのではないだろうか。

それでも、40年生きてきた中で感じることは強く生きるしかないということだ。
暗く反省しても誰もついてこないとは私の尊敬する作家、村上龍氏の小説「69」で書かれていた名言である。

この小説は自閉スペクトラム症とはなんの関係もない内容であるが、結局のところ楽しんで生きてる奴の周りに人は集まるというのは真実に思える。

ディスオーダーがあることによって例えそれが難しかったとしても、それでも楽しむことを諦めてはいけないのだと思う。

そのために全く個人的な他の誰にも参考にならない生き方マニュアルのようなものを作る必要があると感じており、少しずつ記事として投稿していきたい。

※この記事は9月の三連休の出来事を書き始めて書き上げられず今に至ったものである。
先日、娘の誕生日を祝った。
そのときの記事を書きたくて、そのためにはこの記事を先に投稿する必要があると感じ完成させました。
読んで頂きありがとうございます。

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