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"人生を考えたくなる"-モラトリアム人間の自分とどう向き合うか-

”人生を考えたくなる”
2017年の「インフルエンサー」に収録された乃木坂46の楽曲のことではない(秋元さんの歌詞はとても響くけども)。

私が考える人生の歩みについてである。
これはモラトリアム人間の私にとって直面する最大の課題、テーマである。
すなわち、自分がどうあるか、あるべきか。そして、どういった職業に就き、社会人として働くのか。である。
それを考えることが許される、猶予される期間が「モラトリアム」である。


モラトリアム期 -第1期の形成

少しモラトリアムに至る今日の自分を振り返ってみよう。
大学3回生の頃から、就活を考え始めた。周りが忙しくなりだし、友人ともその話をし始めた頃だと記憶している。
当時は信託銀行に興味がありインターンに行っていた。ある程度色々なとこを受けていく中で、就活という活動自体への疑問と空虚な感じ?…
偽りの自分を構築し、いかに自分を商品として企業に魅力的なものとして見せていくのか?(それが就活。というものに今となって気づくが…)に疲れていた自分がいた。

そうこうしているうちに、世界は covid-19のpandemicに入り、就活どころではなかった(就活頑張ってた同級生に頭が上がらない…)。
2020年が懐かしい。何もかもオンライン。ソーシャルディスタンス。そして「密です」の小池百合子。
3年半続けているアルバイトの影響もあり、3回生の12月頃から、大学院でマーケティングを学びたいと思っていた。ここで私は、院試という活動にシフトしていくのであった。

色々な大学院を受けた中で、縁のあった駒澤大 商学研究科修士課程へ。
ここで第一のモラトリアム期に入る。
一旦学生という身分は延長できたものの、初学者の私はゼミについていくことで精一杯だった。
マーケティング論にとどまることなく、人の消費という行為に関わる学問、社会学だったり、心理学だったり、哲学だったり、そういう分野の知識や最先端の知見を得れたという点で有意義な2年間だった。
研究することの楽しさ…人の消費を追求し解明することの面白さ、楽しさに惹かれていた。そういうこともあって修士論文の執筆と共に、博士課程への進学を考えていた。

人生の分岐点 -研究者 or 自宅警備員(ニート)

無事に論文審査を終え、大学院修了の年に差し掛かった2023年。
いくつかの大学院博士課程の受験をする。結果は受かったとこもあれば、そうでないところも。入学期限のギリギリまで悩み、色んな人と話して、今後本当に研究者として食っていくのか?いけるのかと四六時中考えていた。
結論としては、院のゼミの先生・学部時代の先生の姿を見て研究者の世界は厳しくも、辛く、冬の時代が長い。その上、常勤という身分が確約されるのが文系の研究者は半ば「運」という大きなベットに挑戦できるほどの自信がなかった。

そういうこともあり、必然的に修了と共に学生という身分が消失した。
賃貸契約の件もあり、生まれ故郷の山口に戻ることになる。
この期間、2023年4月から2024年3月は、無職。職業:自宅警備員(ニート)である。
大学という世界に守られ、そこから抜けると何者でもなくなる。
ここから院試へシフトしていくのだが。この無職期間の話は、また別の機会にしよう。

モラトリアム期-第2期

現在がその期間にあたるだろうか。
だが、モラトリアムを定義した発達心理学者のH.Eriksonがいうには、"青年期から成人期に移行する期間"だそう。僕の場合は、もういい年こいた20半ばの人間なので、該当しない。
今は、精神面では成熟していて(逆にそうじゃないと危ないよ)、
就活のために欠けているスキルを蓄えるための、まさしく「猶予」された期間である。

モラトリアム人間の自分とどう向き合うか?

モラトリアムの要因分析のためには、それを可能とする環境に気づくことである。
そう思うと、自分を支えてくれているのは、間違いなく親である。
経済的環境が厳しければ、働くという選択肢のみである。けして我が家は、裕福な家庭ではなく、いわば中流層にあたる世帯年収である。
奨学金を借りずに、大学、大学院2校の学費を捻出してくれている親には感謝しかない。そんな色んな人の支えで、今の自分があることを忘れてはいけないと感じるところ。

では、最大のクエスチョン、こんなモラトリアム気質の自分とどう向き合うか。向き合うべきか。
最近ハマっているアニメ「葬送のフリーレン」で、フリーレンも僕と同じようなことを言っていたので、ここで引用。
「(長く生きたといっても、)だらだら生きていただけだよ。」

とても共感できるフレーズ。

フリーレンの場合は、亡くなった勇者ヒンメルの軌跡を追う旅を通じて、人を知る旅に出た。ようは行動を起こすことである。
行動を起こし、いつもと異なる場所に見を置く。そうすると、そこで関わる人との繋がりも生じる。

結局のところ、モラトリアムは、自分の意識、気持ちの持ちようの問題である。この恵まれた環境に胡坐をかかずに、厳しい環境に身を置かなければならない。しっかりと、目標を持ち、それを達成する楽しさを感じる。
”まずい。やばい。”という危機感を持ち、自分なりに努力する。

まずは、やることを始めることから。行動を起こすことである(気になっていた子に、勇気をふりしぼって話かけるように)。
そうすると、やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい。
自分の性格を知っているのは、自分自身。うまく付き合うしかない。

結論が出たようで出ていないチグハグとした感じにはなったけども。
また長々と書いてしまった。悪いクセだ…

最後までお読みいただきありがとうございました。


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